(´・ω・`)ブサイクってブサーブサーいいながら寝てそう [134367759]
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正月料理としての雑煮は、大晦日に神前に供えたお神酒や餅、米、野菜、魚などを、
元旦になると下げて、一つの鍋で煮込んだことが始まりとされています。
お雑煮で正月を祝う風習も室町時代に始まったとされ、江戸時代になると庶民の間にも広まりました。
(´・ω・`)穢れたやつが食べても意味がない。 「そもそも餅の形は、丸餅が正統とされています。例えば正月の鏡餅は、正月に迎える歳神さまの『依りしろ(依りつくもの)』とされますが、
丸い形です。これは、古くからの祭祀用具である鏡や神さまの御魂(みたま)をかたどったものであるからといいます。
また、ハレの日に食べるものには、食材に対する感謝の心や願いを込めることが多いものです。丸い形には、
『円満に暮らせますように』という縁起が込められているのです。一つ一つ願いを込めて手で丸め、丸餅を作ったのではないでしょうか。
こういったことから、西日本だけではなく日本全土で丸餅が食べられていたといいます」(北野さん) なぜ東日本では、角餅になったのでしょうか。
「一つには、関東で武士文化が盛んだった影響があるようです。朝廷があり、もともと貴族文化が栄えた関西に比べて、
関東には勇壮な気風が生まれました。角餅は、ついた餅を平たく伸ばした『のし餅』を切って作ります。
これが『敵をのす(討ちのめす)』に通じ、縁起がよいとされたというのです」(北野さん) さらに、江戸っ子気質も影響したといいます。
「江戸の町では暮れの15日を過ぎると餅をつき始めました。大きな商家は自分でつくことができますが、
庶民はほとんど杵と臼を持っておりません。そこで、餅を搗く専門の『賃餅屋』が町を回って餅をついたのです。これを『賃餅』といいます。
賃餅屋は丸餅を作っていては手間と時間がかかるので、のし餅を作り、それを四角に切ったのが切餅(角餅)の始まりです。
人口が急増していた江戸の町では、合理的に物事を考えていたのでしょう。せっかちな江戸っ子気質も表れていて、ちょっと面白いですね」(北野さん) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています