この様に信仰を持つということは止揚です
相反する価値が自らの内に同居しているのです
だからこそその価値の中心に立つことが出来るのですね
だからこそどちらかの価値に「流される」ことのない主体性が確立し
心が安定し平穏な気持ちでいられるわけです