1週間で手紙2千通が寄せられた「竜馬がゆく」

国民作家、司馬遼太郎さん(1923〜96年)が産経新聞に連載した代表作「竜馬がゆく」「坂の上の雲」の編集を担当した
元産経新聞記者の窪内隆起(くぼうち・たかおき)さん(90)が、名作が生まれた当時を振り返った。
高度経済成長期の時代と呼応するかのように、10本以上の連載を抱えながらも取材に奔走し、執筆への情熱を持ち続けた司馬さん。今年、生誕から100年を迎えた。

竜馬のモデルは2人
昭和37年6月、幕末の志士、坂本龍馬を主人公にした連載小説「竜馬がゆく」が産経新聞で始まった。
当時、窪内さんは福井支局の記者だった。高知出身の窪内さんにとって龍馬は故郷の英雄。
しかし「当時龍馬は無名に近い存在で、はしゃいでいたのは支局で自分だけだった」と振り返る。

だが、半年ほどたつと販売店や支局に新聞購読を申し込む電話が頻繁にかかるようになる。
「『竜馬』が面白い」と皆が口にした。野球の取材で訪れた高校では、球児らが新聞の「竜馬」を回し読みしていた。

40年2月、窪内さんは大阪本社文化部に異動することになり、いきなり「竜馬」の編集担当を任された。
担当には高知出身の若い記者を司馬さんが希望していた、と後々に聞いた。

主人公のモデルは2人いた。1人は「龍馬を書いてほしい」とせがんだ高知出身の司馬さんの後輩記者。
おおらかな性格で約180センチの偉丈夫だった。もう一人は、ハンガリー動乱で亡命し京大大学院で学んでいた
スティーブン・トロクさん。「いずれ母国に戻って大統領になる」と語る彼に、土佐藩を脱藩した主人公の人物像が重なったようだった。

41年5月、最終回の原稿を受け取った。竜馬が凶刃に倒れる場面だ。会社に戻る車内で原稿を読んだが、
車から降りて青空の下でもう一度、読み直した。「司馬さんが何よりも集中して書いた最後の原稿を、
人のいない場所で向き合わなければいけない気がした」。最終回が掲載されると、反響はすさまじかった。
会社の電話が鳴りやまず、1週間で2千通の手紙が寄せられた。

多忙の中で誕生したベストセラー
その後、窪内さんは会社の意向を受けて次の連載小説を司馬さんに依頼した。当時、司馬さんは10本以上の連載を抱え、
多忙を極めていた。返事があったのは1カ月たってからだった。

「時期もテーマも未定やけど、書くわ」
https://www.sankei.com/article/20230103-B5LUNI6HDZODTJEQSJNMHL7DQQ/