立正佼成会⇠これなに [963243619]
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私は、つながる。
出会いに学び、悩み、深めるからこそ、私の人生は輝く
仏教なの?
ここの学校なら知ってる
一度視野に入れたことがある 方南町あれ異様だよなw
佼成病院って杏林大系らしいけど
杏林大も立正佼成会系列なんかね? たまにポストに機関誌突っ込まれてる
だいたい自分たちの凄さ正しさと創価の悪口書いてる
創価とバトってる仏教系の新興宗教か 改憲反対の立場から与党不支持らしいぞ
ケンモメン陣営側
>>12
wikiにはそう書いてあるね 民主党が存命の時は民主党支持してたけど今はどうなんだろ コロナ最初期にここの病院でクラスターが発生してニュースになって怖かったよな 本一冊だけあるわ
ロボコンの会長やってた人の本
不気味の谷の人って言えばわかるか よくわからないけど高校がある
交流したことあるけど普通の高校生だった 迷走してるなコイツら
壺か仏壇買って精神を安定させないとな 東京の杉並カテドラルの持ち主だよ
環七沿いにある大宮殿 日蓮系は本当胡散臭いのばかり
立正佼成会、霊友会、国柱会、佛所護念会教団、創価学会、顕正会、日蓮正宗、
全部日蓮系 環七沿いにある宮殿、初めて見た時は驚いた。
都内にあの大きさの宮殿を作れるってことは儲かってるんだろな。 >>27
教義が元々カルト風で日蓮宗は穏健になったけど大戦期に持ち上げられたり
一神教的だよね 4月になると釈迦の誕生日の垂れ幕たらすところでしょ >>27
法華経を独自に穏健な解釈をしたのが佼成会で
そのせいで他の日蓮系から邪教扱いされてきたんだけどな >>14
昔は自民支持だったぞ
基本反創価学会だから公明のいる逆のポジションをとっている >>45
そういやコロナ急性増悪して立正佼成会病院に救急で運び込まれたモメンが実況してたな
あいつは結局生き残ったのかな? 非信者の立正佼成会三世だけど全く害なく暮らしてるよ
むしろ婆様をずっと面倒見てくれて婦人部の皆様ありがとうございますって感じ。 顕正会って新興宗教と一緒だろ
事務所の門前に人立たせてる所なんてろくな所じゃない 方南のクソデカ神殿は信者でなくても誰でも入れる。中はクソデカ仏堂。
あの施設をコロナワクチンの接種会場として開放してた。お世話になった。 東京の日野?あたりに馬鹿でっかい会館があったな
最初そうかだと思ってたら立正だった
儲かってるんだなぁ 小中が高円寺だったから遠足とか社会科見学でバスに乗って環七から中央道行く途中でいつも大聖堂見てびっくりしてた >>50
顕正会は碌でもないけど立正はそんなことしてなくね 日本を代表する、というか日本初のプロ吹奏楽団を持ってる。
かつて日本吹奏楽コンクールの全国大会が行われてた普門館もこの団体がもってたホール。
吹奏楽のステージを前提としたコンサートではないから、
音響そのものはあまり評判良くなかったらしいが。 >>56
顕正会の話
立正ってこっちじゃ目立ってないから事務所も見たことがない >>1
創価学会をやっつける事が教義の大作教でない創価学会 課金すると信者階級が上昇するシステムらしい
ソースは身内 勢力的に創価学会と二分するくらいだけど、穏健派なので弱っちい。 コロナ前は大聖堂の駐車場をバイクの講習に貸してくれたりしてた 投票を誘われたことないけど、自分の認識では温厚な保守で自民支持の宗教。
特にイデオロギーはなさそうなので今は変わってるかも。
まあ佼成会も信者ジジババしかいなそうだからねえ。 方南町近くの宮殿の禍々しさは異常
昔ハンターハンターごっこでノヴのマネして潜入試みたけど俺も一階の大階段までが限界だった もともと手かざしで病気治りますよってところからスタート
戦後に地方から東京に上京してきた都心に身寄りがいない女子達の仲良しサークルとして発展
一応日蓮宗ベースだけども悩み相談や世間話したい人達の集まり
それゆえ宗教観ゆるい >>70
あーだからおばちゃんパワー強いのか。
婦人部のおばちゃんたちはみんな朗らかで楽しそうだったけど、
たまにくる道士のオッサンたちは「なんで貴重な休みの日に…」と目が死んでたわ。 >>71
ならええやん別に
一番迷惑なのはこんなにいい教えを知らない人に広めなくっちゃ!(使命感)ってのと信じないと助からないから救わなくっちゃ!(使命感)だからなぁ >>74
どっちかというと創価が佼成会の日常活動をパクったんだよ うちのカーチャン入ってたけど献金要求されたり選挙応援やらされたり勧誘活動やらされたりとか無かったな
俺に入れと言われる事もなかったし >>14
元々、民主党支持だったから、ケンモメンには受けなさそうw
まあ当時れいわもなかったしな 中に入るとお勤めは色々あるみたいだけど
、外から見てると貧乏人の助け合いコミュニティのように見えた。
詳しくは書けないが、戦後の苦しい時代に祖父・祖母は精神的にかなり助けられたようだ。
遺品整理したら周囲の佼成会に流されたか無駄な買い物や無駄な保険に入ってたが、それで安心が買えたならいいだろうと思う。 霊友会か立正佼成会かどっちか忘れたけど、昔企業の社長さんとかが横の繋がりを増やす為に入会してるって聞いた 平和貢献、特に非核運動には熱心な宗教だが、
何故か創価学会の方が目立つという 立正佼成会は、霊友会を抜けた庭野日敬と
長沼妙佼(女霊媒師)に、国柱会の元会員など
が加わって昭和13(1938)年、設立された
(当初名称は「大日本立正交成会」)
教義の中心は霊友会と同じく法華経と先祖崇拝
だが妙佼の霊能力による予言・占い、病気治し、
日敬の姓名鑑定などが評判となり信者が急増した
女霊媒師の妙佼は「生き仏」と崇められた しかし戦後、教団に関する様々な事件が報道され
読売新聞、NHK、弁護士会などが批判を展開
呪術的で強引な布教や勧誘は人権侵害だ、
公共の福祉に反しているなどと社会問題化した
昭和31(1956)年、ついに国会でも取り上げられ
社会党の猪俣浩三(キリスト教徒)が教団を追及
日敬と幹部らが累計7回、衆院法務委員会他に
参考人召致され、教団の活動を問い質された
衆院法務委は全会一致で教団の人権侵害を認め
文部省は教団に対し改善するよう通告した
(当時は未だ「質問権」は制定されていない) この時、教団の内部では
妙佼の霊能力を前面に押し出したい霊能派と
飽くまで法華経が主だとする庭野日敬とが対立し
霊能派は日敬を追い出そうと画策していた
そんな折、女霊媒師・妙佼が癌で入院
昭和32(1957)年9月、67歳で死去した
その後、日敬は霊能派に対し譴責も追放もせず
変わらぬ態度で接し、霊能路線からの転換を図った 路線転換して暫らく経った昭和37(1962)年、
40~50人の青年信者が脱会し、統.一教.会に移った
日敬の秘書だった久保木修己(31)までもだ
当時、統.一教,会は「原理運動」とか「原理研究会」と
呼ばれていたが「原理研とは立正佼.成会の青年部だ」
と噂する者までいた
だがその後の庭野日敬は統.一教会と関わらず、
距離を置き、教団は穏健化していった >>88
あの場所は都の都市計画で中高層住宅地域に指定されてるから
普門館の再建は許可が出なかった
吹奏楽の聖地は無くなりました ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています