オウム事件の研究読んでると結局国家神道的なものは必要だね(・ω・) [134367759]
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「正月七日は、五節句の一つで、新年最初の節句・『人日(じんじつ)の節句』です。
昔から中国では、一月一日を『鶏の日』、二日を『狗(いぬ)の日』、三日を『猪(=豚)の日』、
四日を『羊の日』、五日を『丑の日』、六日を『午(うま)の日』として、それぞれの日にはその家畜を殺さないようにしていました。
七日は『人の日(人日)』で、犯罪者への刑罰を行わなかったとも、邪気を祓(はら)う日だったともいわれています。
た中国の『荊楚(けいそ)歳時記』に、『正月七日を人日と為す。七種の菜をもって羹(あつもの=汁もの)をつくる』とあり、
七種類の菜の吸い物を食して無病を祈る風習があったそうです。 謎の勢力「ネトウヨは朝敵なんだよなぁ」
何だったのか 国教が無い国の末路だよな
キリストでもイスラムでも無神論でも何でもいいから国民意識とリンクした宗教がないとカルトに汚染される けっきょく人々は宗教なしには生きられない。
そして宗教と宗教団体(集まり)も分離はできなかった。 オウム真理教が殺した数と国家神道が殺した数ってどっちが多いの? >>9
たとえば、2007年に、山口組組員が、長崎市長を射殺している。 どうせジャップに現代宗教なんて起こせないんだからアニミズムに立ち返れ 人々に宗教が必要で宗教団体が必要なら宗教指導者も必要になる。
政治と宗教が切り離せないなら腐敗も切り離せない。 腐敗するのが常の政治と宗教にあって、
皇室も江戸時代の武士もなかなか人類が到達できる最高峰
だったんじゃないか。 あんたするどいな。酔狂で二百六十年の平和は続かない。 伝統的な神道を改竄した国家神道ではなく、伝統を守ってもよかったのでは ただ、郷士に、なんでわしゃあここまだ蔑まれんといけんかね、と思ったのが居る、幕末。 >>18
をれは、世界に仇成す宗教、それが国家神道、と見ているんでな。人類の敵。 80年代の空気を記憶してる人も少ないんじゃないかな。
あの頃は何も起きない退屈な平和が一生続くという絶望感があった。
まあオウム事件の研究の中にあったんだけど。 >>21
佐藤愛子/凪の光景、宮台真司/“終わりなき日常”
それらが壊れたのが、1993年、日本新党政権奪取。 キリスト教国家の真似したんだろう明治は。
誰が入れ知恵したのかは知らないけど。 宗教やりたかったら信奉してる神様本人が役所に届け出ないとダメってシステムにするだけで良いじゃん
役所に届け出も出来ないチンケな神様なんて居る訳無いし、出来ないなら全部違法カルトで良いよ >>24
長州は、イギリスと一戦交えて敗北し、そのとき藩士がのきなみ基督教に改宗したと聞いた。 日本は自然と死者を神とするから無理だな。
お釈迦様も2500年前にとっくに亡くなってる。 抗体としての伝統宗教は必要だなという気はしている
でもアレも偽物だからな どう見ても日本人の倫理観は仏教の影響でかいだろ
そこ認められずに国家神道に走ったのがそもそも間違い 悪魔の国hell japan😈👁では、東朝鮮皇国【カルト大魔界帝国】を応援してホルホルしないと非国民罪認定されますし、事実陳列罪や不敬罪や上級侮辱罪や聖帝侮辱罪というのがあって、罪を重ねるとカルトポアされますよ
悪魔の国のhell JOKER👿👁🃏という公営マフィアが送り込んだ刺客によってね…(フフフフ‥) これは本当
国教は必要
調べてると国家神道作る流れは本当に素晴らしかった
カルト駆逐していくとこも
教義システマチックに整えるとこも最高 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています