ファミコン本体持ってないのにソフトだけ持ってる子いたでしょ。 [309635917]
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ファミコン本体はないけどソフトは持っていた…昭和少年の懐かしゲーム事情
https://news.infoseek.co.jp/article/magmix_88171/
■「持っていない」子供たちが見出したファミコンチャンス
1983年7月に発売された「ファミリーコンピュータ」は当初から注目を集め、1985年にリリースされた『スーパーマリオブラザーズ』の大ヒットが決定打となり、他の追従を許さぬ大躍進を遂げました。
ですが、どれだけ大人気であっても、当時全ての家庭にファミコンがやって来たわけではありません。まだコンピュータゲームそのものの認知度や理解度が低く、購入を許可しない親も少なからずいました。また自力で買うにも、小・中学生だとなかなか手の届かない値段です。
ゲーム機本体がなければ、当然ゲームソフトは遊べません。しかし、「持ってないからしょうがない」と諦めるには、ファミコンはあまりにも魅力的でした。そこで当時のゲーム少年たちは、次第に「本体を持ってなくてもファミコンソフトを遊ぶ方法」を見出していきます。
ファミコンに惹かれた当時の少年たちは、どのようにして「本体未所持」という過酷な環境を乗り越えていったのか。当時の少年たちが歩んだ、ゲームライフ・サバイバルの一端に迫ります。
●ファミコンソフトを持ち、友達の家を渡り歩く「放浪プレイ」でクリアを目指す!
自分の家にないのなら、友達の家で遊べばいい。これは、最も確実なゲームサバイバル術といえます。この手段は現代でも通じますが、今と当時で大きく違う点は、セーブデータの取り扱いにあります。
現在のゲームのセーブデータは、本体内に記録するか、オンライン経由でサーバーに置かれるかが主流です。ですが当時のファミコンソフトは、文字入力によるパスワード(「ふっかつのじゅもん」など)か、ゲームカセット内の保存(バッテリーバックアップ)という形でした。
パスワードないしゲームソフトを持参すれば、友達のファミコンでも「自分のプレイデータ」で遊ぶことが可能……このシステムを利用し、ファミコンを持っていないのに、友達の家を渡り歩いて『ドラゴンクエスト』をクリアした猛者もいました。
●自分が持ってなくても、兄・姉が持っていればチャンスあり!
こちらは家庭環境に左右されるゲームサバイバル術ですが、自分ではなく、兄や姉が持っているファミコンを遊ぶという手もありました。ただし、兄弟・姉妹の関係性に大きく左右されるため、仲が悪いと成功率は絶望的。むしろケンカの火種になりかねません。
そうした場合でも、兄や姉が留守なら、相手が帰ってくるまでの限られた時間を活用するファミコンチャンスが訪れます(無断借用ともいいます)。勝手に使ったことがバレると厄介なので、常に玄関を意識してプレイ。少しでも音が立てば、迅速に、かつ痕跡を残さぬよう慎重に片付け、ソファにダイブして素知らぬ顔です。
また、数年に1度だけビッグチャンスが訪れることも。それは、兄・姉の修学旅行です。この期間は間違いなく数日帰って来ないので、ファミコン三昧が決定。綱渡り感ゼロで、ファミコンライフを心ゆくまで満喫できます。
●ファミコンソフトがゲームセンターで遊べた!?
兄や姉、友達にも頼ることなくファミコンを遊べる場所もあり、そのひとつがゲームセンターでした。もちろん、ファミコンで出たゲームのアーケード版を遊ぶ、といった話ではありません。ファミコンのゲームを直接遊べる筐体が、当時存在していました。
ファミコンが遊べる筐体は、一般的なアーケードゲームと違って1プレイいくらではなく、プレイ料金は時間制。例えば10分50円だとすれば、30分遊び続けるには150円の出費が必要でした。
時間制なので、クリアまで遊ぼうと思ったらそれなりの支出になるのが最大の難点。しかし、ゲームオーバーになっても時間内なら再プレイ可能だったため、「気になるゲームのお試しプレイ」や「10分だけ時間を潰す」といった形で利用する人もいました。
ちなみにこの筐体は、駄菓子屋などの店頭にもあり、意外と広い範囲に普及していた模様です。
●タダでファミコン遊び放題! 夢のようだったデパートの玩具売り場
本体を持っていない少年たちが、懐を全く痛めずに遊べる夢のような場所を求めて行き着いた先は、当時のデパートやおもちゃ屋さん。現代における家電量販店のマッサージ機のように、お試しでファミコンを遊べる玩具売り場が、少なからずあったのです。
おそらく、ファミコンをどういう風にアピールすればいいのか、現場でも試行錯誤したはず。その結果、いつでも誰でも遊べるファミコンの試遊プレイ台が、玩具売場に並びます。遊ぶ人が他に誰もいなければ、閉店時間までずっとファミコンを遊べるという、夢のような場所でした。
とはいえ、実際には同じように考えるライバルが多く、1プレイごとの順番待ちの列に並ぶのが常。しかし、待つだけでファミコンが遊べるのは、本体未所持のゲーム少年にとって抗えない魅力です。入り浸った記憶を持つ人も多いことでしょう。
今やゲームは、手元のスマホで遊べる時代。買いに行く必要すらなく、ダウンロードで事足ります。ゲームを遊ぶために頭や足を使った昭和のゲーム少年からすれば、今の発展ぶりは驚くばかり。次にくるゲームはどんな進化を果たすのか、新たな時代の到来も楽しみです。 PCエンジンはHuカードだけ持ってた
20歳前後でDUO買うまで自由に遊べなかったな 親とかもギリケンとか発達で
揃わないと遊べないよってのが理解できない家庭な 本体がなかなか手に入らない時期だったのでまずゼビウスだけ買った いたな
カセット持って遊びに来るやつ
貧乏子沢山の家庭だった まあいるにはいた
たんに本体買う金がないだけなのか自室等でテレビに繋げられる環境がないのか
家でファミコンが許されない教育方針なのかどんな事情なのかはわからんが 83年クリスマスに買ってもらったわ~カセットビジョン、ぴゅう太があったけどドンキーコングjrがやりたくてファミコンにしたわ いたか?
親の精神疾患の影響でバードウィークしか持ってない奴はいたが 本体買ってもらえないのにソフトはどうやって入手したんやろなぁ 親戚の奴がそうだった
よく遊びに来てたけどバカなんじゃねえの死ねよカスってずっと思ってた
今でも嫌い 特定のやつが遊びに来るとソフトがなくなる現象あったよな 巾着袋にカセットいくつも入れて持ち歩いてる奴いたな ガキの頃、友達でもないただの知り合いの家に3日連続で上がり込んで
3日目に殴られたことあるわ 俺
死ぬほど懇願しても本体買ってもらえず婆ちゃんにこっそりスーマリだけ買ってもらって毎日眺めてた いまも似たようなやついるだろ
LP買って飾ってるやつ 毎日ツレの家行ってはツレがやってるドラクエ4を隣で延々見てるだけのお仕事してた 俺もそうだったよ
自分で自分の背中を押して二ヶ月後くらいに買った
ファミコン本体は結構特売してて安い時を待った 町のおもちゃ屋のショーケースに入ったカセット眺めてたなぁ
買うときはすげー緊張した ファミコンなんか1万4千円くらいなんだから買ってやればいいのに
勉強しなくなるとかいって絶対買ってくれなかったよな
俺の頭が悪いのはてめーの遺伝のせいだよバーカ いたわ
でもソフト持ってるだけまだマシ
ドラクエの復活の呪文持ち歩いて他人に寄生してるやついたわ 定価14800円?安い所なら9800円で買えたよ
7980まであったかな?ちょっと安すぎるから記憶違いかな
ソフトはパチンコ屋が穴場
発売日までとは言わないけど新作も置いてあったしかなり割安だった ファミリーエース持ってる奴いたけど今考えると普通にやべぇ家庭だよな ファミコン持ってないけどカセットが懸賞で当たったみたいなやつはいたな 従兄弟がファミリーベーシック持ってたな
いまはSEだからよいのかな? >>44
まぁ割と裕福だったからデパートでしかオモチャ買ってもらったことないなぁ 俺そいつからソフト預かって机に入れてたんだけど、居ない間に勝手に入って持って行ってた、親からはそいつは家が創価だから付き合うな言われてたけど 8bitPCの頃は店頭でコード打ってカセットテープやフロッピーディスクにセーブしてく子いたでしょ 貧乏なんだろうな
クリスマスプレゼントの予算がカセットの値段までだったとか
同胞だから笑えないよ >>46
輪島サンの息子も愛用だからな
当時感覚では普通だったんだろう スーファミカセットを模した消しゴムなら・・・(´・д・`) ぼくは現在進行形でプレーヤーがないのにレコードだけ持ってます 今でもswitch持ってない家庭の子供とかいるんだろうけどかわいそうだな >>57
まさか数十年後までネタにされるとはおもわなかったろうなw あったあった
商店街にあったおもちゃ屋で30分か1時間100円でファミコン、スーファミが出来た
後ろ観戦が凄かったな 新宿のヒルトンホテルの地下に、東芝のショールームがあって、名前を記入するとファミコンで遊べたんよ懐かしいな 友人の誕生日にカセットだけプレゼントしたわ
「カセットだけあってもしょうがないから本体買って」
と親に買わせる作戦だぞ 大人になって話に聞いたことはあるけど
実際に見たことは無い 最初てれびっこのビデオだけ持ってた
後で本体買ってもらったけどセルの本体分かってるよねもう ファミコン本体買ってもらえなかったけど
雑誌の懸賞でスーマリ3が当選したことがある。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています