中国思想の原型・諸子百家の登場【始皇帝の話】
Text:渡邉義浩
儒家、法家、兵家など中国思想の黄金時代が現れた
生存競争に知恵をしぼる戦国時代が到来し、それまでの身分制や土地の呪縛(じゅばく)から自由になった人々は、
自在に他国と行き来できるようになりました。「諸子百家(しょしひゃっか) 」と呼ばれた思想家たちは、このような背景の中で生まれます。
君主がどのように国づくりを進めれば、揺るぎのない強い国ができるのか。諸子百家が追求したのはこの一点でした。
国家の理想論を説く者、具体的な政策を語る者、戦術を語る者など中身は多種多様で、ゆえに「百家」と呼ばれたのです。
縦横家(しょうおうか) 、名家(めいか) 、兵家(へいか)など次々に思想家たちが登場する中国思想の黄金時代がここに到来します。
諸子百家は諸国を渡り歩いて持論を説き、各国のリーダーたちはこれを受け入れ、「食客しょっかく)」、つまりゲストとしてもてなしたのです。
なかでも斉(せい)の威王(いおう)は、都の臨淄(りんし)の稷門「しょくもん(城の西門)」 の外に学堂を建て,思想家たちを集めて研究をさせました。
その思想家たちは「稷下(しょくか)の学士(がくし)」と呼ばれました。
考え方が異なる者たちが議論を戦わすことを表す「百家争鳴(ひゃっかそうめい)」という言葉も、この論争に由来します。
後の中国に絶大な影響を与えた孔子(こうし)を祖とする儒家(じゅか) が登場したのも、この頃です。
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