おじろく・おばさ

おじろく・おばさとは、かつて日本の長野県のとある村に実在した凄惨な風習の一つである。
どのような風習かと言えば、家の跡取りとなる長男以外の人間は、
小さな頃は普通に育てられるが、長男の言うことに全て従うのを当然と覚えこまされる。
そして、やがて大きくなるにつれ長男と差別的に取り扱われるようになり、

世間との交流は許されない。お祭りも参加できないし、結婚相手探しも不可。おそらく大半が一生童貞&処女。
万一結婚したい相手が見つかっても迎えたりできず、結婚するには他の家に引き取ってもらうしかない
死ぬまで無償で家の使用人として働かされる
長男や長男の嫁・長男の子供に限らず、甥っ子や姪っ子からも下っ端扱い
戸籍への記載は「厄介」…つまりは家族ではない

まさに奴隷制。しかし、彼らは反抗することもない。
現代にあれば一大社会問題となっていたことだろうが、幸いにも現代には存在しない。
16~17世紀にはじまったが、明治維新以降は先細りとなったようで、昭和40年代に生き残っていたおじろく・おばさはわずかに3人であったという。
おそらく、今は生き残っていないだろう。

もちろん、こんな制度が導入されたのには理由がある。

耕地の面積が少ない山林では、子どもに財産である田畑を次々分けて相続させる余裕などなく、人口の増え過ぎは村全体が危ない。
また、鉄道や自動車があるわけではないため他の村とも隔絶しがちで、人をやりとりして切り抜けることが難しい。
確実な避妊法があるわけでもなく、子供が生まれれば面倒を見ないわけにはいかない。また当時は衛生概念がなく乳幼児の死亡率が非常に高かった。
そのため、他の兄弟たちは男はおじろく、女はおばさとして、子供を増やさせることなく、跡取りである長男のために働かされるのである。
そんな制度も驚きだが、そういった彼らがどういう人間だっただろうか、という点がこのおじろく・おばさの恐ろしさである。

1964年に、生き残っていた3人のおじろく・おばさが学者に取材されたことがあった。
まず、彼らには将来の夢も希望もない。
感情がなく表情もない。自分から話しかけるどころか、こちらから話しかけても全くの無視。それでいて言いつけにはよく従って働く。
取材をしても全く無視されてしまうので、薬物で催眠をかけて面接したら、やっとぽつぽつと回答が出たという。

「他家へ行くのは嫌いであった。親しくもならなかった。話も別にしなかった。面白いこと、楽しい思い出もなかった」
「人に会うのは嫌だ、話しかけられるのも嫌だ、私はばかだから」
「自分の家が一番よい、よそへ行っても何もできない、働いてばかりいてばからしいとは思わないし不平もない」

もはや奴隷同然の自分の境遇を嘆くことさえもなく、むしろそんな家庭だけが居場所、という状態である。おじろく・おばさは決して精神的障害を先天的に持っていてなったわけではない。
元々無気力だった者だけがなったわけでもない。
彼らは子供時代は長男の言うことを聞けと言われる以外は普通に遊んでいたという。長男に万一のことがあれば、スペアとして彼らが後を継がなければならないからだ。
20代になってからロボットのような人格になってしまったという。ずーっと奴隷同然にこき使われれば、人間はこんな風な人格にでもならなければ、生きていけないということの象徴なのである。
当時としては、これらは社会全体として生き残っていくためにやむを得ない面があったのかもしれない。だが、現代では当然これは違法である。
未成年者相手にこんなことが行われていたら、完全な児童虐待。即刻児童相談所に通報すべきだし、大人が相手でも、このようなつまはじきは行政に相談した方がよい。

現代にこのようなあり方が制度として存在しないことを喜びたい。

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