織田信長、意外とおれらみたいな人間には優しかった [745228721]
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■信長の人間的温かさ
ある年の春、信長は出陣した。尾張国を通過中、畑の脇を通りかかると、ポカポカ暖かいので、一人の農夫がいい気持ちで草の上で寝ていた。これを見た信長の部下が怒った。
「あの農夫はとんでもない奴です。ご領主様が、この国に住む人間のために戦(いくさ)に出掛けるというのに、見送りもせず大の字に寝て、高鼾(いびき)をかくとは許せません。血祭に斬ってしまいましょう」
と息巻いた。ところが、信長は笑ってこう応えた。
「止(や)めろ。俺の国では農民がいつもああいうように、高鼾で寝られるようにしたいのだ。それが俺の願いだ」
この言葉は、戦争好きといわれる信長が、実は日本に一日も早く平和をもたらしたい、という志を持っていたことを示すものだ。かれは、同時代人のニーズをよく知っていた。特に民衆が、
「一日も早く戦国を終わらせて、生命や財産に安心感が持てるような世の中にしてほしい」
と願っていることを知っていた。かれが、集団戦法や科学兵器を導入して、戦争終結のスピードアップをしたのはそのためだ。
■「この金で、この男に家を建ててやれ」
信長が、岐阜城を出て、京都に向かったことがあった。美濃(岐阜県)と近江(滋賀県)との境にある山中というところを通過したとき、一人の物(もの)乞(ご)いがいた。まるでサルのような姿になって、信長に手を差し出し、何かくれといった。信長はその男に聞いた。
「なぜ、こんな山の中でおまえは物乞いなどしているのだ?」
男は応えた。
「昔、この山中を通る落人の女性の着物を剝ぎ、持っていた金品を全部奪ったことがあります。その後、その女性がどうしたのか気になって、毎日苦しんでいるうちに、こんなサルのような姿になってしまいました。おそらく、天の罰が当たったのでしょう。ですから、里へ降りずに、その女性への罪を償うために、こうして物乞いをしているのです」
この時、信長はただそうかと頷(うなず)いただけで、通り過ぎた。が、京都からの帰り道、またサルのような姿をした物乞いに遭ったので、信長は付近の村人を全部集めた。持っていた金を出してこういった。
「この金で、この男に家を建ててやってくれ。そして残りで畑を切り拓き、穀物が実ったらその一部をこの男に与えてやってほしい。残りは、全部皆で分けてくれ。この男は殊勝な気持ちの持ち主なので、皆が優しくしてやれば、やがてはサルからもう一度人間に戻ることができるだろう」
■嬉しそうに笑った信長
信長の優しい気持ちにほだされて、村人たちは、必ずそうしますと誓った。一年後、信長がまた山中を通過したとき、辺りは見違えるようになっていた。そして、慈(いつく)しみ深い表情をした一人の中年者が走り出て、信長の前に手をついた。
「誰だ?」
聞くと、男は、
「あのサルの物乞いでございます」
といった。信長は驚いた。
「見違えたぞ。いったい、何が起こったのだ?」
「あなた様のおかげでございます。村の人たちが大変温かくしてくださり、いまはこうして村のためにいろいろと働かせていただいております。それと、いつかお話しした私が物を盗った女性が、この間たまたまここを通りかかりました。私は、あの時のことを詫びて、盗った物を全部返しました。女性は、そんなことはもう忘れたといってくれましたが、気持ちがスッキリいたしました。そんなこんなで、私の気持ちが洗われ、もう一度人間に戻ることができました。有難うございました」
これを聞くと、信長は嬉しそうに笑った。そして男に、
「よかったな」
といった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b5ae8a96251955b46fbc14bb41900249d438bdea 佐久間は手紙の文面通りに一兵卒で何処かで戦って武功を上げて挽回するか高野山にこもるかの二択を迫っただけ説もあるな
要は心を入れ替えてまた1から気合い入れて頑張れやっていう激励のつもり
これだったとするとショックで引きこもってすぐ死んじゃったからめちゃくちゃ後味悪かっただろうなw 信長がねねに宛てた数通の手紙とか見ると
寧ろ身近な女子供には優しかったようだけどね ・武田勝頼の首実験の時、織田信長は様々に罵り、杖で突き、その後足で蹴飛ばした。そして、この首を、徳川に送り付けた。家康は床几に座っていたが、聞くや床几から下りて「偏に若き故思慮なくかくならせ候」と礼を持って扱った。これにより、信濃、甲斐の侍たちは徳川になびいた。織田の家臣たちさえも「織田の運命ははや尽き果てなん。」と現実を目にしてつぶやいた。織田信長、信忠父子は「信玄一度京に赴かんと志しけると聞く。汝が首を京に送り、女童に見知られよ、と罵り」と伝える。小人は険を行いて、何を求めたか。武田の家臣団の怨恨を増した。一言ことを破り、国も失った。万人天下人として立つのを認めなかったということか。
常山紀談 上巻 (岩波文庫 黄 216-1) レビュー 童門 冬二って最近見ないけど歴史番組のゲストの定番だったな >>36
でも信長って弟に始まって浅井、武田、荒木、松永、光秀と戦国時代なのを差し引いても色んな奴に裏切られ過ぎだろ >>139
楽市楽座って企業優遇の新自由主義ってよりは戦国時代のメルカリみたいなもんだろ >>88
信長の越前一向一揆攻めに関しては
村人全員の一向宗からの改宗の誓約書と礼金持ってこい
来なければ村人全員皆殺しって厳命して
大量に雇い入れた低賃金の雑兵に
給料がわりに略奪と人さらいをさせてたからな
信長の後期は安価で大軍を揃えるためにこの雑兵を動員しては
各地で給料代わりに大虐殺を伴う略奪と人さらいをさせていた >>113
そもそも楽市楽座ってどんな内容かはわかってないし >>148
その話初めて聞いたよ
なんかそういう文献残ってるの? >>63
狂信者相手なんだからそりゃ根絶やしにするだろ
信長も一門衆に狙撃されて死にかけてるんだから命がけだ >>142
三河物語だと信長は勝頼の首に対して、
「日本にかくれなき弓取なれ共、運がつきさせ給いて、かくならせ給う物かなと御仰けり」
と一定の敬意を表してるけどな。 >>144
おそらく当時の感覚では部下にナメられるようなボンボンに見えたのではないかと 最近の「信長実は良い人だった説」は何なんだw有力な資料でも見つかったのか?
どうまた10年くらいしたらひっくり返るんだろうけどさw >>149
楽市と楽座は別物
あと信長以外の大名もちょくちょく開いてる >>58
それは秀吉の感想であって
村人達も気を遣った結果なんだから
俺は昔と変わらず大根が欲しかったって言えば済む話
税は元に戻すとか日本中の物が手に入るんだなんて
為政者の奢りでしょ
まあ村人と関白が直接やり取りすることなんてないだろうから
創作だろうけどね >>151
地域毎の銭の流通量で不公平になり非効率だった貫高制から全国一律になる石高制の導入
合戦における作戦や軍役規定などの細かい指示を書いた陣立書の導入
武家関白制による既存の武家権力の頂点だった幕府に頼らない名実共に全武将の頂点に立つ
私戦を禁止し中世特有の自力救済の社会を終わらせようとした
兵農分離と人身売買禁止令
ぶっちゃけ信長じゃなく秀吉の方が革新者で中世の区切りに相応しい
江戸幕府も秀吉の政策引き継いでるし 日本の歴史上
もっともタイムスリッパーが会いに来た日本人だっけ? >>157
お気に入りの家臣が討死したとかでこういう振舞いをすることもありうるのかね、本当だとしたら >>159
逆に最近俗説の殆どが否定されてる気がするわ
特にお蝶との関係には考えさせられたわ
子供ができなかったお蝶は一切記録に出てこなくなる
信長は側室を何人も迎え入れている
信長は本能寺の変の時も複数の女と乱行していたように女好き
信長はお蝶と仲睦まじかったどころかお蝶をスーパーないがしろにしてたと考える方が普通では?
とか >>110
日蓮宗には優しかったやろ
そないな事や >>160
それはちょっと違うよ
楽市令は六角、今川とか信長も楽市楽座を出す前にお触れを出してるしその楽市の内容も残ってる
けど楽市楽座が出された文書には楽市楽座として商売することって内容しか残ってないからどんな内容化は実際にわかってないの >>159
こういうのは史料が見つかったんじゃなくて
既存史料を偏った視点で見てるのがほとんど >>167
婚姻同盟中は斎藤家に援軍要請したり価値があったけど、その斎藤家も滅ぼして
子供もできないのではもう利用価値がないよね >>154
藤木久志あたりが詳しく書いてるよ
紀伊雑賀から織田軍に虐殺された子供を含めた数万人の死体が白骨されたり
不服従の高野山の一山殲滅を宣言して高野聖を見つけ次第殺害する命令を出して実際に沢山殺されたらしい >>167
濃姫は本能寺後も伊勢のボンボン信雄のとこいたわ言う資料出とらへんかったか >>163
信長は一般市民に100文で出来たばかりのお城を公開した。
人が殺到し石垣が壊れた逸話が残ってる。
当時の100文は現在だと約1100円程度
提灯でお城をライトアップするなどした >>157
そもそも勝頼の首蹴った言うんは家康上げのための創作やろ
家康は赤備え以下武田の残党吸収しよった経緯あるし >>179
木綿に優しい信長って秀吉に優しいだけじゃん 戦国大名は戦時に安全を保障する見返りに自治都市や村落共同体や寺社から莫大な礼銭を徴収して軍費に当てていたんだけど
信長は法外な額を要求することが度々あり
拒否した尼崎や上京を焼き討ちにしたり
近江の寺社も焼かれて略奪されている
伊勢長島の一揆も信長からの過剰な要求から村の権益を守るために抵抗したもので
信仰のためというより村落共同体の自治を守るために結束して徹底抗戦した 猿のような男が流暢に喋りすぎ
かなり寓話っぽく仕上がってる一方最初はふうんと去った場面みたいな無駄があって妙にリアリティ感じるところもあるな 身内に甘いを優しいと言っていいものかどうか
ただ権力者なんだから必要とあれば殺しまくる必要もあっただろうな 江戸時代が超平和な件
お前ら無知だから知らないだろうが時代劇みたいな切り合いなんてまず起きない
夜中は木戸番いたし 信長の前は三好長慶が戦乱で疲弊して民心が離れた畿内をまとめるために
村落共同体や都市の自治を尊重し
税の取り立ても穏やかにし
戦乱に村落を巻き込まないようにし
弾圧されていた一向宗や日蓮宗を保護して赦免させる等
当時では革新的な善政を敷いていた
キリスト教が畿内に定着したのも庇護した三好長慶の政治力が強大だったから
信長の初期は三好長慶の統治を踏襲したから評判がよかった >>179
なんだよそのオタクに優しいギャルみたいな言い方は >>184
江戸時代は北朝鮮みたいに民衆の不平不満を徹底して弾圧してた
から表面上平和になっただけ >>181
むしろジャップの民主主義的機運言うんを潰して回ったんがノッブ言えばせやな いやいや
かなり大量に殺したでしょこの人
少し良いことしたからokにはならんよ >>190
歌舞伎も時事ネタまんま扱うんは犯罪やった言うんは知られてへんのやろな
忠臣蔵も時代設定も人物も変えな上演できへんかった時代や >>191
そこまで極端じゃないけど
例えば一向一揆の村なんかでは
本願寺から派遣されてきた住職を村の合議で交代させたり
信長と本願寺との戦いでも一揆の合議で本願寺ではなく信長についた村もたくさんある
信仰は大切だけどもより村の自治や存立が優先されるのが普通で
狂信者だから殺すしかないなんてことは全然なかった >>184>>190
時代の違いじゃない?
江戸時代初期なのか前期は治安が悪かった
末期なんかは武士はただの上流階級で戦闘力ゼロ >>193
いや、変えれば上演できたっていう方が正しいんじゃ 今の中国みたいなもので
日本は言論の自由があると言っても、中国とどっちが自由かわからない
日本では政治的デモなんか公安の監視でできないからな >>55
何度読んでも信長の権六好きが垣間見えて微笑ましい
さすが筆頭家老なだけのことはある >>198
中国言うんは実力主義言うんか割と上にも意見できよる社会でええんやったか 石山合戦で本願寺が頑強に抵抗したの理由の一つは
信長に敗れて滅ぼされた村々の一生き残り多数が復讐に燃えて本願寺に入城していたので
法主の一存では信長とは和睦しにくい空気になっていたからとも言われている
本願寺の法主は門徒への影響力は大きいけど
門徒の意向を無視できるような独裁的な力は持ってなかった
これは本来信長と家臣の関係もそうなんだけど
増長して家臣を軽んじてたか転びに転んだのが本能寺の変 >>49
安倍総理と外遊中のニューヨークでこんなことがあった。
総理が突然、洋服店に入った。ネクタイを3本選び、「萩生田君も買えよ」と言うから、1本選んだ。
総理はその4本を手にレジに向かったが、大きな声で「俺、ドルを持ってなかった」と言われ、私が払った。
「すぐに返す」と言われたが、その日、その次の日も返す気配はなかった。
帰りの飛行機に乗る前、ネクタイ代はプレゼントすると伝えた。そしたら、
「ごめんね。日本円に換算したらいくら?」と面倒なことを言うので、贈り物にすると伝えると、
「萩生田君とアメリカに来た思い出。このネクタイ大事にする」と言ってくれた。
この10日後、国会の廊下で、このネクタイを着けた総理と会った。
ネクタイをほめたら、「誰かにもらったんだよ」。それは私があげた、と申し上げた。
(自民党千葉県連の会合でのあいさつで)
https://www.asahi.com/articles/ASM6853D4M68UTFK003.html 石山後にできよった大坂も徳川と和睦したい豊臣と強硬派の牢人衆の間で軋轢ありよった言うな >>144
最近の研究で1番裏切られてショックだったのは足利義昭説が強いよな
義昭に全て捧げてきたのに裏切られて信長御乱心
義昭も信長の野望のせいで武力弱々ってイメージだけど
戦歴見てたらかなり戦達者でびびる >信長様は人から恐れられはしたが、愛されることはなかった。
ケンモメンかな? 信長の畿内制覇で最も重要な活躍をしたのが荒木村重で
全国で群を抜いて豊かだけど国人や村落共同体の力が大きく統治しにくい摂津国を
抜群の才覚とカリスマで短期間でまとめあげる離れ業を成し遂げるんだけど
信長からの度重なる過重な軍役と
反発する国人と村落共同体との板挟みになって
結局は摂津国の国人一揆や村落のリーダーとして
信長からの離反をせざるを得えなくなったと言われてる
信長は生まれながらの守護代家のプリンスなので
百姓は武士に逆らうなら殺せばいいという考えだったみたいだけど
人身の機微に通じた荒木村重や羽柴秀吉が
百姓を宥めるためにどれだけ苦労してたかは分からなかったみたい 信長の長島一向一揆の虐殺が本願寺の頑強な抵抗を招き
本願寺を押さえるために畿内の領主に課された重い軍役負担が
公方の足利義昭や河内の三好義継大和の松永久秀らの離反を招くという負のスパイラルに陥っていくんだから
信長は百姓の力を見くびって滅びるべくして滅んだとも言えるね >>205
公方は山城国の領主で畿内の名目上の主だったので
畿内の百姓が信長の軍役に苦しめられ
その領主が百姓の突き上げを食らって反信長に傾いたら
畿内の主としては信長との対決を選ぶか
公方の座を捨てて逃亡するかの二択だったように思います
信長は岐阜にいるけど三好や松永はすぐ側で京に進軍できるとこにいたから >>189
柴田勝家で合ってる
信長の愛着が伝わってくるよね 信長は日本統一とか考えていなくて、家康のとこに遊びに行ったり隠居したりは、人生50年の目標達成したからあとは信忠に継げばよいと考えていた説 実は長島一向一揆が信長に頑強に抵抗したのは
先に徳川家康に米を盗まれて激怒した三河一向一揆が家康と戦って
和睦後に約定を反故にされて寺院を破壊されて長島に移住してきていた門徒が
武士は絶対信用ならんと説いてまわったからという話があって
家康ほ腹黒が信長の寿命を縮めたともいえる >>200
権六もかつて信行派で信長排除しようとしていた派閥と考えれば
信長の器の深さわかる逸話でもある >>55
> 信盛退任後の畿内方面軍軍団長に就任することになったのは明智光秀であり、(略)旧佐久間軍団は本能寺の変の実質的実行部隊となった。
明智軍記には佐久間らへの情け容赦ない処分を引き合いに出して、明日はわが身と家中が反乱に傾いたという記述もあり、これが事実であれば動機面での影響もあったことになる。 Wikipedia お上にくっそ腰低いし臆病で慎重派だしこいつ絶対陰キャだぞ >>195
信長の課した税や軍役がそれもでよりも重かった数字というか資料みたいな物はあるの?
比叡山焼き討ちも山科公家日記だかで悪逆非道なんて書かれてたけど、当時は寺の焼き討ちなんて珍しくなかったのが判明したしなあ >>130
安藤守就は悲惨すぎる…
遊撃隊として各地を転戦してすり潰されたと聞く >>205
最近の研究っていうかyoutubeでなんか動画見ただけだろ! >>205
足利は暗殺された兄さんが剣豪だったから比べられちゃう。
結局手紙で包囲網築けるほど暗躍した手腕は凄いとは思うけど、傍から見たら上洛時に織田に泣きついたくせに
自分が戦場で戦わずに、こっそり暗躍して恩人を裏切る卑怯なヤツって言うイメージが定着した。 >>63
おじーちゃん、武装したオウムや統一教会信者みたいなキチガイ相手だから
当時はそれぐらいするのは当然なのよ >>3
秀吉が批判した信長の欠点ってそのまま秀吉にも当てはまると思うけどな
高台院の家系の木下家には秀吉は大変しつこい性格だったという言い伝えがあるそうだし
異常な執拗さは聚楽第の門に落書きした者への処罰、秀次事件、遺言状にもあらわれている >>217
ありますよ
村落共同体への課役ってのは限度が決まってて
それ以上は村の側が拒否する権利が当然あって抵抗するんです
当時の畿内は一村一城というくらいそれぞれの村落が武力をもって自衛していて
さらに一揆で村同士が結びついてるんで
畿内の領主は対応を誤ると下剋上されるプレッシャーに晒されていたんです
三好松永は長く畿内にいたのでその怖さを知っていますが
信長はあまり考えなかったようです
寺院の焼き討ちはあっても
さすがに比叡山焼き討ちってのは普通ではないですよ
中世において日本の思想の中核にあったとこだから >>55
佐久間温存しとけば本能寺もなかったろうし
本能寺で撃たれても信忠まで死んで織田家失墜することもなかったろうにな
まあ権勢強すぎてあそこで切っとかないと面倒くさいことにはなったかもしれんが >>225
限度が決まってたのか、知らんかったー
家康や信長が「その限度を超えた徴収をしてた」って一次資料は? ノブは秩序や正義を重んずる性格
家康は約束をまもり上下関係に異様に律儀な性格
秀吉は残忍で暴君
これが最新の研究だからな >>217
>悪逆非道なんて書かれてたけど
詰まる所はフロイスの大名Disみたいなポジショントークでしか無いのだけど
東大寺ないし比叡山らへんの(帝や法王の“歴史的な”お墨付きを受けてる)本山焼かれたら
直でその威光・恩恵に預かってたり父祖の菩提や寄進がどうの~…で繋がってる
貴族連中的にはそら当然けしからん・何してくれとんや・頭湧いてんのかって勢いでキレる >>159
なんだかんだで日本史上トップクラスの知名度だから
名を売りたい歴史関係者はいろいろ逆張り本出し続けるだろうな >>130
重度の歯痛説が面白かったな
派の痛みがひどい時は機嫌が悪いという 家康って約定は守るけどその約定にどうとでも取れる一文書いて
後から諸々総取りする 非常に官僚的な思考する人なんだっけ 家康は血気盛んな若い頃と諸事情あって長男を殺すことになった後ではキャラ変わったみたいな風 何がきっかけかは見立てが色々あると思うけれど、家康は年令によってキャラ(表向きの?)が違うの面白い >>155
狂信者なら殺しても良いという考えが狂ってる、
しかも信長は女子供まで殺しまくってるんだぞ、
普通に信長は極悪人だぞ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています