日本人「日本軍のロシア人収容所は人道的で、日本兵の2倍の食費を当てるなど悠々自適だった」 [377482965]
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習志野にもあったロシア兵・ドイツ兵捕虜収容所 講演会で後世に伝える(みんなの経済新聞ネットワーク)
https://news.yahoo.co.jp/articles/fe177e342facdaeedf5d5e2564ea97ab6f57f38b
(前略
収容所長だった西郷寅太郎の指示により捕虜は日本兵の食事代よりも2倍の費用をかけるなど、「大変人道的に扱われ好評だった」と話した。「捕虜の生活の自由度が高く、ロシア人捕虜が楽器を演奏する様子や、ドイツ人捕虜が音楽活動やスポーツ等を通じ地域住民との交流があった」とも。地域ブランドである習志野ソーセージは、作り方が同所から伝えられたとされている。
(後略 ドイツ捕虜と施設の写真を何かで見たけど確かに丁重は丁重だった
ただそれは列強扱いして欲しくてたまらない明治の国情上の理由なのも透けてた ドイツ軍の捕虜となったアメリカ兵の死亡率は1.2%
シベリア抑留の日本兵の死亡率は10%
日本軍の捕虜となったアメリカ兵の死亡率は37.7% モンゴル抑留
戦争は終わり、日本軍は解散、皆、同じ捕虜になったはずなのに各収容所内では旧軍隊の序列が残っていた。
日本人捕虜たちの生活を決定付けたのは、モンゴル人ではなく、日本人だった。
モンゴル側は収容所作業及び作業能率向上のためか、日本軍隊の組織階級制度をそのまま利用し、
ノルマ達成さえできるのであれば、日本人幹部がどのような行動をとったとしても何も言わなかった。
日本の将校や下士官の方がモンゴル側よりはるかに威圧的であり、欠礼は依然として最大の犯罪、
停止敬礼までも励行され、日々の食事も班長、古兵と差別があった。
体調が悪いからと作業を怠れば、殴られたり、食事の量が減らされたりした。
収容所を取り仕切る日本人の将校の多くはモンゴル側に極めて迎合的であり、
そのように振舞っていくことで自分たちの地位を守ってきた。
このような将校は、皆が飢えていることを利用して人々を従え、同胞であるはずの日本人抑留者を多く死に追いやった。
食事を管理できる炊事担当者は真面目なものが選抜されているが、
交替を恐れて、将校たちに兵隊の数倍の食料を貢ぎ、そうすることで彼らは食糧をたらふく食べている。
そんな将校はたいてい冬の間一度も作業に出なかったという。 苛烈なシベリア抑留!
日本人の捕虜の扱い方は人道的だった ユーハイムとかローマイヤーとかはここに収容された捕虜がきっかけで生まれたんだってね 満州開拓団で
関東軍ではイジメされまくったけど
帰国できずに八路軍に入ったら
めちゃ仲間が良くしてくれて初めて人間扱いされたって自伝に書いてるからな 第一次世界大戦のときの話やろ?
戦場にならず余裕があったし自分たちが一等国に至らない二等国と認識し海外に学ぶ気があった奇跡的な時代 ジャップはオーストラリア収容所でも
待遇良かったのに
日本海軍捕虜から陸軍はハングリーボーイと笑われて
それに切れて正規の大脱走やってオーストラリアに迷惑かけまくったよね
脱走理由が身内の内輪もめってのが最高にジャップ ロシアもドイツも白人の中ではカースト最下位なのにそんな奴らに全方位土下座してたんだな >>10
アメカス軍に投降した日本兵わ最低7000人で
生還したのわたった236人 >>10
日本軍の捕虜となった中国兵の死亡率はほぼ100% ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています