https://www.sankei.com/article/20221219-4ACWTCMUAVOUZNVA7IFQTMDC7Q/

理解してください。本当に大変だったんです」。寝たきりの妻=当時(72)=を絞殺したとして殺人罪に問われた男(81)は、11月に大阪地裁で開かれた裁判員裁判でこう訴えた。男は40年近く妻を献身的に介護。自身に認知症の症状が現れても妻を支えようとしたが、事件は起きてしまった。「百点満点の妻だった」と語るほどの愛妻家を被告の立場に追いやった老老介護の実情とは-。

「やってはいけないことをした」

11月28日の公判。最後の弁明の機会である最終意見陳述で、男は落ち着いた様子で証言台に立った。

アルツハイマー型認知症と逮捕後の拘禁反応が重なったためか、事件当日の記憶は不鮮明。それでも妻への「献身」は脳裏に刻まれている。

「殺すことは考えたこともない…」と涙ぐむと、「これほど妻を長生きさせるのは並大抵の努力ではない。理解してください。本当に大変だったんです」と訴えた。

事件は2月13日朝、大阪市内のマンション一室で起きた。「介護疲れで、やってはいけないことをしてしまった」と自ら110番。警察官が駆け付けると、首にタオルが巻き付けられた状態でベッドに横たわる妻の姿があった。警察官に「体が動かなくなって、これ以上面倒を見ることができないと思った」と打ち明けた。

被告人質問や別居する長男の証言などで、介護の実態が法廷で明かされた。妻は寝たきりで意思疎通は不可能。胃瘻(いろう)での栄養注入といった24時間態勢のケアが必要だった。それを一身に引き受けてきたのが被告だった。

事件前日に起きた変化

妻に異変が起きたのは、約40年前にさかのぼる。脳出血を起こし、一時は生死をさまよった。入院中は毎日病院へ通い、散歩やリハビリに付き合った。

その後、簡単な会話や料理ができるまでに回復。しかし、右半身の麻痺(まひ)で車いす生活となり、サポートは不可欠だった。さらに、5年前には脳梗塞を患って意識不明の寝たきり状態に。求められる看病は高度になった。

1日3回胃瘻を施し、床ずれを起こさないよう何度も体位を変える。排泄(はいせつ)介助や口腔(こうくう)ケアも担った。

愛情も欠かさなかった。まるで意識があるかのように話しかけながらマッサージをし、顔を拭き、パジャマにアイロンをかけた。

ただ、自身の体もむしばまれ、認知症の症状が出始める。事件の1週間前、自宅のトイレで倒れて救急搬送。思うように体が動かなくなり、毎日欠かさず記してきた介護日誌も書かなくなった。事件前日には、妻の3度の胃瘻を完全に忘れた。「きちょうめんだった父からは想像できない事態」(長男)。事件が起きたのは、家族や医師らが妻の施設入所を検討している最中だった。

後を絶たない介護殺人

40年の日々を男は法廷で「妻が大切だった。誰にも負けない形で看病を頑張った」と振り返った。「それだけの介護をする価値のある百点満点の妻だった」と愛情を示しつつ、「本当に大変だった。これが看病の結果」と声を絞り出した。

弁護側は事件当日の記憶が不鮮明であることから無罪を主張していたが、大阪地裁は12月2日、懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を言い渡した。佐藤弘規裁判長は、「介護の苦労は想像を絶する。追い詰められた状況で犯行を選択してしまったことを強く非難するのはやや酷というべきだ」と判決理由を述べた。