https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20221230/pol/00m/010/010000c
民主主義を危うくした「二つの暴力」
2022年は二つの暴力に直面し、深い悲しみと憤りを伴う一年だった。一つはロシアによるウクライナ侵攻、そしてもう一つは安倍晋三元首相が銃撃され死亡した事件だ。
民主主義と法秩序
ロシアのウクライナ侵攻は、民主主義とはなにか、法と秩序を維持していくためにはどうするべきかという問題を突きつけた。
マックス・ウェーバーも指摘しているとおり、暴力とは人間と国家が持つ性(さが)だ。人間も国家も暴力を使う可能性を秘めていることを常に念頭におき、その機会を最小に抑えるためにも民主主義と法秩序を維持していかなければならないと痛感した。
パンデミック(感染爆発)とウクライナ侵攻以来、世界の政治地図は民主主義国家と権威主義国家とに色分けされて語られることが多くなっている。
それでも世界の多くの国は実態は別として民主主義を標ぼうしている。ロシアも国民主権の下、選挙で大統領も議会も選ばれている。しかし実際はプーチン大統領に権力が集中し、今回のウクライナ侵略もプーチン氏の一存に近い形で実行された。
しかし最近ではウクライナでの劣勢と兵力不足を解消するため出した部分動員令にロシア国民が反発する事態も起きており、共産党体制を敷く中国でも国民の行動を厳しく制限する「ゼロコロナ政策」を巡って国民の抗議デモも発生している。権威主義的国家の政治運営の限界も垣間見えた。
安倍氏の銃撃事件は民主主義の最も重要な営みである選挙の街頭演説中を狙ったものだった。暴力による言論封殺は断じて許されない。
事件を発端に旧統一教会(世界平和統一家庭連合)を巡る問題も明らかになり、また国葬を巡っても多くの議論があった。この問題では先の臨時国会で被害者救済に向けた新法も成立した。