JC「158cm、23kgの私どうですか?」 [256556981]
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158センチ23キロ 拒食症を乗り越えた女性がたどり着いた 食の魅力を伝える仕事
「旅するおむすび屋」――。そこには、日本人が大好きな“おむすび”一つで人と人との縁を“むすぶ”という思いが込められています。地元の食材でおむすびを作るワークショップはどこへ行っても常に大盛況。会場には、おむすびを頬張る人々の笑顔があふれています。そんな「旅するおむすび屋」として全国各地をめぐっているのが菅本香菜さん。前編は、菅本さんと食を結び付けるきっかけとなった10代の頃に患った拒食症について語っていただきました。
中学生で体重がたった23キロ 入院するほどの壮絶な拒食症との闘い
「食べる楽しさや大切さを届けていきたい」。そんな思いを胸に「旅するおむすび屋」を始めて約5年。菅本さんはおむすびを通して子どもたちと一緒にワークショップを開催したり、訪れた地域にある食の魅力を発見し全国に発信したりする活動を行っています。今では企業や自治体と一緒に食材のPRに携わることも多く、毎週のように全国各地を精力的に飛び回っています。
そんな菅本さんが食に興味を持ったきっかけ。それは、自身が摂食障害という病と闘った過去にありました。摂食障害の中でも、菅本さんを苦しめた拒食症は体が食事を一切受け付けなくなってしまう病気。中学2年生で発症してからの6年間、食事をほとんど取ることができませんでした。
「一番ひどかった時で体重は23キロでした。ドクターストップで学校に行けない時期もあって。入院していた時に『そのまま行ったら死んじゃうよ?』ってお医者さんから言われました。当時は、いつ死んでもおかしくないんだっていうのをリアルに感じて……。結局、私は高校2年生を2回経験することになるんですが、食べられるようになったのは高校を卒業して大学に入学してからでした」
成長期にもかかわらず、小学校低学年女児の平均体重ほどしかなかった菅本さん。しかし当時は、「もう食べることが怖くなっていて、正常な判断ができない状態になっていた」と語ります。
「恐らくどこかのタイミングで、『これはもうダイエットじゃなくて、食べられなくなっている』って自分でも分かっていたと思います。でも、認めたくなかったんだと思います」
食べられなくなった原因の一つ。それは、小学生の頃に人間関係がうまくいかなくなったことでした。直接、菅本さん自身がいじめを受けていたわけではありませんでしたが、「自分がいじめの標的になったらどうしよう」という不安や、いじめが行われていることを知っていても、怖くていじめている子にいい顔をしてしまう自分自身に対する嫌悪感で、次第に苦しさが増していき自信さえも失いつつありました。
そんな時に菅本さんが頼ったのが、数字でした。「数字だけは裏切らない」と感じていた菅本さんは、「テストの点数だったり、体重だったり、次第に数字に固執していってしまったんです」と振り返ります。
元々細身の体型だった菅本さんですが、中学生になると大人の女性へと体型も変わり始めました。知人からの「少し太ったんじゃない?」という何気ない一言で、今まで自信を持っていたスレンダーな体型にも自信を持てなくなり、余計に数字に固執していきました。そして次第に食べることへの恐怖を覚えるようになってしまったといいます。
さらに悪いことに、当時は「夕方5時以降は食べない」というダイエットが流行していた時期。その時間帯に家にいたのは菅本さんだけだったこともあり、食事を取っていないことに家族が気づくのが遅れたことも拒食症を加速させてしまいました。
複数の要因が重なった結果、思春期のよくあるダイエットが、拒食症という病へと菅本さんを苦しめていくことになりました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/125539b4ec1a192373b0d67ffc998fd0f92d72fa
「拒食症であることが言い訳に」 人とうまくやっていけないコンプレックス
当時の菅本さんは、ガムを噛んでいても、調味料の些細なカロリーでさえ気にするような状態。カロリーがあるものはできる限り避け、水やガム、具材が入っていない薄味のスープなどが食事代わりだったそうです。さらに母親が作ってくれたお昼のお弁当でさえも、友人にあげたり……。母親に対する申し訳なさと罪悪感で「精神的にもきつかった」と言葉を絞り出します。
それでも、菅本さん自身は「太るのは怖かった」と言います。そして「拒食症に守られている部分もあった」と明かしました。
「人とうまくやっていけないのは拒食症だから。ある意味、拒食症であることが言い訳になっていて、自分を守ってくれるものでした。拒食症が良くなっても、もし人とうまくやっていけなかったら……その恐怖感が拒食症から抜け出すのを妨げていたと、今考えれば思います」
そんな我が子を間近で見ていた家族はどういう反応だったのでしょうか。菅本さんは、「恐らく、どうしていいか分からなかったんだと思います」とつらそうに振り返りました。
「摂食障害の人間にとって、『食べなさい』と言われることが一番苦痛なんです。人の目がもっと気になって食べられなくなってしまう。もちろん初期の頃は家族から『食べた方がいいよ』って言われていたんですけど、そういうことで改善されるわけではないと分かってきた頃には、もう『食べなさい』とは言えなかったでしょうし、放っておいても治るわけではない。本当に『どうしたらいいんだろう』とすごく悩ませてしまっていたんだと思います」
環境が変わり気持ちにも変化が 気づいたら食べられるように
自分自身にも、そして家族にも、治す術がない状態だった菅本さんが好転していったのは2つの環境の変化でした。
「一つは、私は高校2年生を2回やっているんですけど、2回目の時にすごく仲良くできる子ができたことです。彼女は食べない私に対して『食べなよ』とは言わないし、食べないことも気にしない。もちろん彼女は食べるのですが、食事の席に一緒にいていいんだなって久しぶりに思うことができたんです。そうしたら一緒に食べたらもっと楽しいだろうなって自然と思えてきて、少しずつ食べられるようになっていきました。
そしてもう一つが、大学に入学して環境が変わったことです。親元を離れて、一人暮らしを始めたことで、周りにいる人たちが“拒食症の菅本香菜”を知らない人たちだらけになった。気がついたら、普通に周りの人たちと仲良くできていたんです。ある意味、拍子抜けしたというか、入学したばかりの頃でしたけど、普通にみんなと一緒にごはんを食べていたんです」
食べ始めてから拒食症を克服するまではあっという間でした。帰省した際に普通に食事をしている菅本さんを見て、家族はずいぶんと驚いていたそうです。菅本さんは当時を振り返り、「人間関係がどうせうまくいかないんだったら……と、もしかしたら自分から壁を作っていたのかもしれません」と語ります。そして、拒食症で苦しむ人とその周りの人たちへメッセージを送ってくれました。
「『食べなさい』って言われたり、『大丈夫?』っていう目で見られたりすると、私は自分自身を否定されているような気持ちになっていたんです。だから、その人を認める、拒食症であるその人自身を当たり前のように受け入れる姿勢が、彼らを救うことにつながるんじゃないかなと思います」
苦しんだ分だけ人は優しくなれる。自分自身の経験が少しでも今苦しんでいる誰かの役に立つのなら……と、菅本さんはつらかった中学、高校時代の6年にも及ぶ“拒食症の菅本香菜”を語ってくれました。 鈴木エイトかと思ったわ
現在の写真めっちゃ可愛いな 本名出したらみんなに拒食症だったってバレるけどもう大丈夫なのか 現在は岡本玲みたいな顔してるな
当時の方がかわいい ジャップって平気で他人の体型を馬鹿にするからな
日本に居る白人が苦言を呈してたぞ この子みたいに元の顔面偏差値が高ければ理解ある彼くんがいくらでも「どしたん?」してくれるからいいけどさ >>22
この人は陽キャだから理解のある彼くんはいらないぞ
理解のある彼くんは陰キャの弱者女性の盾だから 太った?っていうのはガチで言わないほうがいい
けっこう人を縛ることになる かわいいけどインスタの写真がいかにも仕事先でスタッフが撮りましたって感じの仕事用の笑顔の写真ばかりでつまらない
絶対に素の自分は見せないっていう強い意志を感じる
写真のクオリティが一貫してて多分同じ人がほとんど全部の写真を撮ってると思う
理解のある彼くんが常に同伴しているのではないか? 従妹が線維筋痛症と誤診されて過干渉の叔母がアレは食べられないだなんだとやって叔母の知人のクソババアから買う何とか水と北海道産の何とか野菜しか食べられないって親子纏めて洗脳されて体重25キロとかなってたな
髪も抜け落ちて元No.1キャバ嬢の面影もなかったわ
叔父にそのままいったら多分餓死でおじさんおばさん逮捕されるよって言ったら他の病院連れて行ったな 乙武の体重が40kgらしいからその半分くらいしかないって相当だな 25kgも少ない
身長−110で女性なら皮下脂肪内臓脂肪も合わせた体脂肪は20%がベスト >>43
それなんで生理が止まる
で、不妊化する
生中出し放題w ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています