故人に対し別れの機会を=無職・手島廉幸・76(神奈川県)
一昔前は人が亡くなると、通夜・告別式では親族だけでなく、親しい友人や知人に声をかけるのが一般的だった。
しかし、最近は家族葬が一般的になり、周囲はその人が亡くなったことを知らず、家族葬が済んだ後で死去の事実を知ることが多くなったように思う。
そのような風潮に一言申し上げたい。
年を取ると、親しかった友人がポツリ、ポツリと物故者になることが多くなった。亡くなってしまうと、その人の存在は、日に日に薄くなっていく。
それは仕方がないことだが、せめて通夜・告別式に参列し、手を合わせて最後のお別れをしたいのだ。
葬儀は、故人との最後のお別れの機会である。遺影の前で手を合わせ、心の中で最後の会話をする。故人との別れという一つのくくりとも言える。
コロナウイルス感染を防ぐ意味もあり、少人数で営む家族葬が増えるのは仕方がない面があるかもしれないが、
故人と親しくしてきた者にも、お悔やみの機会を与えてほしい。
https://mainichi.jp/articles/20230125/ddm/005/070/002000c
コロナが変えた葬儀の形態=公務員・川口喜仙・58(石川県)
地元の葬儀会社が流すテレビコマーシャルの「お葬式は誰のものですか?」というフレーズにドキッとした。
時代を反映した問い掛けのようで、心に刺さった。新型コロナウイルスの発生から3年。葬儀の形態が大きく変わってきた。
3密を避けるため、親類、仕事仲間、知人らが葬儀・告別式に参列する形式から、家族だけで済ませる家族葬へと変わってきている。
新聞の訃報欄にも「葬儀は近親者で営んだ」などと記されることが増えた。
場所も変わりつつある。50年前の祖父の葬儀場は自宅。喪主の父と長男の私は白い和服を身にまとい、集落の皆さんの手を借りて営んだ。
一方、昨年12月12日が17回目の命日だった父の葬儀は、当時地元では珍しいセレモニー会館だった。
自宅や寺院での葬儀から、セレモニー会館などが主流に。形式も簡素化し、さみしい限りだ。
コロナウイルスによる死者の増加が、変化に拍車をかけている。
https://mainichi.jp/articles/20230125/ddm/005/070/003000c