コロナが猛威を振るった2020年、政府は多くの補助金を出したが、一部の性風俗産業に従事する人にはそれが支払われなかったことが大きな話題を呼んだ。

【貴重写真】なんて美しい…明治・大正時代の女性たち
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 セックスワークをどう捉えるか、どう社会のなかに位置づけるは、その社会にとって、つねにきわめて重要な問題である。

 ところで、現代のセックスワークの問題をじっくりと考えるのにあたって参考になるのが、「遊廓」の事情だ。

 日本にとって「遊廓」とはなんだったのか。

 それを知るのに最適なのが、江戸時代の遊廓の実態をつぶさに描いた『遊廓と日本人』(田中優子著、講談社現代新書)である。

 遊女が置かれた厳しい環境、一方でそこから生まれた絢爛な文化など、日本史の陰影の一端をご覧いただこう。

「吉原言葉」の魅力
 江戸の遊廓と言えば、吉原言葉も名物です。多くの地域、特に東北から女性たちが来ていたので、吉原語を作ってしまって、これを遊女に覚えさせたわけです。守貞が挙げているのは「そうざます」「いやざます」「言いなます(言いなされますの意味)」「参りんした」「やりいんした」などです。「ありましょう」は「ありいんしょう」「ありいんす」などと表現しました。

 井上ひさしは『表裏源内蛙合戦』(1970)で、主人公の平賀源内に「吉原を吉原たらしめていたのは廓ことばだ」と言わせています。山東京伝も『通言総籬』の中で「よしておくんなんし。ばからしい」「きいした(来ました)」「じゃあおっせんかへ(~じゃあないか)」「お見せなんし」「お見なんし」「すかねへぞよぅ」「うれしうおす」などを実況中継のように記録しています。やはり廓言葉に大きな関心を示しています。

 人工言語によってコミュニケーションを可能にし、かつ統制する方法は近代に「標準語」として生まれましたが、多様な民族を国家としてまとめる時には諸外国でも人工言語を作っており、人が狭い共同体から外に出てコミュニケーションすることを考えた時には、必ず何らかの言語を母体にして人工言語が作られてきました。廓言葉は、言語の成り立ちに関する知的好奇心を掻き立てるのです。

 そこから考えた時、吉原のみに廓言葉が作られたのは、吉原が、日本全国から人が集まる「江戸」という都市にあったからで、そこで女性たちは土地の女=地女=日常の女性から、遊女=傾城=浮世の女=別世の天女に生まれ変わらねばならなかったからです。

 まさに都市とは架空の空間です。吉原は花がそこに咲くのではなく、花を持ち込んで季節を作るところでした。土地の祭りがあるわけでなく、吉原独特の祭りを芸者衆が作ったところです。すべてのものが創造され、仮構された別世界でした。そのことが、人を惹きつけてやまないのでしょう。

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