筑波大教授「ロシアは崩壊寸前の状態。停戦指示は態勢整える目的」…スポ日が報じる。筑波大さん大丈夫ですか😅 [434926633]
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ヒサのこともあるしこんなこと勝手に吹聴させるし推薦も国立随一だし
最近筑波ヤバいね
>>3
最近って筑波は昔から学長が統一協会で大学執行部全部統一協会で固められていて原理研が公認サークルだった大学だぞ?
>>4
昔からヤバいじゃないすか😨 ロシア軍が崩壊寸前って事はないだろうけれど
少なくとも意味のある攻勢を維持できて無さそうだよな
勝ちに乗っていたら自分から休戦を言い出したりしないでしょ 中村逸郎の予想がこれまでに当たったことってあったっけ 局所的には崩壊寸前はあるんだろうけどね
それより正教徒以外大量にいるのに正教のクリスマスだけ優先するの
ロシア軍内やモスクワ以外のロシア国内で不平出ないものなんかね
特に訓練所で礼拝拒否されたイスラムとか >>6
順調に勝ってれば目標に向けて進めてれば良いし、逆に物理的に戦線維持出来ないくらい負けてれば撤退するしかないが、
曲がりなりにもクリミアへの陸路打通には成功して一定の成果が出てるだけに、
思いきった損切りも出来ない故に泥沼に嵌まってる感じだよな。 ~
福田信之 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%94%B0%E4%BF%A1%E4%B9%8B
筑波大学副学長・学長を歴任。
「世界平和教授アカデミー」元会員、 ← 統一教会系の学際的学術団体
「日韓トンネル研究会」元顧問。 ← 統一協会系グループ事業の一環
統一教会(世界基督教統一神霊協会)の会長であった久保木修己に出会い、
統一教会の教祖・文鮮明の思想に傾倒して行き、
世界平和教授アカデミーを始めとする統一教会関連の団体で精力的に活動し、
統一教会シンパの代表的文化人となる。
若い頃は反核運動にも取り組んでいたが、
統一教会と関係を持ってからは核武装論者で反共主義者となった。
1980~84年の学長時代は大学の主要ポストが統一教会系の人脈で占められていたとも言われた。
同時期、筑波大学では
「原理研究会」など統一教会系のサークルが公認され活発に活動していた。
. >>9
福田 信之(ふくだ のぶゆき、1920年10月3日- 1994年11月27日)は、日本の物理学者。理学博士 東京教育大学教授、筑波大学副学長・学長を歴任。世界平和教授アカデミー元会員、日韓トンネル研究会元顧問。香川県高松市出身。
統一教会との関係
東京教育大学を移転させる事態がの進むその頃、統一教会(世界基督教統一神霊協会)の会長であった久保木修己に出会い、統一教会の教祖・文鮮明の思想に傾倒して行き、 世界平和教授アカデミーを始めとする統一教会関連の団体で精力的に活動し、統一教会信者の代表的文化人となる。若い頃は反核運動にも取り組んでいたが、統一教会と関係を持ってからは核武装論者で反共主義者となった。1980~84年の学長時代は大学の主要ポストが統一教会系の人脈で占められていたとも言われた。同時期、筑波大学では「原理研究会」など統一教会系のサークルが公認され活発に活動していた。
1920年 - 香川県に生まれる。
1939年 - 高松中学校卒業。
1943年 - 北海道帝国大学理学部卒業(理論物理学専攻)。
1943年 - 理化学研究所仁科研究室
1958年 - 東京教育大教授。
1960年代 - 統一教会会長の久保木修己に会い、真の宗教人だと感銘し、統一教会との関係を深めて行く。
1974年 - 5月7日 東京の帝国ホテルで、『希望の日』晩餐会(名誉実行委員長・岸信介)と題する文鮮明の講演会に出席。
1976年 - 統一教会系の「世界平和教授アカデミー」の「ナショナル・ゴール(国家目標)研究」(NG研究)というプロジェクトの代表として活動。
1980年
2月15日 - ある受験生の合格に便宜を図るように不正工作をした疑いがあるということで、学内の2人の教授から告発をされていると新聞が報じる。学務部長を通じて文部省に事実でないと連絡をし、文部大臣は記者会見をして、文部省として直ちに調査に乗り出す考えはないということを発表。筑波大学の学長は調査の結果、推薦入試の選考で不正が行われた事実はないということを公式に表明。
3月22日 - 国会で、警視庁機関誌の『自警』79年11月号、『警泉』同2月号に掲載された「エネルギー問題と原子力」という題の論稿で、外交問題になりかねないようなイスラム国家に対する侮蔑的表現や、原子力撤廃運動によって日本は共産主義化して崩壊するというような表現があり、それらを警視庁の機関誌に掲載することは問題だと指摘される。
筑波大学の学長に就任。
森本真章・福井工業大学名誉教授、滝原俊彦・帝京大学教授らと結成した「教科書問題研究会」で代表を務める。世界平和教授アカデミー会員仲間の黒田巍・東京教育大学名誉教授、久保田信之・学習院女子短期大学教授、名越二荒之助・高千穂商科大学助教授らと共に活動。
1984年
6月12日 - 統一教会系列の世界日報を追放された副島嘉和が統一教会の内部告発手記の中で、統一教会が福田に定期的に手当てを支払っていたとした件に関し、文部省からの照会に対し、金銭の授受の事実はないと否定。
11月19日 - 東京で開かれた統一教会関連する「世界言論者会議」に出席。同月、フランスのテレビ局との共催で「科学・技術と精神世界」と題するシンポジウムを筑波大学で開催。
1985年
3月29日から3月31日 - 箱根プリンスホテルで開かれた統一教会関連の第一回の「CAUSA日本会議」というシンポジウムで講師を務める[5]。同年6月18日の国会では、「CAUSAの実態はよく承知していない」、「関係もしていない」とそのシンポジウムへの参加を否定した福田の政府への回答が報告された。
5月 - 『サンケイ新聞』に朝日新聞社のルポを「一部マスコミの偏向」「誤報」などとした寄稿に虚偽があるとして『朝日新聞』から提訴される。
9月 - 文鮮明の第一夫人との間の息子(文聖進)を筑波大学が研究員として受け入れていたことが明らかになり波紋を呼ぶ。
1987年2月 - 著書『文鮮明・思想と統一運動』を発刊し文鮮明を賛美する。
1990年1月? - 『わが心の師・文鮮明先生』と銘打ち、統一教会名誉会長となった久保木と対談。(内容は中和新聞2月1日号に掲載されている
1992年
8月12日 - 統一教会の合同結婚式直前の『産経新聞』に「国際合同結婚式を支持する学者・文化人の会」の代表世話人という肩書きで、広告「私たちは“国際合同結婚式”を応援します。」に名を連ねた。
9月 - 同年の文鮮明の金日成との会談の成果をアピールする『文鮮明師と金日成主席 開かれた南北統一の道』を出版。
1994年11月27日 - 死去。享年74。
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