【古代史】奈良・富雄丸山古墳で国内最大の蛇行剣出土、類例ない盾形銅鏡も [888348453]
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■奈良・富雄丸山古墳で国内最大の蛇行剣出土、類例ない盾形銅鏡も
奈良市にある国内最大の円墳、富雄丸山(とみおまるやま)古墳(4世紀後半)の墳丘から張り出した「造り出し」の部分で埋葬施設が見つかり、内部から精緻な文様が施された盾形の青銅鏡と剣身が曲がりくねった「蛇行(だこう)剣」が出土した。奈良市教育委員会と奈良県立橿原考古学研究所が25日発表した。銅鏡は通常円形で盾形のものは類例がない。蛇行剣は長さ237センチで、古墳から出土した鉄剣では国内最大。いずれも国産とみられ、古墳時代前期の金属器としては国宝級の傑作と評価され、当時の生産技術の高さを示す極めて重要な発見となった。
https://www.sankei.com/article/20230125-B7RMG27LOJMBBECZOXTA63KAIM/
https://i.imgur.com/n5DbIYA.jpg
https://i.imgur.com/UehRiuD.jpg
https://i.imgur.com/HGVhiQQ.jpg
https://i.imgur.com/Rger0br.jpg >>58
七支刀さんはいつ見てもコートハンガー感パねえな >>101
堺の中百舌鳥あたりの古墳群も天皇陵と比定されなかったものは壊されまくったんだっけ?
それよりもたまに見かけるテレビのキャプチャ画像の大阪市立大の先生が言う墳墓じゃない古墳の正体ってなんなんだろう 太秦の秦氏の古墳も破壊されまくったので
謎の氏族扱いされとる一因だろ これは>>110
縦115.1cm
ヨコ57.5cm
重量56.5kg ちょっとWikipedia見てたら…
八咫鏡(やたのかがみ)
三種の神器の一つである八咫鏡は、一般に「銅鏡」と解釈されているが、
材質が公開されているわけではなく、
古事記では、「高天原の八百万の神々が天の安河に集まって、
川上の堅石(かたしは)を金敷にして、金山の鉄を用いて作らせた」と記されているので、
実際は「鉄鏡」(=黒い鏡)である可能性がある。
天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)
「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」とも称される剣の正式名称で、
『古事記』では「草那藝之大刀」と記される。
銅以外の成分も混ざってる鏡… 大刀…
「三種の神器」と呼ばれる物のプロトタイプなのかも知れない…
とかき立てる想像をしてしまいました。
資料やWikipedia等に掲載されてる画像はあくまで想像されたものなので… >>105
大阪の古墳はかなりの数が破壊されてる
それでまだあの数がある 大和王権の鉄器生産拠点?鍛冶工房跡を出土…大阪・長原遺跡
2009年01月16日
https://fu1to.i-ra.jp/e77598.html
百舌鳥 ( もず ) ・古市古墳群の大山古墳(仁徳天皇陵、堺市)など
巨大古墳が築かれた「 倭 ( わ ) の五王」の時代に当たり、
近畿で最古の鉄器生産遺構という。 4世紀にはヤマトで鉄器の量産が開始されてて
各地の独立勢力を一気に強大な武力で制圧した
四道将軍の伝説もその一端だろう >>1は
縦64cm
ヨコ31cm
これまで日本国内最大だった銅鏡は
平原遺跡出土の内行花文鏡46.5㎝ あと>>1の?龍文様はこれまでの?龍鏡が倭鏡であることから
これも倭鏡である可能性が高い
4世紀後半だし あれ
?龍文って文字化けするんだ
だりゅうきょうね >>105
全長150メートルの大塚古墳とかね
周濠がなかったので早々に工事が始まりあっさり土取りで消滅した
いたすけ古墳は周濠があったおかげですぐには工事に取りかかれず、反対運動が起こる時間的余裕ができた 京都府埋蔵文化財調査研究センターの
蛇行剣の解説
> 奥大石2号墳から出土した古墳時代中期(5世紀)の蛇行剣は、
> 関東から九州北部の小古墳を中心に約30振ふり確認されています。
> 各地域の首長墳からはほとんど出土していません。この時期の蛇行剣は、
> 緩やかに2か所で蛇行し、全長が70cm前後のものが多いことから、
> 一元的に生産・分配された可能性があります。一方、城谷口2号墳から出土した
> 古墳時代後期(6世紀)の蛇行剣は、九州南部の古墳や地下式横穴墓を中心に
> 約30振出土しています。この時期の蛇行剣は、長さ・蛇行回数・形状が一定しない
> ことから一元的な生産ではなかったと考えられます。出土数が全国的剣身が波打った
> 蛇行剣(左:奥大石2号墳、右:城谷口2号墳)に少ないことから権威を象徴する
> 道具立てであったと考えられますが、時代毎に分布域が変化することや各地域の
> 首長墳からほとんど出土しないことから、甲かっちゅう冑などに比べると拝領するランクと
> しては下位に位置付けるべきものと考えられます。
>
>古代中国の「蛇龍」には自然を司るという概念が認められます。その蛇龍も自由に
> 操れる中国の農耕神「雨ウシショウ師妾」などの能力が中国皇帝には不可欠で
> あったと思われます。大陸交渉が盛んになる古墳時代中期にその概念が大陸から
> 伝わり、蛇に見立てた蛇行剣が作られたと考えています。畿内政権下での各地域の
> 首長は、農耕司祭者から武人へと急速に変化しますが、小地域の首長は、依然として
> 司祭者的な性格が強かったため呪術的な蛇行剣を必要としたのではないでしょうか。
> (小池 寛)
http://www.kyotofu-maibun.or.jp/data/mukashi/pdf/mukashi.pdf
記紀見た感じ該当しそうな武器は、ヤマトタケルに授けられた「比比羅木之八尋矛(ヒイラギのヤヒロホコ)」かな
─
・ヒイラギ
https://i.imgur.com/84sQdGW.jpg
・蛇行剣
https://i.imgur.com/8tgynw6.jpg
「新羅は比比羅木之八尋矛ですら届かないほど遠くにあるのだよ~」と詠む歌が播磨国風土記にあるくらいだから相当デカい武器だったんだろ
じゃ、これじゃん 4世紀後半で倭鏡と一緒に出ているんで
文字があればな
しっかしデカいわ
ヤマトタケルも4世紀だったし比比羅木之八尋矛なのでは 皇紀2680年とか言ってるけど
日本っ継続性がないよな
だからその裏返しで皇紀なんて作り出したんだろうけど 素晴らしい
これによって、空白の四世紀の全貌が明らかになることでしょう 4世紀後半に列島内で作られたとしてよい
これだけ派手で特徴的なヤツに文字が刻まれてないとなると
やっぱり4世紀にはまだ漢字は権力者たちにすら使用がなされてなかったかな
権力者たちが文字を使い始めたのは
これまで通り5世紀からか >>42
随分とデカいな。ここから慎重に錆落としたりして復元してくわけか この発見から
日本列島が余裕で朝鮮半島より優越してたってことが分かるな
すごい発見だよこれ
日本で作ったのか中国からもらったのか
このサイズだと作ってそうだけどな 古墳開けさせないで歴史を歪めて国費で小室圭とブス眞子をアメリカに行かせた宮内庁職員は全員死刑にするべき 念のため
神代文字とか書いているバカは完全スルーしたうえで
4世紀後半>>1とはこういう時期
好太王碑ではモロに例の391年のココにかかる
> 百殘新羅舊是屬民由來朝貢而倭以耒卯年來渡[海]破百殘■■新羅以為臣民
これを記紀に照らし合わせると
神功皇后から応神天皇の三韓征伐時期に当たるため
ヤマトタケルの剣がどうたら書いている奴は「記紀を無視している」ことになんよw
まあ好太王碑の記述と記紀の記述が本当に合致していて
そのまま倭国が高句麗新羅百済とやり合っていたとしたら
記紀のその登場人物はフィクションだとしても倭国は朝鮮半島で
戦乱起こしまくっていた時期となる
それが好太王碑と記紀が語る4世紀後半
そしてもちろん高句麗が倭国として認識していたのは半島の「任那=倭国」勢力とするのが
ケンモメン
ちなみに日本列島に初めて首都というか都ができたのは
河内王朝の始祖仁徳天皇が築いた大化元年645年の難波宮からなのは
発掘調査が示している通りのため、それ以前のヤマト王権と半島や中国大陸が呼んだ
倭国が「同じものである」とは限らない 4世紀後半の日本列島の権力者は>>1こんなに派手で大きくて
当時の列島の技術の粋を集め権力者の墓に収める
自国産の最重要製作物にすら「文字を刻んでなかった」
それほどまだ列島の権力者は半島からの文字文化に馴染めていなかった
しかし同時期の好太王碑や記紀はそんな半島との戦いに明け暮れる「倭国」の
様子を伝えている
さて文字が使える高度文明を持った倭国の倭人
その後の天皇家となり日本列島の支配者になる倭人の権力者勢力は
この頃、列島にいたでしょうか?
それとも半島の任那にいたのでしょうか?
最低でも北部九州にいないと整合性が取れなくね? 鉄剣なんて錆びてボロボロだろ
こういうのは銅剣の方がロマン有る >>154
前近代においては文明化の度合と軍事力や政治力は必ずしも一致しないだろう
ドーリア人とか海の民とか、文字や記録を持った勢力が文字も持たない勢力に征服された事例なんてありふれてる 蛇尾丸みたいなのかと思ったらただのフランベルジュじゃん
いやそれでもすごいけど
>>156
前漢劉邦軍をフルボッコにした冒頓単于の匈奴も、文字持ってませんでしたね
いやもちろん日本中飛び回ってるヤマトタケルが実在の人物なわけないぜ?
あからさまな英雄譚継ぎ接ぎで作った都合の良い大英雄だよ。けどあくまで一部モデルになった人物がいるんじゃないのかなって話 実用性無さそうだし祭祀用か
身分装飾的に俺朝鮮舶来のすげーもん持ってるアイテムかね。 >>158
鮮卑とかも文字もってなかったのかな
>>130
これはなんかほんとそうなんじゃないかなとおもわされた 銅鐸も、たぶんわざと中が空洞じゃなかったりすんでしょ
祭祀用なのかな >>166
銅鐸は音鳴らすための中の部分も見つかったってニュースで見たよ >>161
タケルって軍人の総称な気がする
ヤマトタケル→大和の軍隊
クマソタケル→熊襲の軍隊
だからヤマトタケルという個人が九州や関東に遠征したんじゃなくて、あくまでも九州遠征軍、関東遠征軍とそれぞれ別の部隊だったんじゃ無いかなあ >>171
タケミナカタとかタケミカヅチとか
タケという言葉に勇ましいという意味が有るんでしよ タケハヤスサノオノミコトとも言うしね
あと武内みたいに武をタケと読んだりとする 隼人の系譜―南九州の地域性
熊本県の球磨川と宮崎県の一ツ瀬川を結ぶ線から南には、この地域独自の地下式横穴墓と地下式板石積石室墓が濃密に分布している。
地下式横穴墓は、宮崎県南部から大隅半島北部を中心に広がっている。それに対して地下式板石積石室の分布域は鹿児島県北部・熊本県南部・宮崎県内陸部におよんでいる。
地下式横穴墓がさかんに造営されたのは五世紀~八世紀である。地下式板石積石室墓が造られた時期は四世紀~六世紀後半である。
このように地域色豊かな墓には、隼人とよばれていた人たちが葬られたといわれている。隼人はその居住地域によって日向隼人・大隅隼人・阿多隼人・薩摩隼人・甑隼人とよびわけられている。
宮崎県の地下式横穴墓から出土した在来系古墳人は 、鼻根部の隆起が強く、大腿骨の柱状性が強いなど、縄文人的特長がいちじるしく強い。
この九州南部は、長く畿内の中央政府に反抗し続けた「隼人」、あるいは「熊襲」の分布域として知られる。
九州南部には前にも触れたように、その地理的な条件もあっておそらく更新世に遡る時代から南島経由でアジア南部の人的文化的影響がおよんでいた可能性がある。
民俗学者の大林太良も、隼人の言語はオーストロネシア語族の流れをうけたものと想定されると述べている。
この地域の人々が中央政府からの圧力に頑強に抵抗し続け、体質面でも現代に至るかなり強い地方色を遺したのは、
彼らが長年に渡って育んできたそうした独自性の強い文化が、流入する他文化と激しい摩擦を起こして容易には同化し得ない土壌を形成していたことが一役かったのであろう。
蛇行剣(クリス)は赤道付近のインド中東文化の影響が色濃い 昔の人はおおきかったのな(´・ω・`)
これは現人神だろ 1972年に最初の発掘調査されてるのになんで今頃新発見なのよ
当時から全部調査しろよ 当時の奈良県民だけは凄いな
それ以外はドングラーだが 蛇というのは降雨や水利と関連が深い 蛇行剣は蛇を模したのだろうから農耕儀礼で使ったのかもね 盾型銅鏡とか祭司者と兵権を兼ね備えた王みたいなのを想像させるよな >>57
日本の考古学者なんて相変わらず日本書紀史観に囚われたカルトだから信用出来ん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています