織田信長、意外とおれらみたいな人間には優しかった [745228721]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
■信長の人間的温かさ
ある年の春、信長は出陣した。尾張国を通過中、畑の脇を通りかかると、ポカポカ暖かいので、一人の農夫がいい気持ちで草の上で寝ていた。これを見た信長の部下が怒った。
「あの農夫はとんでもない奴です。ご領主様が、この国に住む人間のために戦(いくさ)に出掛けるというのに、見送りもせず大の字に寝て、高鼾(いびき)をかくとは許せません。血祭に斬ってしまいましょう」
と息巻いた。ところが、信長は笑ってこう応えた。
「止(や)めろ。俺の国では農民がいつもああいうように、高鼾で寝られるようにしたいのだ。それが俺の願いだ」
この言葉は、戦争好きといわれる信長が、実は日本に一日も早く平和をもたらしたい、という志を持っていたことを示すものだ。かれは、同時代人のニーズをよく知っていた。特に民衆が、
「一日も早く戦国を終わらせて、生命や財産に安心感が持てるような世の中にしてほしい」
と願っていることを知っていた。かれが、集団戦法や科学兵器を導入して、戦争終結のスピードアップをしたのはそのためだ。
■「この金で、この男に家を建ててやれ」
信長が、岐阜城を出て、京都に向かったことがあった。美濃(岐阜県)と近江(滋賀県)との境にある山中というところを通過したとき、一人の物(もの)乞(ご)いがいた。まるでサルのような姿になって、信長に手を差し出し、何かくれといった。信長はその男に聞いた。
「なぜ、こんな山の中でおまえは物乞いなどしているのだ?」
男は応えた。
「昔、この山中を通る落人の女性の着物を剝ぎ、持っていた金品を全部奪ったことがあります。その後、その女性がどうしたのか気になって、毎日苦しんでいるうちに、こんなサルのような姿になってしまいました。おそらく、天の罰が当たったのでしょう。ですから、里へ降りずに、その女性への罪を償うために、こうして物乞いをしているのです」
この時、信長はただそうかと頷(うなず)いただけで、通り過ぎた。が、京都からの帰り道、またサルのような姿をした物乞いに遭ったので、信長は付近の村人を全部集めた。持っていた金を出してこういった。
「この金で、この男に家を建ててやってくれ。そして残りで畑を切り拓き、穀物が実ったらその一部をこの男に与えてやってほしい。残りは、全部皆で分けてくれ。この男は殊勝な気持ちの持ち主なので、皆が優しくしてやれば、やがてはサルからもう一度人間に戻ることができるだろう」
■嬉しそうに笑った信長
信長の優しい気持ちにほだされて、村人たちは、必ずそうしますと誓った。一年後、信長がまた山中を通過したとき、辺りは見違えるようになっていた。そして、慈(いつく)しみ深い表情をした一人の中年者が走り出て、信長の前に手をついた。
「誰だ?」
聞くと、男は、
「あのサルの物乞いでございます」
といった。信長は驚いた。
「見違えたぞ。いったい、何が起こったのだ?」
「あなた様のおかげでございます。村の人たちが大変温かくしてくださり、いまはこうして村のためにいろいろと働かせていただいております。それと、いつかお話しした私が物を盗った女性が、この間たまたまここを通りかかりました。私は、あの時のことを詫びて、盗った物を全部返しました。女性は、そんなことはもう忘れたといってくれましたが、気持ちがスッキリいたしました。そんなこんなで、私の気持ちが洗われ、もう一度人間に戻ることができました。有難うございました」
これを聞くと、信長は嬉しそうに笑った。そして男に、
「よかったな」
といった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b5ae8a96251955b46fbc14bb41900249d438bdea
■信長の国では強盗も人殺しも出ない
信長が治めた岐阜や安土は、道路や橋が整備された。今でいえば、都市基盤が整備された。
それだけではなかった。信長の治める国では、絶対に強盗や人殺しが出なかったという。だから、夏でも住む人々は窓や戸を空け放したまま寝ることができた。また、旅人が木の陰で寝込んでしまっても、持っている荷物を盗む者は誰もいなかった。
こんなところにも、信長の意外な優しい一面がうかがわれる。かれが若い頃、その“うつけ”ぶりを発揮していたのを悲しんで、傅役の平手政秀が諫死した。信長はひどく傷付き、事あるごとに空に向かって政秀の霊に、「政秀、元気か?」などと呼びかけた。これも、かれの意外な一面である。
信長は本当はそういうふうに優しい一面を持っていたが、何しろかれが歴史に対して果たさなければいけない役割は、「日本の古い価値観の破壊」だったので、ゆっくりしていられなかったのだろう。かれは時代の疾走者であった。そのため、いろいろ誤解が生まれた。
■意外に冷たい秀吉
巧妙なオダテ型リーダーであり、人情家であった秀吉に、意外と冷たい面があった。
かれの出身地は尾張の中村だ。天下人になった時、出身地である中村の住民たちが、秀吉のところに、大根と牛蒡(ごぼう)を持って来た。大根と牛蒡は中村の名産品である。秀吉は喜んだ。
「これからも毎年、年頭の祝い物として大根と牛蒡を届けてくれ。その代わり、中村に対する税は免除しよう」
といった。農民たちは喜んだ。その後秀吉が関白太政大臣になった時、農民たちは悩んだ。
「人民として最高の位に就いた秀吉様に、今度の正月の祝い物が、相変らず大根と牛蒡でいいのか?」
ということである。相談した村人たちは、結局、「大根と牛蒡を止めて、今年からは越前の綿をお持ちすることにしよう」と決めた。越前の綿は当時大変な貴重品だったからである。
早速、越前に走って高い綿を買い、秀吉のところに届けた。すると、秀吉は顔色を変えた。怒ってこういった。
「馬鹿者、なぜ越前の高い綿など俺のところに持って来るのだ。いまの俺は、日本中欲しい物は何でも手に入る。俺が欲しかったのは、土だらけの大根と牛蒡だ。生まれ故郷である中村の素朴なおまえたちの気持ちだ。それを、俺が少し偉くなったからといって、変な勘繰りをし、こんな品物を持って来る。それだけの余裕があるのなら、今年からは他の村と同じように税を課する。いいな?」
その時の秀吉の顔はまさに鬼のようで、中村の農民たちは震えあがった。そしてつくづく自分たちの心得違いを悟った。が、秀吉は許さなかった。その後、生まれ故郷である中村も例外としないで、普通の税を掛け続けた。
■秀吉が批判した信長の欠点
信長が死んだ後、秀吉は信長についてこういっていたことを振り返りたい。
「信長様は、勇将ではあったが良将ではない。いったん他人を憎むと、その恨みは最後まで続いた。その人間だけでなく、家族も根絶やしにしなければ気が済まなかった。信長様は人から恐れられはしたが、愛されることはなかった。明智光秀が反乱を起こしたのもそのためだ」
秀吉は、信長に発見されたからこそ天下人への道を辿れた人物だ。信長を絶対の主人と考え、信長の履く草履を胸に抱いて温めるほどの忠義ぶりを尽くした。あれだけ側(そば)にいて、信長の全人格を知り尽くしているはずなのに、こういう批判を加えている。ということは、信長の温かい面が、やはり秀吉にも完全には理解されていなかったことを物語る。ということは、逆に秀吉の人間洞察力にも限界があったということである。 基本的にみんなそうだよね
見下せる人間には優しいよね 最新研究によると信長って大したことない凡人だったらしいよ
■「部下の私があなたをクビにするのです」
秀吉に、「主人は一年、部下は三年」という言葉がある。これは、秀吉にいわせれば「主人が部下を駄目部下かどうかを見抜くのは一年、反対に部下が主人を駄目主人かどうかを見抜く期間は三年だ」ということである。
秀吉は若い頃浜松に行って、松下嘉兵衛という今川家の部将に仕えた。要領のいい秀吉は間もなく、会計責任者になった。ところが、これに嫉妬した古い松下家の部下たちが、
「秀吉は金を盗んだ」
と噂を立てた。困った松下は秀吉を呼んで、
「噂が噂だということは知っている。しかし、自分は古い部下たちも大事にしたい。悪いが、おまえは新参だ。退職金をやるから出ていってくれ」
といった。この時秀吉はこう応じた。
「出ていきますが、あなたが私をクビにするのではありません。部下の私があなたを駄目主人とみなしてクビにするのです。退職金はいりません」
これは、主人が部下を選ぶ権限があるのと同様に、部下の方でも主人を選ぶ権限があるということをいったものだ。つまり、“下剋上”の思想を、秀吉もはっきり持ち、実行していたことを物語るエピソードだ。
■家康が「手柄を立てた武将」をクビにした深いワケ
部下思いの家康に、こんな言葉がある。
「水はよく船を浮かべる。しかし、またよく覆す」
鋭い言葉だ。水を部下、船を家康に置き換えると、意味がはっきりしてくる。つまり、家康にとっては、「部下というのはそれほど油断のならないものなのだ」ということだ。かれの部下管理法は、人情一辺倒だったわけではない。相当に知的な工夫が凝らされている。
ある合戦で、ある大名の旗本が敵の大将の首をとって、真っ先に家康のところへ見せに来た。
家康はその旗本を誉めた。が、こんなことを聞いた。
「おまえが敵の大将と戦っている時、おまえの主人は何をしていたのだ?」
旗本はちょっと考えたが、
「さあ、戦いに夢中になっていてわかりませんでした」
と応えた。家康はそうかと頷いた。旗本が去ると、家康は使いをやってその大名を呼ばせた。そして、
「さっき自分のところに首を見せに来た旗本をクビにしろ」
といった。
大名はビックリした。
「あの男は大変な手柄を立てて、あなた様からもお誉めの言葉を頂戴した者です。これから重く用いたいと思いますが」
「いや」
家康はクビを振った。
「旗本というのは、どんなことがあっても必ず主人の側(そば)にいて、守らなければならない役割を負っている。それを乱戦になったからといって、自分から敵の大将の首を取りに行くような旗本では役に立たない。もし、その間にあなたが殺されたらどうするのだ? そんな旗本は自分の責任を放棄しているのだ。クビにしなさい」
大名はいまさらながら家康の厳しさに背筋を寒くしたという。
■家康の硬軟使い分けの妙
家康が岡崎城主だった頃の話だ。夜になると城には宿直者が泊まった。三人で一組だった。ところが、三人は相談して、一人が残り、二人は近くの花街へ遊びに行く慣わしにした。
ある夜、いつものとおり二人が花街に行ってしまうと、家康が入ってきた。残っていた一人はビックリした。真っ青になった。家康は「他の二人はどうした?」と聞いた。家康はすでに、宿直者の三分の二が遊びに出掛けていることを知っていた。嘘がつけず、残っていた宿直者は、実はこうこうだと白状した。
家康は、その宿直者の肩を叩いてこういった。
「おまえは馬鹿だな。なぜ、一緒に遊びに行かないのだ? 今夜は俺が宿直をするから、おまえも早く行って遊んでこい」
真っ青になった宿直者は、遊びに行った二人のところに飛んでいった。二人も真っ青になって帰ってきた。家康は、しかしニコリと笑うと、
「これからは気をつけろよ。まだまだ油断ができない世の中だからな。今夜のことは忘れよう」
といった。
こういうように、硬軟使い分けをするところが、家康の人情の機微に触れた心憎い管理法だったのである。
童門 冬二(どうもん・ふゆじ)
歴史小説家
東京都企画調整局長、政策室長などを歴任し、1979年に作家として独立。著書は『小説上杉鷹山』『異説新撰組』『小説二宮金次郎』『小説立花宗茂』など多数。
---------- 戦争してたやつを美化するのってヒトラーを美化するのと同じだと日本人はいつ気づくのか ハゲにはキンカン頭呼ばわりしながら引き回すから厳しいけどな >>8
じゃあチャーチルやルーズベルトを称賛するのもやめないとね だって何度も裏切った家臣を最後まで許してやろうとしたんやろ? 信長も秀吉も京都や大阪を再興したのもあって民衆人気は高かったんだよ
徳川の雁字搦めの幕藩体制の方が不満を抱えまくってた 寝てた農民を血祭にあげようとした配下が
秀吉だろうなということは想像できる 安倍さんもそういうところあったよね?
だからってなんだという話 会社でもいるじゃん
普段ブチ切れまくったり
ブラック発言しまくる人が飲み会とかだと
妙に優しかったりってあれでしょ
逆に秀吉の例で言うといつも落ち着いていて
無理強いはしない人なんだけど
理に合わないと平気で見捨てる人もいるな 弟の反乱は一回目では殺さず二回目で殺したとか、わりと優しい >信長の温かい面が、やはり秀吉にも完全には理解されていなかったことを物語る。
>ということは、逆に秀吉の人間洞察力にも限界があったということである。
信長に会ったことも無いのに自分の方が秀吉よりも信長のことを理解しているというこの自信はどこから来るんだ つか意外に冷たい秀吉とか言ってるけど、これ仮に史実だったとしても秀吉が正しいような はい嘘~
>気持ちがスッキリいたしました。
あの時代にスッキリなんて言葉存在しませ~ん >>33
そんな酷いことされて忘れたとかはないやろー
健忘症かよw 俺が働いてるのに寝るなんて!たたっ斬れ!とでもいいそうだが 400年後、安倍晋三のほっこりエピソードもこんな感じで残ってそうだな >>38
合理という観点からすると最初に税を
特別に軽くしたのが間違いだな
ただ鬼のような形相でキレるような事ではないな
まあ創作なんだろうけど 童門 冬二とか言う作家は何十年もこんな嘘松やり続けてきたのか? 佐久間へ👹
お前だめじゃん、全然だめじゃん。👹
7か国の与力集めて5年間かけて結局お前、なんも出来なかったじゃん。👹
秀吉や光秀あんなに手柄建ててるのにここずっと手柄立ててないよな?👹
できないのはしょうがないよ、でも出来ないなら俺に相談するなりなんなり出来るだろ?それなのに何もしないで包囲してただけじゃん。👹
しかも与力を酷使して自分の直臣なんか全く増えてないだろ?👹
あ、そうだ。👹
水野信元の領地お前にやったらそこの連中みんな追放したろ?あいつらすげー強くて見込みあったんだぞ。👹
岡山某って水野の組頭なんか妹が遊女にまでなって露頭に迷ってたのを勝三に召し抱えられたらもう兜首3つで俺は感状書いたくらいだ。👹
あ、感状といえばお前、俺からこの17年間で一度も感状貰ってないだろ?真面目にやってたんか、本当に。👹
光秀や秀吉見ろよ、俺は感状何枚書いたかわからんくらい書いてるぞ、お前どうなってるんだよ?👹
お前は確かにもう隠居考える時期かもしれんけどな、お前よりも年取ってる権六なんかすげー頑張ってるぞ。🤤
そういえばお前の跡取りの信栄な、本当に評判悪いぞ。👹
あいつに跡継がすのか?俺の直臣でもある与力に横柄な態度とるとかおかしいだろ。👹
権六なんか跡取りの話もせずに権六頑張ってるぞ。🤤
いや、たまには負けるけどな…加賀でそういえば最近も負けたな、権六。🤤
でも権六は頑張ってる。勝ち負けじゃないんだよ、勝ち負けじゃ。やる気なんだよやる気。お前はやる気が感じられないし。👹
とにかく今のままじゃ話にならん。👹
信盛よ、こうなったら、
大手柄立てるか、
切腹して詫びるか、
改易されてどっかに逃げるか、
3つに1つだぞ、よく考えろや。👹 ノブ「楽市楽座!」
家屋「関所!参勤交代!橋作るな!」
信長の治世が続いてたら、日本で産業革命が起きたんちゃうか
めっちゃ惜しい 信長って自分からは裏切らないし部下の裏切りも一度だけなら許す事が多い
激情タイプなんだろうけど根は優しいのかもしれない >>51
いや生まれ故郷の人でさえ真意を理解してくれてなかったのを知ったら普通に絶望してぶち切れるやろ
昔なじみの、損得抜きで情で付き合ってると思ってた人達に高価な物を求めていると思われたんやで あべは銃弾に倒れながら「この金でSP達に家を建ててやってくれ」と言ったという >>59
最後の力振り絞って女子高生のパンツ見たいって能力使ってたやろあいつ 伊勢長島で2万人、越前で1万人、伊賀で3万人の老若男女を虐殺したやつが優しいわけないだろうに
家屋に押し込めて焼き殺したとか何千人も釜茹でしたとか、そういうことをしっかり出さないから勘違いするやつが増える
何が変革者だよバカじゃねーの こういう歴史研究が進んで嘘だとわかってる逸話とか
いまどき平気で混ぜていけしゃあしゃあと記事にするライターってなんだろね 歴史をあれこれ考察するのはいいけど
世界観を現代に流用したり、自分が武将になった気がしてる馬鹿な人達が嫌いなので
歴史嫌いだわ
人殺しの王様だし >>55
これ可愛がってる部下を奮起させる為に書いたのにその部下がビビって逃げちゃったんだっけ? >>57
親の信秀が今川から騙して城を取ったり酷い奴だけど信長は普通に優秀な信秀の跡取りというだけで天才という程では無い説もあり >>63
でも桜を見る会の参加者は安倍さんはいい人だって
みんなそう言ってる
研究が進めば日本を破壊した張本人と
歴史に記される人物でもこれ >>36
しかもその遺児も信忠に次ぐレベルの重臣扱い >>36
本能寺の変後に飛び交った怪文書見ると津田の名前が出てくる率高くて草 なんで今ごろになってこんな詳細なエピソードが出てくるんだ
怪しいな 現在基準で言えば戦国大名みんな極悪人の中、信長はかなり優しい部類だろうな
ただ自分で切り取った領土がダントツなせいで、殺した人数だけ多くなって残酷だと勘違いされる
秀吉家康とかは臣従すればよしでなあなあの全国統一なので以外と自力で領土を切り取ってないし
他の大名は信長と違って全然領土増やしてないから人を多く殺しようがない
専門家ですら信長は残酷だと勘違いしてる奴が多いからな、さすがに最近はそんな学説古いままの奴は減ったが >>63
ゲリラ戦のような戦い方したからじゃないの 身内にはかなり甘いのは事実だろうな
信長は割と家臣に裏切られては許したりしてるし 逸話は逸話だからなぁ
ノブの部下達を見てみると、ノブの為に命を賭けた家臣やその遺族は大事にする、裏切った奴も翻意させた方がお得と思えば手を差し伸べるし重用はするけど危ない、裏切って徹底抗戦した奴は割と一族皆殺し
家康の必死さはノブとの付き合いの深さでノブのそういう所を知り尽くす程に良く知ってるってこったな 晩年はすることないのかアホみたいに鷹狩りしまくってるけど何がそんなに面白いんだあれ 本当にあったとしても事実は2-3割で
残り7-8が創作 まぁ信長が生きてたら日本の近代化はもっと早かったとは思うけどね
西洋の文化をガンガンに取り入れて、下手したら1600年くらいで日本国民みんなが洋服着てたかもしれない >>63
そりゃ何度も門徒として反乱したら根切りにされるでしょ
兵隊以外が竹槍持って戦争してたみたいなもんだよ >>87
ドラマとかで作られた信長の虚像に騙されてる典型的なバカだな こういうストーリーって週刊誌のエロ文士の人が本業でやってそう 童門冬二は有名で知識あるけどその知識古いんじゃないの 江戸時代の話だけど、切捨て御免はなかったとか言ってるけど、実際には通り魔的殺人が日常茶飯事だったのかね
江戸が大都会だったからか
> 辻斬りをする理由としては、刀の切れ味を実証するため(試し斬り)や、単なる憂さ晴らし、金品目的、自分の武芸の腕を試すためなどがある。
> 『八十翁疇昔物語』(※1837)によれば、番町方の屋敷と、牛込方の屋敷とのあいだは、道幅100余間(※180m)もあり、草の生い茂った淋しい原であったので、毎夜辻斬りがあったという。 辻斬 - Wikipedia んな後日談信長公記にあったかなあ
とにかく経済活動乱す奴は嫌ったみたいだがな >>85
鷹狩は現代だと社長や政治家がゴルフで密談するようなポジだったのかも 信長は暖かいはずだ
信長をもっともよく知る秀吉が、信長は非情だと評した
秀吉はバカだ
↑クソボケ ID:f8U2FUOl0 >1
ID:bn7VjEI60
おいおい、当時の、一向一揆軍団なんて、
南無阿弥陀仏を、連呼しながら、ゾンビみたいに、前進してくる、
太平天国の大乱
インドで19世紀に、
イギリス軍に、全滅させられた、
タギー暗殺マニアック教団
オウム真理教 テロ団
アメリカで、1993年に、テキサス州ウエーコ包囲で、
FBIと、州兵に、全滅させられた、
ブランチ ダヴィデアン教団
太平洋戦争末期の、カミカゼ バンザイ突撃 マニアック、日本軍
IS ボコハラム タリバン
こういう、狂信妄真 マニアック
重武装カルトだろw クズだからな信長
クズ要素のある人間には同情する
というだけ
時代がクズを求めてたということ
戦国時代だからな 無辺と言う諸国行脚の客僧が石場寺は栄螺坊の在所に現れ居住すると、次々に奇跡を起した。
無辺が、大切な秘法を授かったと吹聴すると、心づけを捧げ、噂の秘法を授かろうとする男女が昼夜門前に立ち暮らす程の騒ぎとなった。
信長公は、その無辺の噂を耳にし、『その仁体を見たい』と仰せられ
天正八年三月二十日、安土城の御厩へ呼び出した。
信長公は先ず『客僧の生国は何処ぞ?』と尋ねた。
無辺は『無辺(何処でもない)』と答えた。
信長公が『唐人(中国)か天竺人(インド)か?』と尋ねると無辺は唯『修行僧』とだけ言った。
すると信長公は
『人間の生国は、三国(唐・天竺・日本を指し世界の意味)以外には無い筈である、何処の生まれでも無いとは不審である』
『さては、化け物か! 然らば、炙って見るか』と言い
『火の仕度をしろ』と家臣に命じた。
その一言に恐怖した無辺は『出羽の羽黒の者』と、その生国を言った。
信長公は『やはり売僧であったか』
『おぬしの卑しさたるや、山賤(山仕事を生業とする身分の低い人)にも劣る』
その卑しい身なりで『女子供を騙し、無駄に金を使わせるとは曲事なり!』
『この上は、無辺に恥をかかせよ』と命じて、僧侶らしからぬ長かった髪を所々ハサミで切り落し裸にしたうえで縄を懸け、町で晒した後、追放した。
しかし、後々良く調べさせた所、無辺は『丑時(夜中の秘法)を伝授する』と言っては子宝に恵まれない女や病気の女に対し『臍くらべ』と言う秘儀
(現代でも宗教関係者が女性信者に良くやる卑猥な秘儀)
を行っていた事が分かり信長公は激怒なされ『先々の為だ』と分国中の国主達に命じて、追っ手をかけさせた。
やがて捕らえられた無辺を召し寄せ、自ら糾明し、誅(処刑)した。
その後、無辺を泊めていた宿坊『栄螺坊』に対して信長公は
『何故、城周りにあの様な徒者(いたずら者)を置いていたのだ』と問うと
『石場寺御堂の雨漏りを直したき故、無辺が集めてくる勧進(修復の為の寄付)欲しさに置いておりました』と答えた。
それを聞き、信長公は銀三十枚を与えた。 信長が部下に送った手紙がパワハラすぎる [無断転載禁止]©2ch.net
0001 名無しさん@涙目です。(禿)@無断転載は禁止 [IT] 2017/08/15 19:41:12
お前全然だめじゃん、7か国の与力集めて5年間かけて結局お前、なんも出来なかったじゃん
秀吉や光秀あんなに手柄建ててるのにここずっと手柄立ててないよな?
できないのはしょうがないよ、でも出来ないなら俺に相談するなりなんなり出来るだろ?それなのに何もしないで包囲してただけじゃん
しかも与力を酷使して自分の直臣なんか全く増えてないだろ?
あ、そうだ、水野信元の領地お前にやったらそこの連中みんな追放したろ?あいつらすげー強くて見込みあったんだぞ
岡山某って水野の組頭なんか妹が遊女にまでなって露頭に迷ってたのを勝三(鬼武蔵)に召し抱えられたらもう兜首3つで俺は感状書いたくらいだ
あ、感状といえばお前、俺からこの17年間で一度も感状貰ってないだろ?真面目にやってたんか?本当に
光秀や秀吉見ろよ、俺は感状何枚書いたかわからんくらい書いてるぞ、お前どうなってるんだよ?
お前は確かにもう隠居考える時期かもしれんけどお前よりも年取ってる権六なんかすげー頑張ってるぞ
そういえばお前の跡取りの信栄な、本当に評判悪いぞ、あいつに跡継がすのか?俺の直臣でもある与力に横柄な態度とるとかおかしいだろ
権六なんか跡取りの話もせずに権六頑張ってるぞ。いや、たまには負けるけどな。加賀でそういえば最近も負けたな、権六
でも権六は頑張ってるぞ、勝ち負けじゃないんだよ、勝ち負けじゃ、やる気なんだよやる気、お前はやる気が感じられないし
とにかく今のままじゃ話にならん
信盛よ、こうなったら大手柄立てるか、切腹して詫びるか、改易されてどっかに逃げるか、3つに1つだぞ、よく考えろや すげえな信長関連の逸話は読んでて楽しいわ
日本の三国志ポジだろ >>107
当たり
『十八史略』の鼓腹撃壌が元ネタだと思う サルのくだりはいくらなんでも創作臭いw
蛇足って言うんだろこういうのw 信長はムラがね
弟とか松永も一回は許してるしかと思えば突然追放されたり 比叡山とかで女子供まで皆殺しにした織田信長がねぇ
やはり悪人だな この手の逸話は基本的に尾ひれが付きまくって原形を留めてないデマ話
酒を飲ませてヤマタノオロチを不意打ちした素戔嗚尊
女装して敵陣の宴に忍び込んで敵将を暗殺した大和タケル
当時御法度だった漕ぎ手を攻撃して壇ノ浦の戦いに勝利した源義経
戦国大名は言うまでもなし
人類の歴史は自分以外の命などお構いなしのクズ共が作り上げたものだ 信長が幕府ひらいていたらアメリカみたいな国になってないかな 織田信長は批判するやつは皆殺しにするから最悪な国になってただろう 松永久秀の件見れば裏切り者に優しいだろ。
だから本能寺が起こったんだよ。 信長と20回近く会見し親交を深め
かなり信長贔屓のフロイスでさえ
信長は正義感が強く几帳面で理知的日頃は穏やかと言いながら
一度激昂したら恐ろしく部下を恐怖で支配し全く信仰心もなく
交戦的で冷徹だと言い切ってるから
まぁそういう事なんだろうね >>111
パクリっていうのは極端だろ、思想を学んだっていうならともかく
口語訳(現代語訳)
帝尭陶唐氏は、帝嚳の子である。
その仁徳は天のよう(にすべてを覆うよう)であり、その知恵は神のよう(に聡明)であった。
これ(尭)に近づけば太陽のように暖かく、これ(尭)を遠くから見ると(恵みの雨を降らす)雲のようであった。
(尭は)平陽を都とした。
(宮殿の屋根は)かやぶきで軒先は切りそろえず、(宮殿に上がる階段は)土で築いた三段だけであった。
天下を治めること五十年になるが、世の中が治まっているのか、治まっていないのか、万民が自分が天子であることを望んでいるのか、自分が天子であることを望んでいないのかがわからなかった。
側近にきいてもわからず、民間人にきいてもわからず、民間の識者にきいてみたがわからないので、そこで身なりをやつしてにぎやかな大通りに出かけたところ、
童謡を聞くと、歌っていたことには、
「私たち万民の生活を成り立たせているのは、あなた様のこの上ない徳のおかげでないものはありません。
知らず知らずのうちに、帝の手本に従っています。」と。
とある老人がおり、口に食べ物をほおばり腹つづみみをうち、足踏みをして調子を取りながら歌いながら言うことには、
「日が昇れば仕事をし、日が沈んだら休む。
井戸を掘っては水を飲み、畑を耕しては食事をする。
帝の力なぞどうして私に関わりがあろうか、いやない。」と。 戦国時代の面白い逸話
ほとんど江戸時代の創作なのはあるある フロイス曰く信長は宗教や天皇制度は民衆を操る権威と考え道具として利用してた 裏切りを許したかと思えば林とか安藤みたいに急に追放される奴もいてよくわからん >>121
フロイスの信長びいきはどこソース?
信徒にならなかった信長を誉めてるとは思えないが・・・ >>35
山中の猿の話は信長公記にあったはず
多分他の話も常山記談とかにある >>130
佐久間信盛にしたって何年も結果出せないなら異動なり降格なりさせりゃいいじゃん
なんでいきなり追放なんだよって思うわ 女子供には厳しいんだよ
武田との間に挟まれてた叔母とかな
男にはうほっってなるみたいだし これソースあんの?こんな話今まで一度も聞いたことないし妄想垂れ流しにしか見えん >>113
竹中叩きしてる奴で楽市楽座持ち上げてたらただの馬鹿 佐久間は手紙の文面通りに一兵卒で何処かで戦って武功を上げて挽回するか高野山にこもるかの二択を迫っただけ説もあるな
要は心を入れ替えてまた1から気合い入れて頑張れやっていう激励のつもり
これだったとするとショックで引きこもってすぐ死んじゃったからめちゃくちゃ後味悪かっただろうなw 信長がねねに宛てた数通の手紙とか見ると
寧ろ身近な女子供には優しかったようだけどね ・武田勝頼の首実験の時、織田信長は様々に罵り、杖で突き、その後足で蹴飛ばした。そして、この首を、徳川に送り付けた。家康は床几に座っていたが、聞くや床几から下りて「偏に若き故思慮なくかくならせ候」と礼を持って扱った。これにより、信濃、甲斐の侍たちは徳川になびいた。織田の家臣たちさえも「織田の運命ははや尽き果てなん。」と現実を目にしてつぶやいた。織田信長、信忠父子は「信玄一度京に赴かんと志しけると聞く。汝が首を京に送り、女童に見知られよ、と罵り」と伝える。小人は険を行いて、何を求めたか。武田の家臣団の怨恨を増した。一言ことを破り、国も失った。万人天下人として立つのを認めなかったということか。
常山紀談 上巻 (岩波文庫 黄 216-1) レビュー 童門 冬二って最近見ないけど歴史番組のゲストの定番だったな >>36
でも信長って弟に始まって浅井、武田、荒木、松永、光秀と戦国時代なのを差し引いても色んな奴に裏切られ過ぎだろ >>139
楽市楽座って企業優遇の新自由主義ってよりは戦国時代のメルカリみたいなもんだろ >>88
信長の越前一向一揆攻めに関しては
村人全員の一向宗からの改宗の誓約書と礼金持ってこい
来なければ村人全員皆殺しって厳命して
大量に雇い入れた低賃金の雑兵に
給料がわりに略奪と人さらいをさせてたからな
信長の後期は安価で大軍を揃えるためにこの雑兵を動員しては
各地で給料代わりに大虐殺を伴う略奪と人さらいをさせていた >>113
そもそも楽市楽座ってどんな内容かはわかってないし >>148
その話初めて聞いたよ
なんかそういう文献残ってるの? >>63
狂信者相手なんだからそりゃ根絶やしにするだろ
信長も一門衆に狙撃されて死にかけてるんだから命がけだ >>142
三河物語だと信長は勝頼の首に対して、
「日本にかくれなき弓取なれ共、運がつきさせ給いて、かくならせ給う物かなと御仰けり」
と一定の敬意を表してるけどな。 >>144
おそらく当時の感覚では部下にナメられるようなボンボンに見えたのではないかと 最近の「信長実は良い人だった説」は何なんだw有力な資料でも見つかったのか?
どうまた10年くらいしたらひっくり返るんだろうけどさw >>149
楽市と楽座は別物
あと信長以外の大名もちょくちょく開いてる >>58
それは秀吉の感想であって
村人達も気を遣った結果なんだから
俺は昔と変わらず大根が欲しかったって言えば済む話
税は元に戻すとか日本中の物が手に入るんだなんて
為政者の奢りでしょ
まあ村人と関白が直接やり取りすることなんてないだろうから
創作だろうけどね >>151
地域毎の銭の流通量で不公平になり非効率だった貫高制から全国一律になる石高制の導入
合戦における作戦や軍役規定などの細かい指示を書いた陣立書の導入
武家関白制による既存の武家権力の頂点だった幕府に頼らない名実共に全武将の頂点に立つ
私戦を禁止し中世特有の自力救済の社会を終わらせようとした
兵農分離と人身売買禁止令
ぶっちゃけ信長じゃなく秀吉の方が革新者で中世の区切りに相応しい
江戸幕府も秀吉の政策引き継いでるし 日本の歴史上
もっともタイムスリッパーが会いに来た日本人だっけ? >>157
お気に入りの家臣が討死したとかでこういう振舞いをすることもありうるのかね、本当だとしたら >>159
逆に最近俗説の殆どが否定されてる気がするわ
特にお蝶との関係には考えさせられたわ
子供ができなかったお蝶は一切記録に出てこなくなる
信長は側室を何人も迎え入れている
信長は本能寺の変の時も複数の女と乱行していたように女好き
信長はお蝶と仲睦まじかったどころかお蝶をスーパーないがしろにしてたと考える方が普通では?
とか >>110
日蓮宗には優しかったやろ
そないな事や >>160
それはちょっと違うよ
楽市令は六角、今川とか信長も楽市楽座を出す前にお触れを出してるしその楽市の内容も残ってる
けど楽市楽座が出された文書には楽市楽座として商売することって内容しか残ってないからどんな内容化は実際にわかってないの >>159
こういうのは史料が見つかったんじゃなくて
既存史料を偏った視点で見てるのがほとんど >>167
婚姻同盟中は斎藤家に援軍要請したり価値があったけど、その斎藤家も滅ぼして
子供もできないのではもう利用価値がないよね >>154
藤木久志あたりが詳しく書いてるよ
紀伊雑賀から織田軍に虐殺された子供を含めた数万人の死体が白骨されたり
不服従の高野山の一山殲滅を宣言して高野聖を見つけ次第殺害する命令を出して実際に沢山殺されたらしい >>167
濃姫は本能寺後も伊勢のボンボン信雄のとこいたわ言う資料出とらへんかったか >>163
信長は一般市民に100文で出来たばかりのお城を公開した。
人が殺到し石垣が壊れた逸話が残ってる。
当時の100文は現在だと約1100円程度
提灯でお城をライトアップするなどした >>157
そもそも勝頼の首蹴った言うんは家康上げのための創作やろ
家康は赤備え以下武田の残党吸収しよった経緯あるし >>179
木綿に優しい信長って秀吉に優しいだけじゃん 戦国大名は戦時に安全を保障する見返りに自治都市や村落共同体や寺社から莫大な礼銭を徴収して軍費に当てていたんだけど
信長は法外な額を要求することが度々あり
拒否した尼崎や上京を焼き討ちにしたり
近江の寺社も焼かれて略奪されている
伊勢長島の一揆も信長からの過剰な要求から村の権益を守るために抵抗したもので
信仰のためというより村落共同体の自治を守るために結束して徹底抗戦した 猿のような男が流暢に喋りすぎ
かなり寓話っぽく仕上がってる一方最初はふうんと去った場面みたいな無駄があって妙にリアリティ感じるところもあるな 身内に甘いを優しいと言っていいものかどうか
ただ権力者なんだから必要とあれば殺しまくる必要もあっただろうな 江戸時代が超平和な件
お前ら無知だから知らないだろうが時代劇みたいな切り合いなんてまず起きない
夜中は木戸番いたし 信長の前は三好長慶が戦乱で疲弊して民心が離れた畿内をまとめるために
村落共同体や都市の自治を尊重し
税の取り立ても穏やかにし
戦乱に村落を巻き込まないようにし
弾圧されていた一向宗や日蓮宗を保護して赦免させる等
当時では革新的な善政を敷いていた
キリスト教が畿内に定着したのも庇護した三好長慶の政治力が強大だったから
信長の初期は三好長慶の統治を踏襲したから評判がよかった >>179
なんだよそのオタクに優しいギャルみたいな言い方は >>184
江戸時代は北朝鮮みたいに民衆の不平不満を徹底して弾圧してた
から表面上平和になっただけ >>181
むしろジャップの民主主義的機運言うんを潰して回ったんがノッブ言えばせやな いやいや
かなり大量に殺したでしょこの人
少し良いことしたからokにはならんよ >>190
歌舞伎も時事ネタまんま扱うんは犯罪やった言うんは知られてへんのやろな
忠臣蔵も時代設定も人物も変えな上演できへんかった時代や >>191
そこまで極端じゃないけど
例えば一向一揆の村なんかでは
本願寺から派遣されてきた住職を村の合議で交代させたり
信長と本願寺との戦いでも一揆の合議で本願寺ではなく信長についた村もたくさんある
信仰は大切だけどもより村の自治や存立が優先されるのが普通で
狂信者だから殺すしかないなんてことは全然なかった >>184>>190
時代の違いじゃない?
江戸時代初期なのか前期は治安が悪かった
末期なんかは武士はただの上流階級で戦闘力ゼロ >>193
いや、変えれば上演できたっていう方が正しいんじゃ 今の中国みたいなもので
日本は言論の自由があると言っても、中国とどっちが自由かわからない
日本では政治的デモなんか公安の監視でできないからな >>55
何度読んでも信長の権六好きが垣間見えて微笑ましい
さすが筆頭家老なだけのことはある >>198
中国言うんは実力主義言うんか割と上にも意見できよる社会でええんやったか 石山合戦で本願寺が頑強に抵抗したの理由の一つは
信長に敗れて滅ぼされた村々の一生き残り多数が復讐に燃えて本願寺に入城していたので
法主の一存では信長とは和睦しにくい空気になっていたからとも言われている
本願寺の法主は門徒への影響力は大きいけど
門徒の意向を無視できるような独裁的な力は持ってなかった
これは本来信長と家臣の関係もそうなんだけど
増長して家臣を軽んじてたか転びに転んだのが本能寺の変 >>49
安倍総理と外遊中のニューヨークでこんなことがあった。
総理が突然、洋服店に入った。ネクタイを3本選び、「萩生田君も買えよ」と言うから、1本選んだ。
総理はその4本を手にレジに向かったが、大きな声で「俺、ドルを持ってなかった」と言われ、私が払った。
「すぐに返す」と言われたが、その日、その次の日も返す気配はなかった。
帰りの飛行機に乗る前、ネクタイ代はプレゼントすると伝えた。そしたら、
「ごめんね。日本円に換算したらいくら?」と面倒なことを言うので、贈り物にすると伝えると、
「萩生田君とアメリカに来た思い出。このネクタイ大事にする」と言ってくれた。
この10日後、国会の廊下で、このネクタイを着けた総理と会った。
ネクタイをほめたら、「誰かにもらったんだよ」。それは私があげた、と申し上げた。
(自民党千葉県連の会合でのあいさつで)
https://www.asahi.com/articles/ASM6853D4M68UTFK003.html 石山後にできよった大坂も徳川と和睦したい豊臣と強硬派の牢人衆の間で軋轢ありよった言うな >>144
最近の研究で1番裏切られてショックだったのは足利義昭説が強いよな
義昭に全て捧げてきたのに裏切られて信長御乱心
義昭も信長の野望のせいで武力弱々ってイメージだけど
戦歴見てたらかなり戦達者でびびる >信長様は人から恐れられはしたが、愛されることはなかった。
ケンモメンかな? 信長の畿内制覇で最も重要な活躍をしたのが荒木村重で
全国で群を抜いて豊かだけど国人や村落共同体の力が大きく統治しにくい摂津国を
抜群の才覚とカリスマで短期間でまとめあげる離れ業を成し遂げるんだけど
信長からの度重なる過重な軍役と
反発する国人と村落共同体との板挟みになって
結局は摂津国の国人一揆や村落のリーダーとして
信長からの離反をせざるを得えなくなったと言われてる
信長は生まれながらの守護代家のプリンスなので
百姓は武士に逆らうなら殺せばいいという考えだったみたいだけど
人身の機微に通じた荒木村重や羽柴秀吉が
百姓を宥めるためにどれだけ苦労してたかは分からなかったみたい 信長の長島一向一揆の虐殺が本願寺の頑強な抵抗を招き
本願寺を押さえるために畿内の領主に課された重い軍役負担が
公方の足利義昭や河内の三好義継大和の松永久秀らの離反を招くという負のスパイラルに陥っていくんだから
信長は百姓の力を見くびって滅びるべくして滅んだとも言えるね >>205
公方は山城国の領主で畿内の名目上の主だったので
畿内の百姓が信長の軍役に苦しめられ
その領主が百姓の突き上げを食らって反信長に傾いたら
畿内の主としては信長との対決を選ぶか
公方の座を捨てて逃亡するかの二択だったように思います
信長は岐阜にいるけど三好や松永はすぐ側で京に進軍できるとこにいたから >>189
柴田勝家で合ってる
信長の愛着が伝わってくるよね 信長は日本統一とか考えていなくて、家康のとこに遊びに行ったり隠居したりは、人生50年の目標達成したからあとは信忠に継げばよいと考えていた説 実は長島一向一揆が信長に頑強に抵抗したのは
先に徳川家康に米を盗まれて激怒した三河一向一揆が家康と戦って
和睦後に約定を反故にされて寺院を破壊されて長島に移住してきていた門徒が
武士は絶対信用ならんと説いてまわったからという話があって
家康ほ腹黒が信長の寿命を縮めたともいえる >>200
権六もかつて信行派で信長排除しようとしていた派閥と考えれば
信長の器の深さわかる逸話でもある >>55
> 信盛退任後の畿内方面軍軍団長に就任することになったのは明智光秀であり、(略)旧佐久間軍団は本能寺の変の実質的実行部隊となった。
明智軍記には佐久間らへの情け容赦ない処分を引き合いに出して、明日はわが身と家中が反乱に傾いたという記述もあり、これが事実であれば動機面での影響もあったことになる。 Wikipedia お上にくっそ腰低いし臆病で慎重派だしこいつ絶対陰キャだぞ >>195
信長の課した税や軍役がそれもでよりも重かった数字というか資料みたいな物はあるの?
比叡山焼き討ちも山科公家日記だかで悪逆非道なんて書かれてたけど、当時は寺の焼き討ちなんて珍しくなかったのが判明したしなあ >>130
安藤守就は悲惨すぎる…
遊撃隊として各地を転戦してすり潰されたと聞く >>205
最近の研究っていうかyoutubeでなんか動画見ただけだろ! >>205
足利は暗殺された兄さんが剣豪だったから比べられちゃう。
結局手紙で包囲網築けるほど暗躍した手腕は凄いとは思うけど、傍から見たら上洛時に織田に泣きついたくせに
自分が戦場で戦わずに、こっそり暗躍して恩人を裏切る卑怯なヤツって言うイメージが定着した。 >>63
おじーちゃん、武装したオウムや統一教会信者みたいなキチガイ相手だから
当時はそれぐらいするのは当然なのよ >>3
秀吉が批判した信長の欠点ってそのまま秀吉にも当てはまると思うけどな
高台院の家系の木下家には秀吉は大変しつこい性格だったという言い伝えがあるそうだし
異常な執拗さは聚楽第の門に落書きした者への処罰、秀次事件、遺言状にもあらわれている >>217
ありますよ
村落共同体への課役ってのは限度が決まってて
それ以上は村の側が拒否する権利が当然あって抵抗するんです
当時の畿内は一村一城というくらいそれぞれの村落が武力をもって自衛していて
さらに一揆で村同士が結びついてるんで
畿内の領主は対応を誤ると下剋上されるプレッシャーに晒されていたんです
三好松永は長く畿内にいたのでその怖さを知っていますが
信長はあまり考えなかったようです
寺院の焼き討ちはあっても
さすがに比叡山焼き討ちってのは普通ではないですよ
中世において日本の思想の中核にあったとこだから >>55
佐久間温存しとけば本能寺もなかったろうし
本能寺で撃たれても信忠まで死んで織田家失墜することもなかったろうにな
まあ権勢強すぎてあそこで切っとかないと面倒くさいことにはなったかもしれんが >>225
限度が決まってたのか、知らんかったー
家康や信長が「その限度を超えた徴収をしてた」って一次資料は? ノブは秩序や正義を重んずる性格
家康は約束をまもり上下関係に異様に律儀な性格
秀吉は残忍で暴君
これが最新の研究だからな >>217
>悪逆非道なんて書かれてたけど
詰まる所はフロイスの大名Disみたいなポジショントークでしか無いのだけど
東大寺ないし比叡山らへんの(帝や法王の“歴史的な”お墨付きを受けてる)本山焼かれたら
直でその威光・恩恵に預かってたり父祖の菩提や寄進がどうの~…で繋がってる
貴族連中的にはそら当然けしからん・何してくれとんや・頭湧いてんのかって勢いでキレる >>159
なんだかんだで日本史上トップクラスの知名度だから
名を売りたい歴史関係者はいろいろ逆張り本出し続けるだろうな >>130
重度の歯痛説が面白かったな
派の痛みがひどい時は機嫌が悪いという 家康って約定は守るけどその約定にどうとでも取れる一文書いて
後から諸々総取りする 非常に官僚的な思考する人なんだっけ 家康は血気盛んな若い頃と諸事情あって長男を殺すことになった後ではキャラ変わったみたいな風 何がきっかけかは見立てが色々あると思うけれど、家康は年令によってキャラ(表向きの?)が違うの面白い >>155
狂信者なら殺しても良いという考えが狂ってる、
しかも信長は女子供まで殺しまくってるんだぞ、
普通に信長は極悪人だぞ >>222
いやそれはおかしい、
そうやって相手を悪魔化して殺す事は許されない、
どちらかというとむしろ信長側や信長信者の方がカルト染みてる >>239
でもふと思うんだけどそういう人たちだってさぁ信長に勝ってたら信長殺してたよな
そう考えたら五分五分じゃない?自分を殺しにかかってきた人を助ける理由ある? いくら何でも女子供にいたるまで人を万単位で殺してる信長が優しいは無理がある、
普通に極悪人だぞ、
なんて言うか日本人ってホントに信長みたいな権威権力には激甘で弱者には冷酷だよな、
日本人のそういう悪いところが出てると思う >>241
たとえそうだとしても人を殺しちゃいけない、
それに一揆というのは市民による権力への抵抗だ、
権力が悪政をしくから一揆や反乱が起こる、つまり権力が悪い、市民は悪くない >>244
どちらも権力の悪政が原因で起こるのは確かだ、
市民なら一揆側を応援するのは当然、
なぜ信長のような悪政をしく権威権力の肩を持つ? 日本人は権威権力に余りにも甘い、甘すぎる、
そのくせ一揆のように抵抗する市民や弱者には冷淡極まる理不尽 >>246
信長は女子供にいたるまで市民を万単位で殺戮した残忍で極悪非道な独裁者、
その評価を覆してはならない、
権威権力を甘やかすな >>245
悪政で一揆が起きたんじゃない
敵対してた本願寺は全国に信者がいるから一向宗に一揆を扇動したんだ >>249
市民を悪政で苦しめていたから信者が増え一揆が起こったんだろうが、
いい加減権威権力を甘やかすのをやめろ市民や弱者の味方をしろ 最近の戦国武将のイメージって「平和な世の中を作るために戦った偉い人」
みたいなのばっかりだな
実際はあくまでも自分が頂点に君臨した上での平和でしかなくエゴむき出しだし、
平和が大事ならそれを達成する手段も平和でなきゃ意味ないだろ 抵抗する市民や弱者にはどこまでも冷淡で横暴な振る舞いをする権威権力や強者にはどこまでも激甘な日本人には反吐が出る >>251
一向宗のトップである本願寺家と10年戦争してたの知らんのかアホ >>252
本当それなどこまでも権威主義的かつ懲罰的新自由主義的で本当に反吐が出る 戦国時代はそれまでに比べると自領を発展させるつもりのある領主は多かったぞ
悪政という意味ではおそらく平安時代が一番酷かった、民は天下り領主の搾取対象でしかなかった >>254
だからなんだ、権力の失政によって起こった戦国時代という権力者同士のエゴむき出しの戦争や悪政が原因で市民の不満で信者が増えたんだろうが、いい加減薄汚い権威権力の肩を持つな >>256
多少マシになっただけでその本質や社会問題は変わらないというね、
これは現代までかわらない問題だ 平和のための戦争というのは間違いじゃないだろう
漫画みたいなバトルマニアじゃないんだから戦争というのは手段であって目的ではない >>257
そもそも中央の幕府の悪政が原因で日本中が乱世の戦国時代になってんだぞ宗教なんか貴族側だアホ 日本の歴史教育には大きな問題がある、
権威主義的なのだ、偉い人がこういう事をしましたと言うばかりで名も無き市民や弱者や歴史に残らない下層民の事を取り上げない、
本当は歴史教育ももっと民主化してそういう人達こそ歴史で取り上げるべきなのに >>260
それを言ったら信長も権力側だ、
少なくとも決して市民や弱者の味方じゃない、
それどころが市民や弱者や女子供までも万単位で殺す極悪人だ >>262
じゃあ農民出身の秀吉ならいいのか
太閤関白になったのは結果論だな >>259
平和のための戦争じゃなく自分が権力を手に入れて欲のまま横暴に振る舞うための欲むき出しの暴力の間違いだろ、
武士なんて権力の事しか頭を無いヤクザ以下の暴力集団でしかない >>263
秀吉も所詮は権力側だアホ、
そうじゃなくちゃんと民主的で市民や弱者に寄り添い人権を護る政策政治を成すべきだと言っている >>265
権力なしでどうやって世の中を変えるんだ
フランスだってフランス革命の後にすぐフランスでは英雄扱いのナポレオンが登場している >>83
本当のことよ
コロナ五輪で一億総玉砕を実際に敢行したのは紛れもなく今上なんだわ🤭
五輪の名誉職という立場上延期程度の要請位は出来たんだからな😁 >>266
山上徹也は権力なしで日本を根底から変えただろ😁
外患勢力である韓国の反社会カルトによる日本政府の権力簒奪に一石を投じた本物の歴史に残る革命家を
お前らは見たばかりだろうが😈 楽市楽座やった人だからな
国は民が栄えてこそ
増税搾取中抜きの今のバカみたいな日本見たら呆れると思うわ >>4
「仲間思い」な人ということだね
”仲間”ではないと… いちおう信長公記に「『山中の猿』と呼ばれた乞食に信長が施しをし町人やお供の者たちが感涙にむせんだ」という話は出てくるな
ただその猿が真人間になり信長に挨拶をし云々というのはどうやら後世の創作のようだ >>4
いや、大半の人間は見下せる人間を見下しまくって気持ちよくなるだけだよ >>214
野戦で信長に負けて力量もよく分かってる勝家を上杉家にあてているから、あわよくば死んでほしかった
と邪推してしまう。柴田配下は仲も悪かったし
勝家自体は人質を殺さずに返すとかいい人なんだけどね お前らみたいに行動しないで文句ばっかり言ってる奴が信長は一番嫌いだろw >>252
要は私兵集団を率いて税金を生み出す村落の奪い合いしてただけだからな
自民党と何も変わらない 暇な江戸時代あたりに戦国以前の話は創作されまくったからね
お前らまだ墨俣の一夜城とか長篠の鉄砲三段撃ちとか信じていないだろうな
昔の逸話はただの創作や中国の故事の剽窃とか多いぞ よくわからんけど秀吉が必殺孕ませチンポ猿なのは変えようのない事実だと思ふ >>237
ウンコ漏らした時に何かが変わったんだろうな うーん、これフロイトの人物評価なん?
ジャップが書いたやつは信用ならんぞ 織田信長含めすべてオランダに実験として遊ばれてただけの合戦なんだよな戦国時代 >>285
常習的に飛躍ばっかしてるとキチガイになる
もう既にかもしれんが >>6しかしひとたび、農民たちが立ち上がり
一揆をおこすと信長は魔王となりその結果こうなった
・伊勢長島一向一揆制圧
2万人を殺害
・越前一向一揆殲滅
1万4千人を殺害
・伊賀惣国一揆制圧
約3万人を殺害 弱者男性だけど信長には気に入られてるから…って妄想は悲しくなるからやめろ 江戸時代の創作だなあ
偽書の関原軍記大成がwikipediaの関ヶ原布陣のソースになってる恐怖
あれ編集してる奴らは馬鹿だと思う 今のうちに晋さんもこの手のエピソードを考えようぜw >>290
ところが、晋三は笑ってこう応えた。
「やれぇ」
すると北海道警の権力の狗たちが─ 領民に優しいエピソード持ちの武将はかなり多いけど
史実だと断定できるレベルのはほとんど無い >>227
調べたらいくらでも出てきますよ
戦国時代は武士同士の戦いばかりでなく
代々の土地に根付いて力をつけた百姓と武士との闘争の時代でもあるんだから
羽柴秀吉も地頭は一代百姓は末代といって百姓の権利を疎かにしては国が成り立たないと強く家臣を戒めていた 他の武将でいないのか?
石田三成とか直江兼続とは優しそうなイメージなんだが そりゃまあ今だって農業疎かにしたら有事に国が成り立たなくなるしね
農業を大切にせず食糧自給率の事を考えない国はいずれ滅ぶよ >>290
終身雇用制で保護された労働貴族、憲法を悪用して遊んで暮らしてる自衛官が、安倍を恨んでるだけじゃないか >>293
税制を改めて民から高評価みたいなのはほぼ事実のような 敵であっても人には優しくとかは人権的な発想なのでまだ人権という価値観が無い頃には当然の道徳ではないわけで、
言葉を使い分けると全て人に優しくは無いが領民には優しいということがある。
兵の専業化を進め農閑期に重なり限らず他国に攻めていく織田家は領土が荒らされず農民が戦に動員されにくいので領民には優しい(攻められる国には迷惑)とも考えられ 基本的に、そもそも、自領の領民には優しいけど、敵領の領民は略奪皆殺しが当時の価値観だから。
義の上杉謙信とか言ってるコイツだって人狩り(誘拐)や乱取り(略奪)やってたって言われてるからな。 >>293
身内の自領の領民には優しいっていうのはまあ基本じゃねとも思う、別に不思議でもないわ。
その分、敵領の領民には残忍になるからな。 京都での一銭斬り布告(織田軍の兵が一銭でも盗んだら即斬首)は、京都だからじゃないかって気がするな
ドイツ軍もパリの占領方針は緩かったのと同じで 信長は1回も裏切ったことない
秀吉が織田家乗っ取ったのは、信雄信孝とお市様から見たら裏切り行為だろうし
家康は今川と豊臣を裏切った 武田は税率高くて織田は税率安いから
重税にあえいでた末期の武田領民は早く信長侵攻してこないかなと願ってた 朝廷に多額の献金をした勤皇の士としても有名
見返りを求めての献金ではないので晩年に朝廷のほうから頼むから将軍か関白になってくれと頼まれたのに固辞した >>301
百姓だって連歌や茶道を嗜んだり
寺社を造営して相互扶助したり
自分らの力で文化的な生活を営んでいた
それを信長が訳分からん理由で攻めてきて虐殺していったんだぞ
なんでみんな信長視点でものを考えるんだか訳わからんわ >>307
それは武田側が押されてたから?
領地が小さいのに軍備は対抗しなきゃならないから重税になったとか
中国に挑戦してる日本みたいに >>309
>>百姓だって連歌や茶道を嗜んだり
どこの豪農です? >>311
この時代は特に畿内なんかでは庶民の間でも盛んに連歌や祭が行われてたんだよ
公家が和歌の教室開いたり寺社も庶民の学校兼遊び場になってた
村が造営した寺に知識人の僧侶を招いたりしてたし
武士や公家だけが文化の担い手だった時代ではないんだよ >>303
世襲で貴族化し大衆の生活を把握出来なくなると丁度よい負担の感覚がズレたり、
権力に巣くう連中に利用されたり時代に合った制度の改めとか出来ない悪政をやってしまい、
結果的に領民に優しくなくなることはある 百姓っていうと江戸時代に幕府から着物の柄まで規制されてた
大人しい農民の姿を連想しちゃう人が多いんだろうけど
この時代はそんなないから百姓でも着飾ってるし
腰に刀を差してるのも普通にいた
喧嘩っぱやくて殺られたら殺り返すのが当たり前ってのが庶民の気風 家康が天下取ったあとで日本人のほとんどがケチくさくて野暮ったい三河人化した
京都大阪とか三河人化に抵抗した地域は三河人化した現代人の目から見ると異文化な地域に見えるようになったが
実態としては京都大阪は安土桃山時代の日本人の気風を残している >>313
森永は今の税率(五公五民)は江戸時代なら一揆が起きるレベルだって言ってる
世襲っていうより一代でそうなるんだろ、平民が、自分が思い描いていた傲慢な貴族のマネごとをするからそうなる >>315
中国でも戦国時代を統一した秦は統制的、厳罰的ですぐに反乱されて漢の統一になり法的な統制だけでなく儒教による思想的な統制を強めて新しことが起きにくい国になり。
統一して安定を求めると統制的になるのでは >>316
日本の世襲議員の比率は3割りとか話題になっていたような >>318
増税してるのは財務官僚だろ
安倍の力でも消費増税を2回延期させるのが精一杯だった >>312
畿内の町民は完全に上級だろ、地方の百姓とは全く違うぞ。 >>220
1569年の三好三人衆が京を攻めた時も
信長の援軍が来る前に義昭が与力を中心にした軍勢で撃退していたり
姉川の合戦時にも信長は朝倉浅井連合軍にかかりきっりになり
その間京に数万の大軍率いて襲撃してきた三好三人衆に対しても
義昭が幕府支持する有力者に動員をかけて単独で撃退してたりする
むしろ義輝は個人的な武の話は通説では聞くけどこういう
大将働きは全然聞かない
義昭はこういった大将話に事欠かなかったりする >>220
あと義昭が包囲網を作ったてのも少し話が違うようだ
第一次信長包囲網の際も義昭と信長が両輪になって
包囲網勢力を撃退し続けている
この時の義昭の活躍は信長に引けをとらなかったりする >睡眠時間は短く、早朝に起床した
>酒は飲まず、食事は控えめにした
>自邸において極めて清潔だった
>長身、痩躯で、髭は少なく、声は甲高い
>正義感と慈悲に関係あることは喜んで実行する
>すばらしい理解力と明晰な判断力を持ち、神仏やその偶像を軽視し、卜占など全く意に介さない
>他人と語る場合は、その相手が回りくどい説明などすると、すぐに嫌な顔を見せる 農民高鼾の話の出典はどこなんだろう?
江戸時代より後の、坂口安吾か司馬遼太郎あたりの小説ネタっぽい気がする 偉人を産んだ東海地方の百姓達が偉かったんだと思う
俺らケンモメンのご先祖は海や山でヒャッハーして人さらいして海外に売り飛ばす仕事してたじゃん、あんなんじゃ全然駄目だ発展しねえ >>327
>>273
に猿のようなの話しの元は「信長公記」にあるとの書き込みあり でも自分の留守中にだらけてた女中は叩っ斬られてるからただ甘いだけの人間ではない なんとなく島田紳助を想像した、得には怖く、時にはいい人っぽく振る舞おうとするけど全部計算してるだけ 足利義輝が剣豪だったなんて一次資料はない
貴族だかの日記で将軍が斬死するなんてみっともないという書き方はされてるので
武器を持って戦ったという噂があったのは確か 足利義昭の政権は織田信長の傀儡ではなく
信長は最大の実力者ではあるが
義昭を公方として織田・三好宗家(松永)・畠山・毛利ら諸大名が支えるという体制
義昭は公方として全方位に気配りする必要があったけど
信長がまるで義昭を自らの傀儡のように扱ったのが
両者の決裂の原因の一つと言われてる
浅井長政に対しても対等な同盟関係でなく家臣のように命令したので
浅井配下の突き上げで決裂に至ったというのが最近の定説
信長はリーダーとしてはちょっとおかしい お前ら信長公記読めよ
ノブの人間味ある伝記になってて面白いぞ >>331
何にも計算せずに感情だけで動いてる安倍みたいなやつの方が怖いと思うゾ >>336
当時の記録としては比較的正確な方らしいし 尚これらのエピソードについては
江戸中期に書かれた真説史書で是百分率嘘松也と書かれている 信長の治める国では、絶対に強盗や人殺しが出なかったという。だから、夏でも住む人々は窓や戸を空け放したまま寝ることができた。また、旅人が木の陰で寝込んでしまっても、持っている荷物を盗む者は誰もいなかった。
チゴイネ >>338
牛一が「本当のことだけを書いた」って豪語してるぐらいやしな >>338
自分がいなかった時代や見てない事件のことまで取材してかき集めたぽくて力作だわ
息子が武田氏を滅亡させたあとの視察の帰り道に家康の接待攻めに遭ってノブが感心しまくる描写にかなりの分量を費やしてる
この返礼としての本能寺の変の直前の家康饗応と上方見物なんだよな
なのに巷の信長物語や家康物語ではなぜかこのところが描かれることが稀
それどころか家康を暗殺する計画だったというフィクションが盛り込まれたり… >>340
もともと尾張は商業区域で庶民の所得も高く
治安がよかった
関東東北が江戸時代まで争いだらけだったのは基本的に貧しいから >>342
武将の接待って、いまの温泉地のホテルの宴会みたいなのかな
料理に酒に踊り子の踊りとか >>346
元々ではなく信秀が実効支配するようになってからかも。
各地の管領がダメな貴族化して支配地域が荒れて、実力者が階級に従わずにのし上がる下剋上があちこちで発生し、
下剋上で活性化した地域は経済発展 >>342
信長は取り込んだ外様を騙し討ちにして潰したり乗っ取る常習犯だから
北畠、神戸、水野、磯野など
特に北畠潰しなんかエグ過ぎて引く 自分の留守中に遊びに行っただけで女中と庇った坊さん殺したんだっけ 圧切長谷部の由来を聞いた時の黒田官兵衛ドン引きしてそう >>130
難癖だろうが正当な理由あろうが追放とかあの時代じゃ温い処分で
いきなり謀反の疑い有りとか言って一族郎党全員処刑とか当たり前の時代だよ
処刑もできたのに追放ってしてる時点で相当信長は甘いなぁって思うな >>353
>>いきなり謀反の疑い有りとか言って一族郎党全員処刑とか当たり前の時代だよ
それで甥を殺した人がいましたね。側室まで殺したから東北大名ガチギレ >>345
電子書籍なんかで現代語訳で安く出てるからオススメ
>>347
かなり具体的に接待の様子が描かれていて
ノブが感動した点を家臣に説明してるところまで書き留めてあるよ
そういう脂ぎった接待ではなくてお金と労力はかかってあるがもてなしの心に溢れたもの 農民高鼾の話はネット記事に2つあったが、どっちも出典が童門冬二の歴史小説になってる
ソースは童門に問いただすしかないのか 中国でもこんな話あった気がするな
サボってる農民が実は知恵者で迎え入れたら勢力躍進とかのパターンだけど >>205
てか信長の野望はパラメータがオカシイよな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています