北方領土の択捉島で、戦前に日本人によって建てられた旧国民学校の校舎が、火事で全焼したことが分かりました。
この校舎では、1945年に旧ソビエトに占領されたあとも一時期、日本と旧ソビエトの子どもたちがともに学んでいて、貴重な建造物の焼失を惜しむ声が上がっています。
現地メディアの報道などによりますと、17日午前、択捉島の紗那(しゃな)にある旧「紗那国民学校」で火事があり、校舎が全焼しました。

元島民らでつくる千島歯舞諸島居住者連盟によりますと、この建物は1938年に日本人によって建てられ、当時の名称は「紗那尋常高等小学校」、その後「紗那国民学校」に改称されたということです。

1945年に旧ソビエトに占領されたあとも、しばらくの間、日本と旧ソビエトの子どもたちがともに学んでいました。

その後は図書館などとして使われ、現在は空き家となっていました。

「紗那国民学校」に通っていた、札幌市に住む岩崎忠明さんは「交流事業で校舎を訪ねた際も、当時とそっくりそのままの姿で残っていた。日本人が住んでいたという証拠が失われてしまい、ショックで残念だ」と話していました。

択捉島の紗那では、国民学校のほかにも日本人が建てた郵便局や水産会事務所などの木造の建物が戦後も残っていましたが、老朽化のため、すでに取り壊されていて、国民学校の校舎は、現在まで残る貴重な日本の建築物の1つでした。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230119/amp/k10013953991000.html