【速報】劉備「諸葛亮SSR、関羽SSR、趙雲SR、張飛R、馬超R」→なんでこんな最強の布陣なのに魏にも呉にも勝てなかったんだ? [661852521]
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劉備が血統しか誇るものがないクソ雑魚だから
言わば安倍ちゃんや岸田ちゃんだ 流浪の民が一国の主になるほうがすごいぞ
蜀の乗っ取りではあるにしても 結局我が陣営の味方はこんなに凄いぜ!って言ってるだけだろ
他陣営にはもっと優れた人材が沢山いたってだけ 関羽以外言うほどでもない
劉備はアホ、張飛は強いだけの酒乱、趙雲は実際は将軍ですらないし、馬超は蜀に入ってからは全然ぱっとしない
黄忠はまぁ入った時点でかなりロートルだったんだっけ? そもそも歴史ある「劉」を主人公にしてるから盛り過ぎなだけだろ
地政的にあんな僻地がそもそも無理なわけでね
島根鳥取が天下取るより遥かに難しいとこじゃない 蜀巴自体はまあまあの平野なんだが…
やるなら中原諦めて南下して異民族制服だったように思う >>11
実際は一番優秀なのはなんたかんだで劉備だろ 人材コレクター曹操はこの10倍の天才持っていたから 曹操のとこは李典、楽進、于禁あたりでもSSSRだから… つーか三国志スレの人ってどこで三国志の知見深めたの?
三國無双? コウチュウが一番わかりやすい手柄立ててるけどなw
次が張飛 三国志はちょっとマイナー位の各国の武将とか文官を調べると、魏が人材で圧倒してるのが判る ぶっちゃけ三国志なんて演義は物語としては面白いけど
正史を中国史としてみると雑魚の集まりなだけでだから統一までいかんかっただけ
どいつもこいつも失敗だらけ SSR5人が基本なんだが?
SSR2人であとSRとRでプレイなんてサービス初日くらいしかありえねーだろ ド田舎僻地だったから
超優秀な武将抱えてたけど駄目だった信玄ど同じ それなら司馬懿郭嘉荀攸賈クはSSRだし、張遼もSSR
夏侯淵楽進満寵荀イクはSR 曹操SSR
司馬懿SSR
賈クSR
荀彧SR
郭嘉SR
荀攸SR
程昱SR
張遼SR
夏侯惇R
許褚R
徐晃R
典韋R
龐徳R
于禁C 馬超は相当優秀だったコネ含めて
馬超の死はでかかったな スレタイの連中がそもそもSSRとかじゃないし
普通に後漢を引き継いだ曹操の国力には勝てんし
何一つ不思議なことは無いぞ そもそも人間の能力にそんなに差があるわけないだろ
ゲームのやりすぎ 武勇伝ありの田舎の先輩と
都会のエリート
どちらが優秀かは明らか 結局戦いは数だよ兄貴
何だよなあ少数精鋭で天下取るなら
一点突破の強襲で敵の都攻め落とすしかない
天下三分でいつか倒すぞなんて悠長な事やってたら
ジリ貧になるに決まってる スレタイだと劉備と諸葛亮だけ飛び抜けてて他のメンツは大したことない只の手足
劉備が袁紹に半生を捧げず知識人へのコネクションをもっと早く築いていれば違ったかもね >>50
こいつら相手に結構いい勝負した項羽とかいうバケモン >>40
お前がRにしてる奴らが実際にはSSRかSRだから勝てっこない
于禁も最後以外はSRだ 中原取れなかったらどうにもならねえレベルで人口に差があったとかなんとからしい 曹操が荀彧手に入れたから荀彧が次から次へと有能推挙してくれたから 華北を手中にしてた袁紹倒した時点でもう天下は曹操のものになったから 劉備→馬謖は口先だけのやつ
陳震→李厳は腹で何を考えてるか分からないから同郷のものでも近づけない
孔明が人の忠告してるのに話聞かないから足引っ張られたし🥺
>>1
何で黄忠無視してんだよ 戦国時代もだけど、結局親ガチャみたいなとこあるよな むしろ劣勢の方が個人の裁量が際立つから英雄は少ないらしいな
近代的なシステムになればなるほど効率上がって英雄が出にくいから >むしろ劣勢の方が個人の裁量が際立つから英雄は多くなるらしいな
訂正 色々と三国志の小説を読んだが
ほとんどの作品で共通する劉備や孔明の最大の悩みが
「蜀には良い大将がいない」
まああくまで小説の話だけどね
でも小説家の目にはそう映っているんだろうな 乞食坊主から成り上がった朱元璋とか親がちゃ最悪やん
親とかさっさと死んでるし 先主伝と諸葛亮伝は陳寿の特別な敬愛が滲み出た名文だから正史読むなら蜀書からをお勧めする
史記だと季札と周公旦に関する記載に同じような熱量を感じた 蜀には韓信張良ショウカがいないし曹操も項羽みたいな脳筋じゃないから天下ひっくり返すのは不可能 >>68
朱元璋が成り上がるのにカルト使ってるってのは現代にも通じるとこあるな 三国合わせても韓信みたいな軍事的天才はいなかった感じだな >>73
諸葛亮孔明のゴミっぷりを見てると韓信がほんと凄いって分かるな 曹操のところには
戦場以外でも文官として活躍する人材も多いけど
劉備のところはチンピラ以外にイメージがない >>34
これ
他の時代なら雑魚すぎての垂れしんでるよ 漢中王になった頃はすごかった
関羽が荊州取られたのが良くなかったしなんで荊州取られたかというと関羽が孫権との姻戚断ったから 長江の要所の江陵取られたのが無能オブ無能
のちの歴史みても北方勢力が抑えてた江陵を江東勢力に取られたのは無能な曹操陣営のみ 江南勢力を安定させようとしたらまず蜀取るのがベストなのに無能な孫権はそれすらできなかった そりゃ曹操はSSRだけで複数のデッキ組めるからなぁ 格下扱いしてる孫権に領土半分近く奪われて取り戻せないってのがね 蜀に引きこもった段階で中華の覇者への道は無くなった 赤壁の戦いまでは天下三分の計はうまくいってたんだけどねー。そのあと蜀と呉が戦って、三分の計の命脈は尽きたねw >>43
「演義じゃなくて正史に書いてあるから真実なんだ!」って盲信してる人が多いからね 三国志と言うけど結局後漢→魏→晋と内乱が続いていただけに過ぎない
中国史でもここを戦国時代と扱っていない 単純な国力だろ
ハワイがアメリカ本土に勝てるかって話 三国志って呼ばれる段階の頃には蜀だけカスみたいな人材だったろ
関羽とかみんな死んでて 国土……F な件について
凡将でも10万人の軍隊潰されても潰されてもお代わりされ続けたらウクライナみたいにロシアにレイプされるからな 日本に例えると地盤が四国だから
守るには適してるけど勢力拡大には限界がある >>24
ナムコの三国志から光栄の三国志から横山三国志と来て吉川三国志と流れる 蜀出身の陳寿だから色眼鏡で見ちゃってただけで
実際は魏の人材に比べると全然大した事ないんだよね 人口は本当に重要
人口減少加速してる日本の未来は真っ暗 蜀ではSRだったであろう徐庶が魏ではRかN扱いだからな 臥竜・鳳雛どちらか得られれば天下を取れる
どちらも得た結果w 三国志演義で南跋の話しがあるのはそうでもして支配圏広げて国力上げないと魏に対抗出来ないと三国志演義が書かれた明代の人達が思ったからかも 兵士が少なくても将軍が優秀なら勝てる三国志ゲーって実はそんなにないだろ
兵数・兵站・経済の差で勝負が決まる 荊州や夷陵あたりで人死にすぎただろ
関羽父子、張飛、黄忠、馬良とか 中国国民党「資源SSR人口SSR同盟国SSR」
👆
これが日本軍にボコボコにされた方が不可解やろ 曹操「こやつの乳首をはねい!♡」
ワイ「ふー!♡ふー!♡」ガクガクッッ
張遼「し、しかし…ピンって弾いたら直ぐイってしまうかもしれません…」
曹操「聞こえなかったのか!乳首をはねいと申したのだ!♡夏侯淵!お主は右の乳首をはねよ、夏侯惇は右だ♡」
夏侯淵「はっ…」ピンッ♡
夏侯惇「すまぬ…」ピンッ♡
ワイ「やんっ♡乳首はねられちゃったぁ♡♡♡屈強な男二人に乳首弾かれてぇ…腫れちゃったよ♡♡♡乳首2倍♡乳首デカくなっちゃった♡♡バカでか乳首♡アクメ大好き曹操様ぁ…みてぇ…♡乳首が真っ赤だょ♡この乳首を曹操様の筆ですりすりしたら…アクメしちゃうかも♡♡♡♡曹操様お願い♡曹操様で乳首イキたいのぉ♡足の指で挟んでくださいっ♡温州蜜柑の果汁塗り込んでいっぱい吸ってください♡曹操様の乳首奴隷になりたい♡魏の乳首になりたい♡♡♡曹操様が望むなら…劉備のバカ乳首も討ち取ります♡♡♡お願いします…乳首にさせて♡♡♡」
曹操「首もはねい」 ssrの基準が甘すぎる
あの時代だと韓信だけだろssr 兵士の運用の仕方だと思う
武将が兵を用いるより魏みたいに国が兵を用いた方が強かった 人口が魏440万呉250万蜀90万といわれるけど
これいうほど魏の必勝でもなくないか? 武将の知名度はいま一つということは誰が軍を指揮してもそこそこの成果を出せる国力や教育水準の高さが呉にはあったとも考えられ 国力が7:2:1みたいな感じやって何かで見たで、魏呉蜀の順で >>120
民度……F やったやんけw
ちうごく人は腐りきってた
汚職まみれの糞まみれ 馬超とかいう鳴物入りで入団したのにさほど活躍しない助っ人外人 >>1
蜀の地自体が無理
河北を曹操がとった時点でな
事実上の決勝戦は袁紹VS曹操だったんだわ >>125
呉が弱まったのは内側の問題からだったような。
内紛やらない前までは対抗出来ていて 韓信を見出した蕭何
馬謖を信用した諸葛亮
この差よ とは言え、夷陵の戦を行わず
呉との協力を続ければいれば、あるいはワンチャンあったかもしれん
でも、関羽張飛と劉備の絆はそこまで深かったということだ
あの諸葛亮ですら止めようとしなかったからな
止められないと知ってたし、そういう劉備を尊敬してたからw 蜀の武将はみんな小隊長タイプなんだよな
全軍を任せられるような判断力を持ってる人間が少なすぎる 贔屓の引き倒しエンタメだから
現実は乏しい人材貧弱な土地飢える民 >>133
魏より生き残ったしな
孫一族内の権力争いで潰れた
逆に権力争いするほどに国が確立されていたから慢心した >>11
張飛が酒乱なんて正史には全く無いんだが
軍律に厳しかっただけ 馬超は寿命がね…
こいつが生きてたら北伐も成功したかもな >>7
呉は四国で蜀は北海道だろ
呉も南の方はもちろん、荊州なんかもよく分からない異民族地帯だらけ 呉が持ってたのは長江のお陰
ただ蜀を占領したから統一の王手はかかってたのに呉討伐を反対摩るのにもいて遅れに遅れてしまった 荊州持ったまま呉と同盟が続けば魏のゴタゴタの内にパワーバランスが変わったかも
呉が蜀ボコって魏に食わせるから呉も晋に食われる羽目に >>142
魏も晋になったりで内紛してたから呉も内紛する余裕があったんだろうなw 華北と蜀両方抑えて江南勢力討伐に成功→西晋、隋
失敗→前秦 >>138
江南は徐州豫州から渡河で攻められてもほぼ無敵だけど(例外は宇宙大将軍閣下くらい)
江陵から長江を攻め下られるとすぐ落ちる
安全保障の観点から呉にとって荊州は喉から手が出るほど欲しい土地だった
一方劉備政権は親戚が荊州に住んでる幹部だらけ
荊州失陥は政権の持続性に関わる一大事で放置出来なかった 陳舜臣エッセイでつづる中国の歴史上p115によると
魏が66万戸、443万人
呉 52万戸 230万任
蜀が28万戸 94万人 >>153
だからこその同盟関係だったんだがな
関羽が呉の糧食を強奪したり、嫁を拒否したりしたから
付け入る隙があったのも間違いない
そもそも呉からすれば「貸した土地」という認識だからな
その上で、本来なら関羽が討たれた後でも呉との同盟関係は維持すべきだった
でもそこで冷徹な判断ができないのが劉備の短所でもあり長所でもある
あそこで引かない劉備をみんなが慕ってた >>135
ほんと人を見る目がないのだけは世間知らずの弱点だよなあ 黄忠と法正は過小評価されすぎる
孔明とか姜維みたいな無能と違って全盛期の魏に唯一勝ったのはこいつらだけなのに 三國になって少し平安が訪れる
民は戦争のない天下を望んでいた
どの国も平安を民に与えることができなかった雑魚
天下統一して歴史に残るのが正史のスタート地点みたいなの、あるじゃん?
前歴史をディスって今の方が凄い‼と 呉は肥沃な大地の割にはどういうわけか人口が増えなくて、手っ取り早く人をさらって維持してたという
九州にも呉の人狩り隊が来ていたとか 戦いは数だよ
当時の日本の最大の穀物庫、濃尾平野抑えてたら全方位的に回しても勝ちきったろ? ワイ「三国志か~最後は魏が天下統一するんやろなぁ」
「晋が統一しました」
ワイ「は?」 関羽 顔良を討ち取ったから評価されてる
黄忠 夏侯淵を討ち取ったから評価されてる
武将として本当に評価されてたのは誰かっつう話ですわな
もちろん絵を描いた荀攸、法正は凄いのだけど 西涼や異民族への影響を考えると馬超の早死には痛いよねえ >>79
荒れ果てて雑魚だらけなのが後漢末期だからな…
>>50
始皇帝により混乱したとはいえ六国時代直後で兵士や戦える国力もあったからとも言える 蜀にとって呉の裏切りが一番痛かったね
あれさえなければ当面の間は三国だけで平和だったかも >>159
そもそも劉備は強兵で知られる幽州出身かつ名将盧植の薫陶を受けてて指揮官として当時最強レベルなんよね
それまで曹操陣営に遅れをとっていたのは兵力その他初期条件の差でしかない
それなりの物量を使える状態だと勝てる指揮官は殆どいない
そこに参謀法正だからまさに鬼に金棒状態よ 曹操にとって最大の敵は董卓であり袁紹であった
孫権や劉備とかただの地方豪族に過ぎない 魏も結局は司馬一族に乗っ取られるし司馬一族も八王の乱起こしてシッチャカメッチャカになるし諸行無常よ >>168
張魯の元で涼州に勢力を回復させようとしたけど、うまく行かなくて張魯の信頼も失って、夜逃げ同然に出奔
劉備のもとに来たときはもう心身ボロボロ
馬岱のこと頼みますって遺言するしかできない状態 >>172
でも赤壁で大敗したよな
董卓を破ったのは連合軍だし袁紹は人事がうまくいってなくて自滅した感じがあった >>173
呉の裏切りがなければ曹仁は関羽にボロ負けだったんだろ
風見鶏して裏切りまくった呉が一番糞だよな 三国志の時代は名士層によって彩られ、名士層によって終わらせられた
司馬懿は曹魏内の名士層の第一人者になった
魏呉蜀ともに、この名士層の権勢の抑え込み、君主権の確立には苦慮したが(孫呉はこれに加えて豪族勢力)、どこもうまく行かなかった
天下を取った司馬氏は、また自分たちのような存在が出てこないように、各王族に力をもたせた(曹魏では血縁者を冷遇したため司馬氏の台頭を抑えられなかった反省から)
これが八王の乱の原因 >>178
魏を滅ぼすまでには至らないがある程度領地を奪えたはず >>179
常勝于禁に対しては天候が味方をして捕虜にすることに成功したが、その後の徐晃を抜けずにいた
ここで呉が後背を襲ったので進退窮まった 晋は後宮政治も破滅の遠因になったし
親族の権限抑えて後宮政治禁じた曹丕はやはり先見の明があった どちらか一人を味方にすれば天下をとれると言われた
伏竜鳳雛を両方味方につけたのに >>71
楚漢戦争はめっちゃ短期戦だしね、さっさと関中入りできたのもデカイ
六国の名残がまだ強く、国を平定するとそいつらを味方につけて戦えた
一方で後漢末期は劉表や劉璋にしたって元々は漢に任ぜられ、なんとなく独立して割拠したような連中
なのでその地をぶんどったからって一気に軍として強くなるわけじゃなかった >>172
袁紹との対峙を遅らせて徐州に赴いたり劉表死後すぐに南征を開始したり
劉備の将器を誰よりも警戒してたのが曹操よ
地盤を与えると自分の政権がどうなるか分からなかったのだろう
昌豨ほどの人物が何故あれほど徐州で叛いたかの答えでもある なんか今度のWBCの日本代表みたいな感じだな
大谷ダルは確かに凄いけどアメリカドミニカの厚みが桁違いみたいな話 >>183
ツァオピは兄弟での後継者争いに苦労してたから親族の権力を抑えたかったんだろうな
その二代後では曹一族が権力を握ってやりたい放題やるんだけどな >>174
なんだかんだいって一番早く崩壊したのって曹操だもんな
劉備はあの国力でよくやったほうじゃね? 曹操 袁紹さえ倒せれば
袁紹 公孫瓚さえ倒せれば
公孫瓚 劉虞さえ倒せれば >>179
関中は奪えたね
長安も当時守ってるの夏侯楙だし、手堅いと思う
巴蜀から出て漢中を通り関中を制すのは北伐の黄金ルート わりと本気で史実を俯瞰考察すると荊州生まれと益州生まれの確執あるよな
加えて北伐強硬派と慎重派が入り乱れて一枚岩には程遠い
孔明蒋?費?姜維のラインも国是が一貫しない
こうなってくると個人の知勇何れの才能もなんの意味もない弱小国家
呉は一枚岩だし魏は二枚岩だが国家としての目的意識は一枚岩だった
蜀が真っ先に滅びて当然 >>193
北伐に消極的だった費禕は益州の名士
諸葛亮、蔣琬は荊州
法正は流れ者 >>171
六国の後継陣を味方につけるみたいな話で、漢という組織本体を味方につけたのが魏だからな
蜀呉が味方につけたのはその漢に任ぜられた官吏とか >>190
崩壊つっても内乱続きの司馬政権相手に呉蜀は手も足も出ないレベルで差がついてるからな 史実読もうとしたら登場人物の漢字むず過ぎて読めなくてワロタ >>195
味方につけたというよりも支配したというのが実態にあってる
皇后やその一族が曹操によって虐殺されまくってるからな
皇帝はただのお飾りで実権がなかった SR田豫間違って捨てちゃった;; 運営さんロールバックおね >>196
鄧艾に全く勝てず、夷陵並の大敗をしてしまう姜維
二宮事件で陸遜ら名臣を多数失う孫権 >>198
支配のほうが適切だね
いずれにしても強い軍国をいち早く作る条件が揃ってた
そこに対抗できるのが名家袁紹くらいで、それも倒されるというね… >>73
って言ってもこの時代に韓信がいても同じ様に活躍できたかは不明だからね
より洗練されて対策も練られてるだろうし
すでに韓信の発想力が基準くらいになっていたかもよ >>193
費禕の開府を遅らせたりバランサーとしての劉禅の関わりも見えてくるよね
諸葛亮死後約30年蜀の命脈を保った手腕についてもう少し評価されても良い気がする 劉備は人徳の人ではないからね
曹操のほうが出自関係なく能力で評価してくれる名君だから優秀な人が集まったんだろう 曹仁 曹洪 二ジュン カク 夏コウ兄弟 テイイク 張良 楽進 宇禁 張ゴウ 徐光
課金廚すぎんかこいつ 曹操…SSR
荀彧…SSR
郭嘉…SSR
司馬懿…SSR
程昱…SR
賈詡…SR
荀攸…SR
董承…R
劉曄…R
夏侯淵…SSR
張遼…SSR
曹仁…SR
曹洪…SR
張郃…SR
徐晃…SR
許褚…R
夏侯惇…R
李典…R
楽進…R
于禁…R
文聘…R
龐徳…R
その上更に国力が数倍も違うんだから勝ち目なんて無いよ 平原と皇族を魏が抑えてたから
共産党がいくら喚いても自民党に手も足も出ないのに比べたらよくやった方 劉邦の引きも凄いよな
いきなりUR蕭何を引くわけだし >>18
劉備は負けそうな戦いには出てこずあるいはすぐに逃げながら
勢力を少しずつ拡大し、かと言って格下を向かわせると勝てないという
割とかなり厄介な将だからな
夷陵のときは感情に動かされて失敗したが、
状況を見誤って死んだ関羽よりも大将としての総合力上だろ >>205
劉虞、袁紹に次ぐ徳治主義勢力の希望として声望集めまくり領民に慕われまくりよ
袁紹の手足として生涯を終える予定だったのか知識人とのコネクションを構築し始めたのが荊州入ってからで
その頃既に曹操は漢の支配体制や華北の軍政を手に入れていた 序盤のSSR格差が酷すぎた
曹操は最初から複数軍師付きだもんな 結局とこ国力の違いだな
キングダムでおなじみのギョウを落としてからたった5年の北伐で勢力を広げられたのが大きい >>210
劉邦自身にカリスマ性があったみたいだからな
立派な顔と体格をしてたんだろう タイトル忘れたけどなんかのアニメで見たけど全員女だったんだよな
そりゃ勝てんわ 元々許昌にクーデターのために闇組織があったのが、黄巾の乱からの董卓死亡の流れで温存されたから 曹真は史実だと諸葛亮を撃退してるからもっと評価が高くてもいい
演義だと諸葛亮にボロ負けして司馬懿に泣きつくという役目だけど >>202
逆に手足が無いと思う
韓信はあくまで戦える兵士がいてこその名将だから >>210
先に関中入りしたのが彼の能力を更に発揮できた
勝手知ったるという感じで平定後は速やかに関中を拠点にできた >>220
正史の曹洪調べたら関羽、張飛、趙雲がゴミに思えるぐらいの化け物なんやけどな
まあ魏は夏侯淵、曹仁の2人が傑出してて特に夏侯淵は破った敵兵の総数が最低50万というホンマの三國無双で笑う
漢中でこの夏侯淵の討伐に成功した時の劉備は100リットルぐらい嬉ションしたやろうと思う 曹操だって自分より強大な敵を倒したり青州兵を吸収して大きくなったわけで
最初から巨大勢力ではなかったわけで 曹操「法生URが出ない!」
諸葛亮「法生URさえいれば!」 >>205
劉備って董卓、呂布、曹操と戦って生き延びてきた歴戦の勇者よ
人徳かはともかく名声は高い 後は青州兵と屯田かね
元々農民兵だった黄巾の残党と淮河流域の泥地は相性が良かったのかも
戦がなくても家族が豊かに暮らせたのは士気も振るう >>227
つっても中央の軍政だからね
組織を作るのって想像を絶するほどむずいよ >>227
そうはいっても平原を支配するチャンスが端から訪れなかった劉備に比べたら相当恵まれてる
恵まれてる奴らの中の勝者が曹操で、その勝者が最終的に勝つのは約束されてたようなもん >>227
親が宦官だったから身分やコネは大きかった
魏はほとんど親族でかたまってるだろ >>215
文官に関してはそうだな
袁紹対曹操も汝南閥と穎川閥の代理戦争みたいな側面あるし
武官に関しては馬の生育環境もあって幽州、并州、涼州あたりに陸戦の名将が多いのだが張遼はじめ結局そこも曹操の手に落ちた
でも取りこぼした劉備達に苦労させられるという >>227
その通り
しかも競合がしのぎを削る中原で四方を囲まれながらな
張邈、呂布、董卓残党の李傕、郭、張済、袁術、陶謙、黒山、袁紹、劉表と元々曹操勢力の倍から5倍近い軍事力を持った相手を撃破
この時点で化け物や >>123
基本的には田舎っぺ群雄だから
孫策が長生すればなんとかなったかもしれない 正直、関羽と張飛て李典于禁楽進とどっこいどっこいレベルでしょ 許昌以外は文字が書けて算数ができるくらい位の役人しかいなかったところがほとんどだろうに 曹操の軍勢は袁昭の軍勢を乗っ取れたからなあ
河北の強大さは数年でああまでひっくり返るものじゃないはずなんだけど時代に流れかね
魏が次に北に兵を向けられたのは曹操が許昌に戻ってから30年近くたってからやし >>228
もっと早いうちから蜀入りしてこういう人材使って野心持って軍政整えたらあるいは
結局何もかも遅すぎた
張魯ごとの漢中や西涼なんかも先に取れてりゃ結構違ったかもね >>232
呂布に乗っ取られた兗州を奪還した曹操と呂布に徐州を乗っ取られて曹操に泣きついた劉備
このあたりで取り返しがつかない差がついた気がする >>237
魏の武官はイマイチなんじゃ?
一門除くと張楽宇張徐に牛でしょ
関張馬に魏の方が強そう 魏を潰さずに王朝作った時点で勝ちだろ
勝てない相手がいるなら中原に固執せずに新しく国を作ればいいというところに三国時代の醍醐味がある >>235
これに比べると公孫瓚としか対峙してない袁紹はヌルゲーに見えるけど
冀州牧の地盤だけで督四州の公孫瓚を相手にするのは劇ヤバだというね >>233
コネで言ったら袁術が圧倒的に強い
勘違いしている人かメッチャ多いけど袁家の本流は袁術で孫堅、呂布なんかも袁術によって太守に任じられて袁術軍の一部として動いている
袁紹は何進の側近から袁術を出し抜いて出世するために曹操と組んでの黄巾賊討伐、董卓討伐に動いた
でも袁術が手を引いたら董卓討伐軍は洛陽で解散してしまうぐらい袁紹には何もできなかった
曹操は大宦官の孫ではあるけど校尉に取り立てられたのは曹操自身の能力が評価されたからでその後の人材登用も実力が着くまでは漢の名家はなかなか曹操にはついてくれず在野の人や下級官の抜擢をするしかなかった
他の人も書き込んでたけど名門出身の荀ケが曹操に協力しなかったらその後の芋蔓登用も不可能なぐらいにコネはなかった 文官の質は団地だよなあ
徐庶が仕官しても地方の課長程度で諸葛先生が嘆かれたという
2ジュンにカクを加えた陳寿に裴松之が怒髪天を衝く勢いでボロクソにけなしていたけど逆から見れば2ジュンに並びうる人材だったともいえるわけで >>247
曹操器小さいよな
徐庶ぐらい劉備にやればよかったのに >>247
孔明の徐庶への評価がクソ高いだけで徐庶が就いた御史中丞は中央の高官だぞ >>244
大局的な視点が過ぎるな
結局のところ民を従えるには見返りを期待させる必要があり、皇帝を名乗るというのも民を庇護する責任を負うという宣言に近い
曹操の凄みは当時北部最強部隊だった黄巾兵を従えたところにある
漢民族がモンゴル平原の兵士を操ってるようなもんで、それだけ人民の掌握に秀でてたんだよ
劉備の立ち回りは所詮既定の概念の中での出来事で、成したことの質に大きな差がある 曹操って現代のゲームプレイヤーみたいな感じで占領した勢力の有名、有能な武将を
斬首せずにどんどん登用してコレクションしていくから層があつすぎるんよな
軍師だけ見てもいすぎだよ >>246
劉備にはそのチャンスすら無かったわけで…
やっぱ中央に近いのはそれだけでアドバンテージよ >>237
んなわけあるか
関張は魏も呉も恐れるガチの猛将だぞ >>203
安倍「有能じゃないと長くやれないもんな鳩山は9カ月しかもたなかったし」 魏は漢王朝から選りすぐって採用した有能文官集団抱えてるから
結局は内政、国力がモノを言う 皆クズばかりだから勝てる戦いでも負けちゃうから仕方ないよな >>131
劉備軍入る前に馬超軍だけで曹操をあと一歩のどこまで追い詰めてたからねぇ
入ってからはモブ化w 結局カードを多く集めるのと、良い地盤を固められる奴が強く、権威の正当性もあれば尚良いという感じだろ >>260
ただの有能じゃなくて漢の名門文官を屈服させたという点が大きいんやけどな
これによって献帝の内治の実権はもがれ丞相曹操が内治を総覧する立場を明確に天下に示した
そしてその後に魏王になりこの曹操の握った権力は二代目の息子曹丕に血の継承で行われる
そして禅譲による易姓革命で漢から魏に王朝が交代するという流れを作った
この代替りのタイミングでも曹丕、曹植の両派に別れて曹家についた名家でも生き残りをかけた暗闘があり荀氏、楊氏は敗退して司馬氏が勝利し中枢に至った >>241
呂布だけ相手にすれば良かった曹操と違って劉備は包囲網の本隊である袁術の圧力を前面に受けてたからね
結局袁術が触手を伸ばしつつあった徐州に割拠するという判断そのものが間違っていた 袁昭自身は初戦で負けただけだけどな
河北が滅びた直接の原因は死後の内乱 >>265
その時は韓遂や西涼有力氏族に異民族まで糾合して兵力も7万近い大軍だったからね
しかも長安までは基本的に曹操軍はいないからそりゃまあ真っ直ぐ進めば長安の手前まではあっさり行けますよと
曹操のその後の動きが早かったのと烏丸討伐の実績を積んで対騎馬戦の勝利の方程式を曹操軍が得ていた為に調略による内部撹乱と徹底籠城と迂回遊撃でコテンパンにやられた 中国ドラマのスリキンは陳宮のところが最高だよな
何回でも見られるわ ジオンが地球連邦に勝てないように結局は国力の差だろ >>263
サンキュー曹休
めんどくさいからわかるやろってそれにしたw >>260
レスが付いてるのもそうだし、それを手にするアドバンテージ
いくら地方を支配したって違いすぎる 馬超がモブ化したのって結局三国の外西の抑えに使うからじゃないの?
中国の歴史はつまるところ四方のヒャッハー軍団から自国を守るかだし >>271
家康といい、戦乱時代の長生きも重要だな >>277
漢もそれに悩まされたしな
盧ワンが匈奴に行っちゃう話は好き どれも同じような漢字2文字の名前をよくも覚えていられるな 安史の乱とかまさにだけど、豊かな時代でも弱小国が匈奴手なづけるだけで大国が傾くんだよな
馬超も好き放題させてたら確実に独立してた >>281
孔明さんは典型的山東大男だったらしく190㎝以上のリアル三国無双なおっさんやぞ とりあえず関羽や孔明を貶しておけば通ぶれると思ってるやつが多い
ふたりともわかりやすい失策してるから >>282
そこはKOEIゲームだな
だいぶ忘れたけどまだまだ覚えてるよ 無課金リセマラデッキの限界
廃課金とは殴り合い出来んよ 天才は本人が活躍して気持ちよくはなれるけど後進が育たないから組織は弱くなるんだよ >>246
名家のボンボンみたいな描写をされがちだけど
結構な苦労人だよなあ袁紹さん
自分が苦労した分弱者にも優しそう 袁紹は名門でありながら誰にでもへりくだる謙虚さを持っていて、内では猜疑心に溢れているという二面性があるな >>3
気に入らないかもしれないが、安倍ちゃんはSSRだろ…
政治家一家という血統、首相に返り咲き、最大政党のトップで長期政権築けたんだから。 諸葛は実際は天才軍師でもないしな。政治家の方が向いていた。
魏の方がはるかに人材豊富だったし どうもこうもない
国力の違い、これに尽きる
武将や軍師など些末なパラメーターだ 近代史もガチャ脳で考えて見れば解るやろ
お前らの大好きな政治家もランクづけしてみろよ 張飛「あたたかいおかずだよ兄貴!」
関羽「」
劉備「」 泣き所は南北対決から東西対決に持ち込まなあかんかった言う事やろ >>225
劉備「ぶっちゃけ夏侯淵より張コウ討ち取る方がよほど重要だった」史実で言うとる事らしい >>249
そもそも徐庶は荊州やから中央からするとよそ者なんよな >>296
逆に袁術の訳がわからんレベルの自信家ぶりが
その背景説明こみでようやく理解できるんだよな
そこないとほんと頭おかしい人だから 劉備は馬謖じゃだめだと孔明に言ってんだからトップになる人間を見る力は優れているというのが通説 ホウ統死んでこのへんで勢いが下がった
それでもよく3国を維持し続けたものだよ
人材の数が違った
国力に差がある
蜀なんて地方都市だから 武将がよくても国力が雑魚だと大国には勝てないことは信長の野望をやればわかる ど田舎ではて言うが歴史的には
変な所から現れて征服してきた異民族もいるわけで ウ~リャッ!とか言ってパイルドライバーかけるからな
俺は喰らう!天地を喰らう! どんなに優秀な人間が首脳陣やってようとアメリカ vs 島根県で戦って勝てるわけねーだろそういうことだ >>329
因果が逆じゃねえかな、有能なのがいないから島根県くらいにしか国力を伸ばせなかったんやろ 魏には司馬懿曹仁がいたし呉には呂蒙陸遜がいたから
結局敵に名将がいると勝てない
>>301
それは劉備が蜀のトップだったのと同じレベルでありまして 軍事力≒動員兵力が食料生産に依存してるからな
平原と山間部では同じ面積でも全く違う
例えば織田と今川も食料生産量では拮抗してて
経済力は織田の方があったからジャイアントキリングではない
あと騎馬民族系の奴らも北方にいるのでそこ抑えると勝ち 勝てないとは言っても、魏も呉も大半攻めたもん負けだからな
ケガイが頭おかしいレベルの名将だった 関羽って正史だと劉備軍所属時はロクな功績ないだろ過大評価
魏延のがよっぽど使える 一騎当千がフィクションだからな
せいぜい3人同時相手できれば凄いくらい 漢中取るまで曹操にまともに勝ったことなくない?
独立したのも遅いしそれでも勢力維持すんの凄いけど >>337
蜀は史官をまともに置いてないので記録があまり残されていない
建国前に活躍したであろう関羽は特に割りを食ってるはず
同時代の魏の文官や周瑜が関羽や張飛を物凄く高い評価してるし、本人のプライドが異常に高いのも実績から来るものだと推測できる 諸葛亮が最初来た時は1国も領土なかったそこから蜀皇帝までなったんだからさすがSSRだろ 曹操の人材と土地みたら勝ち目なんてない
軍事も内政も優秀なの大杉 劉備って初期は前戦まで出てたからもうちょい武力あると思うんだけどな弱すぎると関羽と張飛も従わないだろ >>330
そいつはベースが恋姫夢想ってエロゲなんだが、ゲームやらずに読んだのか? 三国最強なのが魏であることは自明だから、蜀と呉は合従策でいくしかないんだが、結局弱者連合の合従策は連衡策に破れてしまうんだねw 偉大な中国が曹操とかいうド低能のせいで最も小さくなっちゃったことを前提に考えましょう
失政に次ぐ失政で増加したケンモメンたちを新天地へ導いたのが劉備です 駒の質が良くても駒の数が10倍差あったら勝てねえよな 孔明は正史では軍師ではなく内政の人らしいけど本当に伏龍て呼ばれてたの? 結局関羽が糞だった。
あと劉備に付いて行った龐統が死んでしまったのもあるな。 >>356
曹操や荀イクの人材登用にはひっかからなかった程度では 劉禅は曹操に厚遇されたやろ。
孔明は無駄死にだったか。 >>347
人口比でいくと 5:3:1 くらいなんだよね 魏呉蜀はさ >>359
それを根拠に下げるのは無理があるだろ
劉曄や賈?が絶賛する手腕だぞ 法正が軍事担当孔明が内政担当でいければよかったんだが 規模が小さいから駒が際立って見えてた面も少なからずありそうなのと、没後に前世代と比較して駒がほぼいなかった >>144
酒呑んで寝ていたところを
首斬られてるんだが >>359
穎川閥の荀ケが荊州閥の諸葛亮を推挙する訳ないだろ
劉表の文教政策で集まった知識人を袁紹派で清流寄りの劉備が引き継ぐのは自然だし
諸葛亮は徐州出身だから徐州の人たちが曹操と劉備をそれぞれどう評価していたかという要素もある >>71
韓信→諸葛亮
張良→諸葛亮
蕭何→諸葛亮 ゲームの知識しかないけど三国志って勢力の大きさ見たら最初から最後まで魏の一国史だろ 北方三國志の荊州を1人で切り盛りし続ける関羽は泣けた 脚色されたのしか見てない俺の感想は
大体孔明の言うこと聞かないでやらかしてとんでもないことになって負けたり
劉備がわがまま言ってやばいことになってるイメージしかない
孔明の知恵で数に負けない戦いできそうなのに
自爆して物量に負ける事になってるって認識 魏の統一でほぼ決まりのところをあれだけ引っ張れたんだからヨシ! >>365
正史ではって言ってるのに演義のエピソードを持ち出すガイジ
もっと言うとこの時代の生産力じゃアル中になるほど酒を常飲出来る奴は存在しない その基準で言うと魏はこれくらいだから
荀攸 SSR
荀彧 SSR
郭嘉 SR
鍾ヨウ SSR
賈詡 SR
程昱 SR
曹仁 SSR
張遼 SSR
于禁 SSR
楽進 SSR
張コウ SSR
徐晃 SSR
朱霊 SR
曹真 SR
夏侯惇 R
夏侯淵 R
司馬懿 SSR この時代に飛ばされて誰か一人だけ配下を貰えるならまず荀ケを選ぶな
結果を見れば袁紹を見限って曹操についたので大勢がついた >>374
毎日酒呑んで詩を書いてた人いなかったっけ? >>370
三国鼎立になってからはな
それ以前の劉備が漢中王になる頃までは西涼は馬超、隴西は異民族、江南〜荊州に孫権、荊州南西部に劉備、漢中に張魯、巴蜀に劉璋が万の単位で存在していてこのうちいずれかの3者がもし連携していれば中原を抑えたとはいえ3方同時の防御を堅めるのは非常に難しかった
馬超の乱から漢中攻略までを曹操が一気に行ったことで人口と農業生産高で孫権と劉備との差を引き離した事で三国鼎立した後も魏の優位が確立できた
漢中の張魯が領土的野心を持った戦略ではなく漢中での自治割拠戦略を取っていたので馬超や孫権との連合が成立しなかったのは実は大きな要因だと思う
劉璋が劉備に漢中に身を寄せた馬超が蜀攻略に向かってくる時にも張魯の意向であったわけじゃなくて馬超が張魯に自分の割拠地を蜀に求めこれに張魯が協力しただけ
張魯にとって馬超は対曹操ミサイルとして利用したいところだったからこれを了承したのだろうと想像している >>372
まず数に負けない戦いってのが無理ゲーだからな
防衛戦とか一戦だけに限れば少数が多数を破る事はある
その一戦で敵の大将討ち取るなり本拠地落とせば
少数派の勝ちとなるわけだが
相手が十全の状態で構えてたらまず起こり得ないからな >>379
李白は三国時代の人じゃねえよ
三国時代は丁度青銅器時代と鉄器時代の境目あたりだから
百姓は金属製の農具なんてもってない
関羽の偃月刀も張飛の蛇矛も呂布の方天画戟も宋代に発明された武器でその次代には存在してない >>362
確か少年期に魏の掃討作戦で郷里を追われてた説があったような >>385
> 百姓は金属製の農具なんてもってない
興味あってググってみたけど正しいのかそれ?
東京国立博物館 - 1089ブログ
https://www.tnm.jp/modules/rblog/index.php/1/2019/08/15/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97%E3%81%AE%E8%BE%B2%E5%85%B7/
> 実際、中国大陸では前漢の時代まで鉄製の農具は、民間の大きな製鉄業者や、鉄の専売制で中央集権化を図る国家によって管理されていました。
それが後漢の時代にはいると、その厳密な管理体制が崩れ、一般村落レベルでも鉄製の農具が自給できるようになります >>193
呉の二宮、から孫休
即位までずっと内紛状態 >>246
兗州に攻め込んで曹操にボロクソに負けて揚州に逃げただけの袁術逆張り論の虚しさよw >>246
荀彧はじめとする高官多数輩出の潁川知識人取り込んだ曹操を非主流派とか無知にも程があるw >>269
荀彧の家門がその後も高官歴任したことも知らんアホw
荀勗も知らんアホw >>381
曹操の経済力の中核はキ州定期w
魏国の首都がギョウであることも知らんアホw 諸葛亮知力100
関羽武力98
張飛武力99
趙雲武力98
馬超武力97
最強やな >>369
夷陵で馬良が死んで黄権が魏に降伏したからね
結局劉備がアホなんよ 諸葛亮って政治は一流だけど軍師としては実は大したことなかったって聞いたけどな その内政家に野戦でボコられて討ち取られる張郃引き篭もり策を強いられる司馬懿 >>398
諸葛亮はもともと政務の専門家で彼を得たお陰で劉備は軍務に専念できた
水魚とか言って喜んでたのもそういう文脈の中での話
蜀でまともな指揮官は劉備しか居ないと魏は認識しており劉備の死後油断してたから諸葛亮の出馬はサプライズだったのよ
以奇勝の部分で足りなかったけど以正合はほぼ完璧にこなした
書物でしか兵を知らないような宰相タイプが出馬して戦線を破綻なく纏めるってかなりの珍事よ
大抵趙括や馬謖みたいな結末になる 曹操=(少なくても存命中は)直系の天子をたてた
劉備=我こそは漢中王だ!(直系からは程遠い傍流)
孫権=玉璽があるから!
一体誰に義があるんですかねぇ 戦いは数だし
そもそも曹操がすでに勝確だったんだろ >>237
正史も民話も軍人は関羽一強だよ
群雄なみの扱いだし
張飛もあちこちに出てくる
魏の三人は李典は格落ち
楽進はかなり強くて人格評価も高くて張飛と並べるかも
張飛で張遼、曹仁、夏侯淵くらいの評価 >>405
馬謖生かしておいたら姜維と大喧嘩してたと思う >>372
実際には逆のケースも多い
魏延のルートで攻めたほうがよかった説が今日なかなか有力だったり
劉備にやめとけって言われたのに馬謖を使って最大のチャンスで負けたり >>294
曹仁は魏軍では張遼とならぶ最強の将軍だぞ >>408
袁紹の勝確がひっくり返ったのが官渡
曹操の勝確がひっくり返ったのが赤壁
劉邦の前例があるから漢中をおさえた蜀には勝ち筋があった 魏もUSSRは曹操くらいやん
曹操が歳取ってからは勢力拡大出来とらん >>39
それモンゴル人、満州人、坂東武士に対して言える?
田舎から来た少数精鋭の軍団が天下取っちゃうことはよくあること 国力のせいだって言う人が多いけど、
モンゴル人や満州人が中国全土を制圧した時代もあったんだし
国力は甘えだと思う
>>98
それアメリカ開拓初期の国力でも言える?
開拓初期の国力はインディアン>イギリス人だったやろ ぎとごが過小評価されてるだけで諸葛亮関羽クラスがザラにいたと思え >>315
直前の夷陵で馮習、張南とか謎の人選で盛大にやらかしてるぞ
そんな人間の言うこと普通は聞き流すよね 漢の三傑のうち韓信はともかく、蕭何、張良はバケモンだろ >書物でしか兵を知らないような宰相タイプが出馬して戦線を破綻なく纏めるってかなりの珍事よ
東ローマ帝国の宦官ナルセスくらいかなぁ。
宦官というものを知らなかったゲルマン民族の傭兵が
肝を潰して従ったらしいな >>423
なんで韓信を外すのか意味がわからんのだが
どんなに劣勢でも必ず勝つ将軍とか化け物だろ >>423
こいつら凄いのは普通文官と武官って功を争って足の引っ張り合い始めるのに三人とも相手の邪魔とかせんかったとこだよなぁ >>408
天子(献帝)抑えた時点でな。
傍系の傍系が漢中王とか言ってドヤ顔で喚いてるのが無理がある。 >>417 0fd2-t1ev
>>387のことはどう?
何かソースあるなら知りたい コーエーの三国志は
関羽武力100
呂布武力99
張飛武力99
張遼武力98
にすべき >>421
正史では諸葛亮と関羽以外の別格扱いは
劉備、曹操、周瑜だけ
魏は組織の力で戦う集団で、個の力には頼らなかったから記述は曹操一強になってる
たとえば軍師がいるってより参謀本部があった感じで一人ひとりは地味
呉では周瑜が別格で、分量も多く完全無欠の超人として描かれてる
孫氏は劉備曹操と差をつけられ軍閥扱いだし、魯粛呂蒙、陸遜の扱いは周瑜に迫るが落差はある
呂蒙は曹仁于禁や陸遜と組んだ対関羽戦が華で評価は関羽の威に依存してる
これが関羽と同等は無理がある >>427
そこは微妙で実態とのギャップがある
天子を押さえながら曹氏一門をかなり使った曹操と
漢の血統を名乗りながら親族や劉氏や郎党をほとんど使わなかった劉備
荊州の人材がこぞって弱小の蜀に行った理由が出世可能性て説もある 陳寿が蜀贔屓なだけで、所詮は地方政権の三流家臣と君主にすぎないから。 >>429
史実だと太史慈と孫策とか李傕や曹仁が武芸強いね
張飛とか頭良かっただけの酒好きって説もあるよ
諸葛亮のほうがでかくてムキムキとか >>426
三人とも役割分担が完全に分かれていたのもあるだろ
張良は戦略を練るだけで軍事そのものにはノータッチだし
蕭何は後方支援に専念して韓信は前線の指揮だけに専念
韓信はともかくあとの二人は劉邦の性格もしっかり把握してただろうから余計な真似はしないようにしてたんだろう >>436
蕭何「さやろうか?」
張良「劉邦はそんな甘っちょろい人やと思う?」
蕭何「ワイ、殺されそうになったしな」
張良「ワイはそこまで疑われんかったけど仙人になりますっていうガイジムーブを全力でやって逃げ切ったし」
韓信「お前ら賢いな、ワイは…ワイは…」
范増「人の見極めは大事やなあ」 歴史が大きく動くときって1人の天才が動かすからな
秀才レベルが何人集まっても、それだけじゃ流れに埋もれてしまう
前漢が勝てたのは韓信がいたからだし、韓信がいなければ漢は成立しなかった可能性が高い
劉備にはそういう天才部下がいなかったし、曹操にもいなかったけど、曹操自身が天才だった 三国志の連中はみんな脳筋か頭でっかちの奴ばっかりなんだよ
両方できる将軍クラスが曹操とか劉備とか司馬懿でこいつらは他の時代なら統一する奴らに使われる別働隊大将軍クラス
その程度の人材しかいなかったのが三国志 >>211
あれだけの武将たちが従ったというだけで相当なもので 関羽が死んだあたりから人材が小粒になった気はするよね >>446
むしろ諸葛亮がそれまで見せてなかった内政、外交、軍事の分野で劉備、関羽、張飛を遥かに凌ぐぐらいの才能発揮したんやけど
魏延もようやく具体的な仕事を始め蒋琬、李厳、費禕ら政戦略に優れた人材が蜀で活躍し始めたけど
年齢的にも曹操、劉備、関羽、夏侯惇、張遼らが一線からいなくなったことで曹真、陸遜、司馬懿などが前世代を超えるぐらいの活躍をしていった >>430
正史で君主以外で単独で列伝が立てられてるのは諸葛亮と陸遜だけだからこの二人が別格じゃね
後者は陳寿が参考にした呉の史料がそうなってたからかも知れんが。 >>438
小僧っ子すら制御出来なかったのがあんたの限界だよ范増はん >>449
美人妻居る時点でもう嫉妬の対象にしかならんなw 周瑜は蘇秦、張儀、れき食其が現世に蘇って曹操に下れと説得に来ても応じないって啖呵切ったのかっこいい >>453
ときめきに死すじゃないけど、こだわり抜いたそういう価値観って必要よね 中原じゃないからな
漢中を取ればシルクロードという交易路が手に入るけど取れないでしょ 関羽は、楚漢戦争の韓信のように独立勢力のようになってたし
諸葛亮がキチンと活躍するようになったのは劉備死後だろ
馬超も名前だけだったし、趙雲は謎の武将やし、張飛は活躍したが限定的だった
劉備存命中に大活躍してくれたのは法政と黄忠
そして二人とも早死にするという 五虎将軍+αしかいないからな
曹操は人材コレクターってぐらい有能なのかき集めてたしこんなの勝てっこないって 歴史を動かす天才という意味では孫堅かな
曹操は濁流派の突然変異的な天才で
劉備が覚醒的な天才
故に三国志
なお孫権はドクズなので論外 レアリティ高くてもイベント配布カードじゃ勝てんのよ >>457
最期は独立勢力に近くね?
北進した時も何故か成都に応援要請しないし
呉と勝手に揉めるしで、劉備の指示に従って行動してるように見えない >>120
近代化ボーナスあるのに勝てなかった日本の方が不思議だわ >>462
関羽は樊城攻めにあたって孟達に援軍要請してるし荊州問題はもともと劉備が煽りちらかしてる
益州と距離あるから強い権限を委ねられてたがそれを独立勢力と呼ぶなら夏侯淵も陸遜も独立勢力 関羽は荊州の統治能力が気になる
名士級と喧嘩しつつ血気盛んな武陵蛮を大人しくさせてたみたいだし
当時としては割と新しい形を形成してたのかも
少なくとも関羽本人の武名あってのことだと思うけど 本当にそいつらがSSRだったのか?って話だよな
坂本龍馬みたいに盛られてんじゃないの >>462
関羽が劉備から形だけでも独立するとは思えないんだがな
むしろ劉備以外の言う事を聞かないし見下すしで劉備の下に居ないと誰も関羽の下に付いてこないと思うんだが まあ三国志の登場人物は盛られすぎな感はある
そもそも1国にまとめあげる天才がいなかったから3国並立してたとも考えられるし
安禄山と関羽どっちがすごいかって冷静に考えるとね >>402
そういう意味で軍師(総大将)として優秀だったのは完全なフィクションではないんだな >>404
そもそも腐敗しきった後漢末期に義もクソも無いからね >>435
関羽のほうが脳筋で張飛は知能タイプだった説好き >>442
言うほど一人か?
関中をしっかり掌握して練兵して軍を整えるのは韓信一人じゃできなかったと思うぞ >>412
萩生田は実際強いやろな
嫌な話やが安倍派言う中で奴だけ飛びぬけよる >>453
そういうとこが劉備と同じクラスって感じ、孫家はそこからは格落ちするんだよな
周瑜が呉の君主だったらより面白い展開だったかもしれない >>398
勝てへんかったが負けもせんかった
軍師言うより将軍言うたとこやな 魏も魏として成立する以前は曹操自ら動かないと軍を動かせなかったからな
荊州にいた関羽もそういうジレンマがあっただろうね、彼一人じゃ出陣なんて容易じゃなかった >>474
腐敗しきった結果義侠言うんを旨としよる侠客が台頭しよる時代になった言えるのやろな
劉備一党もせやし魯粛も夏候惇も侠客言えばせや >>398
軍事は平凡で人を見る目がない諸葛亮が劉禅のために寿命を削って頑張る姿が最近は評価されてるってよ >>472
孔明が唐王朝公式として中国史10人の名将にカウントされとった武廟十哲はちょうど安禄山の乱時代に作られたんやったな 腐敗の温床たる宦官を誅殺
党錮などで漢に愛想を尽かした名士層の拠り所となり
領内は良政をもって知られ
北方民族との関係も良好
鄴を根拠地に置き光武帝をなぞって河北からの統一を目指した
袁紹が勝ってればなあ 劉備って民のための政治するとか言ってて戦争ばっかしてない?
曹操の方がまだちゃんと内政やってる気がする >>487
その民のための政治ってのが演技からの後付設定だよw >>1
土地カード忘れてるだろ
曹操UR
孫権SR
劉備UC
くらいの差があるぞ 金日成も現地ではこいつら全員足したくらいの能力値で崇められてるだろうしな >>480
張ゲン「せやろか?」
曹操「お前おったらワシ行かんで何でもできるからまた頼むわ」
張ゲン「かしこまり〜。張遼、于禁、張コウ、李典、楽進、朱霊行くでぇ」
諸将「イェスサー(都督護軍)っ!」
曹操「うほっ、頼もしっ(〃ω〃)」 劉表が死んだ時に、荊州をもらっておけば、歴史が変わったかもな >>491
いや趙ゲンは控えのまとめ役やん
曹操のその台詞はおかしい 人がどうこう以前に国力に差がありすぎてどうしようもない
単純な面積でも数倍差なのに実際は山ばかりで数字以上のどうしょうもない差だろ ゲームでも下手がやると諸葛亮の寿命が尽きて
割と厳しいんだよね、100歳ぐらい生きられるなら
多少は違ってたかも 関羽って塾をやってた以外にこれといって賢いエピソードが無いのになんで知力まで高いことが多いの?
張飛の方が橋を落としたりと戦場ではまだ賢いイメージあるけど >>495
それ言っちゃうと曹操が100歳くらいまで
生きたらやっぱり諸葛亮の寿命が尽きるな 相手がURばかりじゃ勝てんわな
そもそも国力が何杯も違うし スリキン見た奴は例外なく劉備は嫌いになるな
朕モード発症してキチガイになって
あっ・・・てなるわ >>493
司馬懿「重要拠点の防衛の司令官が控えのまとめ役て…」
曹真「ワシらの功績って…」
張ゴン「最後三公までなったのに控えのまとめ役…」
夏侯淵、夏侯惇、張遼、張コウ、于禁、楽進、李典「それ以下のワイらの立場…」 >>501
法正が生きてたらな
法正が全軍の指揮をしながら漢中方面を担当して荊州を関羽と孔明に任せれた
流石の関羽も孔明の言う事なら聞くだろうし 劉邦とか同じ村にSSR何人おるねん
リセマラ無しでこれやぞ >>502
法正よりも龐統かな。
生きていれば、そのまま蜀に居続けて、孔明が荊州を離れる事はなかった >>506
関羽が出来なかったことがやれるわけだからな
法正は法正で蜀の体制をいち早く整備し、荊州へ兵や物資を送れるようになったろう
蕭何が関中でやったみたいに >>506
法正は職科制定にも携わった事を見ても行政の仕事もできたやろうな
ホウ統は軍事はやれたけど行政はどうやろ?
入蜀して法整備から行政の体制整えるのに諸葛亮は成都を離れられんのは変わらん
荊州で関羽の軍権超える立場になる人をそもそもいなかったら関羽の動きを変えるのは難しいんちゃうか?
李厳、黄権は関羽、張飛、黄忠、馬超の上に配置できんし基本的に荊州は関羽主導と言う状況は動かせんように思う
じゃあ荊州での関羽の動きに合わせて漢中から長安を同時攻撃するというのはどうか?というと漢中から人も物資もなくなっている上に南蛮方面の反乱もあって成都方面からは兵も兵糧もほぼ送れない
人事面の変更をしても関羽の攻勢はそこのみの単独の動きにならざるを得ない
よくて218年時点での状況維持
曹操の病死までやっぱり待つ以外の選択肢しかないように思う >>509
はい、先生の達見を参考にさせてもらいます
ちなみに曹丕側近上がりで曹叡にも重用され異例の出世してもそれでも尚張ゲンの官位は曹叡の時代でも司馬懿より常に上で軍政の両方で最高位だったのはお忘れなく
こんな人はこの人だけですよ お前ら有名武将ばかり言ってるが、武将なんてただの雑魚だろ
偉いやつなんて実際は高みの見物
兵士の数と練度、食料事情や兵器や武器の類いが重要 >>511
ピンポイントでこれは知ってるみたいなのはこの界隈にありがち >>496
武は兎も角、学が無けりゃ文官統制出来なくて魏と呉の最前線になってる荊州の体制を維持できないだろ
両国との最前線になって両国の名だたる軍師から様々な工作やら圧力受ける荊州を守ってむしろ攻めるぐらいまで国力貯められたってなかなかやぞ SSR設定は、三国志の史実じゃなく「三国志演義」の設定だからな。 >>159
黄忠は実際夏侯淵打ち取ったりしてるが
法正は凄かったとは書かれてるがあまりに目立ってない 魏と比べると内政の人材が全然ないわ
土地の位置の悪さと人口と国力の差で負けは明白 官渡の戦いが事実上の決勝戦で終わってたから
諸葛亮とか馬超とかもうどうでもいい話 >>515
史実でも普通にSSRだろ
演技だとURとかもしくはそれ以上になってるだけで 曹操の時代は簒奪のハードルが高すぎる
秦は一代で崩壊して、その後はずっと大漢帝国
間に王莽みたいな奴も出てくるが結局漢が存続してるから、人士の中での王朝簒奪のハードルが高すぎる
良く後代の王朝の始祖と比べて曹操は小物だとか言われてるけど、後代の連中でも後漢末期では思うように行かないだろう >>522
横山三國志って何で官渡丸飛ばししたんやろ? >>506
法正と龐統では役割がちゃうやん?
法正は全体指揮や内政にも優れてたし
実際孔明を荊州に、龐統を漢中方面に当てて法正が劉備の側で指揮してたら蜀にワンチャンあったと思うんやがな >>524
とりあえず万一、億一でも劉備が曹丕倒して二度目の漢王朝復興に成功したら
王莽、曹丕と二回続けて失敗した「禅譲」とか不吉すぎてこの後誰も使わなかったかもしれない 「天下三分の計です(キリッ」
「なんだそれは孔明!」
「まあ守れる範囲だけ守りましょうって。いいじゃないですかもう」
「なんだそれは孔明」 そもそも人材の層が薄いから少数の有能な人物が色々やらなくちゃならなくて後世に名前が残ったけど勢力としては負けた
第二次大戦でドイツや日本のパイロットが
休みなしでガンガン出撃して
ローテーションして休養をとる連合国側よりも
凄まじい撃破数を誇って名前が残っても
戦争としては連合国側の勝利だったのと一緒
結局諸葛亮は司馬懿がドン引きするくらい働きまくって過労で死んじゃったわけで
それだけ人材いなかったってことだよ >>529
まあ魏だと人材登用したら一族まとめて手に入るけど
蜀だと孔明手に入れても諸葛一族がまとめて劉備に仕えるわけじゃないからな
この辺は中央から離れた地方政権の悲しさと言うか >>525
掲載雑誌が休刊して第一部完になったから
別雑誌で第二部始めるのにずっと劉備一行がメインじゃない話が続くのは読者が混乱しかねないし
また休刊とかで諸葛亮も出ないうちに打ち切りになると困る
というので第二部開始で時間経過させて
劉備と曹操はオッサン顔に変えて
主人公を諸葛亮にして早期登場させたとかいうことらしい 鄧艾とかいう物語たたむために出てきたような謎のチートおじさんいるでしょ 劉備=落ちぶれた劉氏
関羽=流れ者
張飛=底辺
趙雲=底辺
馬超=根拠地失った根無し草
徐庶=人殺しのお尋ね者
世の中のあぶれ者ばかりじゃねーか >>531
なるへそ
せめて外伝で官渡やって欲しかったけど既にお亡くなりだからなぁ >>532
おじさんどころかおじいちゃんだって話じゃん
軍事は化け物級なくせに身の振り方が下手なのが韓信っぽい 魏には演技じゃマイナーな郭淮みたいなのが大勢いるからな >>538
当代随一の指揮官で
孔明以外なら機動力生かした奇襲大好きな司馬懿が
孔明相手になると持久戦選ばざるをえなかったぐらいは
普通に指揮能力あるんだよな てか普通に蜀なんてたいしたことないやろ
むしろこいつらに負けた夏侯淵がゴミすぎる
魏の恥や >>543
それなら普通に公孫術と同じ評価になってる
そうでなかったから三国志、と称されてる >>526
結局どこかで呉と揉めるでしょ
タイミングずれれば夷陵の様な大敗は
しないかも知れんがその間に魏が盛り返すだろうから
どう足掻いてもジリ貧なんだよね >>548
呉蜀連合による南北対決から西全部抑えて魏呉連合との東西対決に持ち込む言うんが孔明の基本戦略なんやろ
後に隋唐が後継いだ北周がその戦略で成功して隋唐時代に数百年ぶりの天下統一しとる >>541
兵力ではなく攻撃側は兵站の問題で持久戦が不利
一般に攻撃側の方が兵力多いと言うだけ >>506
正史では龐統存命中からすでに諸葛亮は蜀に進軍してるよ >>11
どこからこういうムチャクチャな知識仕入れてくるんだろう 蜀漢は劉備のカリスマで纏まってたのに呉蜀同盟に拘った孔明の失策にも思える
劉備を討ち取ったに等しい呉をよく思う蜀人がどれだけいるのか
特に呉は顧雍や諸葛瑾没後の凋落が著しい
陸家は中枢から離れて独立勢力じみてるし中枢は外戚が権力闘争で混乱してるし。
もしかしたら蜀内も内部で分裂してたのを無理に北伐することで抑えてたのかも >>549
侯景の乱のドサクサで蜀と江陵を押さえた宇文泰の手腕が光るね
北斉は権力者交代や簒奪にその時間を費やしちゃったのよね
五胡や南北朝は混沌として敬遠されがちだけど鄴と長安と建康のパワーバランスで大筋は説明できる >>97
そりゃそうだろ
辺境の田舎ヤクザ3人組が紆余曲折あって一国一城の主人になってさらには国を形成するに至ったんやぞ
あとから入ってきた新参の言うことなんて聞けるかよw >>469
関羽と諸葛亮の仲が悪い
関羽は諸葛亮が来るまではずっとNo.2で好き勝手できたが諸葛亮が来てからはNo.2の座を追われた
関羽ほどの功労者が諸葛亮が来たからはいそうですかでと明け渡すわけないんよ
劉備は関羽と諸葛亮を天秤にして諸葛亮を取った
理由は劉備にしかわからんだろうが
制御しきれないと思ったとか色々な説がある
あとは史実の通り、関羽は荊州へ入る
その後は劉備軍とも取れるが孫権が関羽へ娘との婚姻を勧めたりと劉備への配慮なしに交渉してる事から
関羽は独立してたと言っても良い
最後は荊州に居た家臣も関羽をほぼ見殺しにしてる事から劉備軍でも嫌われてたんだろう
日本人は君主と家臣の関係を義理人情の繋がりを強く思ってるけど
命をかけて戦ってる以上は別の勢力と言える
わかりやすいのがキングダムの王騎、独立として自領に引きこもってるし
王翦なんかも領地をたくさんくれと形式上求めたりとこの頃は利害関係で繋がってるケースのが多い
関羽はなまじ優秀だったのでより求めた可能性も高い 関羽を過大評価とか言ってるやつは典型的なにわか
荊州を奪われたことしか見えていない 諸葛亮に権力争いで負けた関羽が挽回できなかったし
入蜀後は魏延の方が猛将だったしな
魏延を前面に押し出して魏が人口と言う名の国力取り戻す前に戦ってたらワンチャンあったかもな
諸葛亮も色々やらかしてるし、うまく関羽と折り合えないからって荊州に押し込めたのは悪手だった気がする
まぁ、結果論やけどね
魏延をもう少しうまく使うべきだった 諸葛亮と関羽が不仲ってなんか根拠あんの?
むしろ諸葛亮が敬愛してたのが劉備と関羽だと思うんだけど
諸葛亮と不仲なのは劉封じゃないかな 夷陵の戦いをやっちゃった時点で何もかも台無しだよな 水魚の交わりの故事が新参者の諸葛亮と
劉備が仲良くしてるのが関羽と張飛には面白くないって
話だしその辺のイメージからかな?
諸葛亮と関羽の関係って現場のエースと
若きエリート幹部候補生みたいな感じだから
諸葛亮の個人的崇拝とかはともかくやりにくいのは確かでしょ 劉備が孫権に軟禁されているときは関羽と張飛は諸葛亮なじったけど、入蜀して関羽が荊州を任されてからは関羽はたびたび諸葛亮に相談の手紙を出してやり取りしているから、不仲ってことはない
関羽は劉備以上に名士が嫌いだけど、諸葛亮は劉備の手前もあるが認めていた >>563
劉封も冷酷な判断をしただけで不仲ではないぞ
劉備も案を受け入れてるくらいだし兆しがあったんだろう >>565
無頼者の傭兵集団だった劉備達は名士があまり好きではなかった
名士からもあまり好まれなかった(例えば徐州牧になったときに配下になった陳羣は、劉備のことは快く思っておらず、劉備が落ち延びたときは曹操に臣従した)
荊州に至ってからようやく名士の重要性を痛感して諸葛亮を招いたものの、関羽はあまり名士嫌いが改まることはなかった >>568
今で言うと名士が上級
劉備たちは勢力のデカい半グレってとこだからな
そりゃ水と油でお互い毛嫌いするよな
そこから正当性を得て表舞台で活躍する為には
上級とのコネが必要って今の昔も変わらんね 孫堅 どさくさに玉璽盗んだならずもの、袁術の手下に軽く捻られて盗賊に相応しい末路を迎える
孫策 孫堅の失地を回復した直後に死ぬ
孫権 守ってただけ
これで呉が三国の一角を占める一大勢力なのが意味わからん、孫堅時代の地方弱小勢力から拡大した経緯が全く無いのに魏と互角に戦えるとかおかしいだろ >>571
孫策で呉の下地もう作ってたから孫策と補佐の周瑜がスゴすぎたんじゃないかな >>570
そりゃ、あの時は誰がどう天下を収めるか読めない状況だから
近場の有力者には取り入るのは普通だよ
>>569
現代のルール上、半グレに定義されてるけど
当時のルールなんてあってないようなもんだからまんまヤクザだよ
規模の大きなギャング集団やからね >>571
孫策は江東の豪族を荒らし回ったから、そら敵だらけになるのは仕方ない
項羽と比較するのはちょっとおこがましい >>570
その辺は漢室への忠義がまだある人達やからやない?
一応劉備は自称ではあるけど漢室に連なる身だし
献帝からもそう扱われたら漢室に未だ忠義心がある名士からはウケが良かろう >>571
孫策の代で江南の有力氏族を上手く取り込んだのが大きいと思う
その最初が周瑜で続いて陸家、お母さんの実家呉家とか
中原での争いから少し離れたところでこの辺りの有力氏族は漢の高官を代々務めて名声はあるし独自の私領、人口、軍事力、コネも持っていた
特に曹操、袁紹の二強が中原の派遣を争う頃にはどちらにも付かず有力氏族連合で孫策、孫権を盟主にする体制をきぶこうかとして孫家がその神輿に上手くなった
ただその新しい連合に反対する勢力に対して孫策が強硬な軍事行動で向き合ったので敵も多かった
孫策死後、周瑜や孫堅以来の武官達はこの反孫家の反乱祭りの対応で戦ってばかりいた 関羽揚げのために周辺人物もとりあえず揚げたのが三国志演義
だと早稲田の教授が言ってた
関羽が全ての元凶 >>570
青州の孔融助けに行ったし徐州の危機にも駆けつけて駐在したしなあ。
売名じゃなく純粋に救援行動をとったところがデカいよ。とくに後漢末期の混乱期に。 >>570
青州黄巾に包囲された孔融を太史慈の要請で救援したんが劉備やろ
曹操が民衆虐殺しよった徐州に救援で来たんも劉備
孔明は徐州虐殺の被害者やった説まである 【呉志陸遜伝】
……(孫)権遂征夷州得不補失
「……孫権は遂に夷洲を征服した。得たものは失ったものを補えなかった。……」
★捕虜として連れ帰った数千人以上の犠牲を出し、戦利品以上の出費があったらしい。
外征して遊んだりしてるから… >>574
孫策の小覇王言うんは誉め言葉で言うとるとは限らへんのや
項羽ばりに横暴やったから小覇王言う事やろ >>582
項羽は政治センスゼロやったから、最終的に三傑屋陳平を従えた劉邦に負けたけど、楚の地に対してはそんな横暴働いとらんやろ
暴挙といえば章邯を下したあとに秦兵皆殺しにしたり、咸陽で虐殺略奪したくらい
あと叔父が擁立した >>584
楚の懐王殺したり項羽を猿と批判しよった奴を殺したり言う事やろ けっきょく諸葛亮と関羽は不仲だったってのは根拠なしになんとなくそんな気がするってだけかよw
>>563
手紙のやりとり見ても関羽にはめっちゃ気を使ってるね諸葛亮 めっちゃ気を遣ってるのは不仲なのでは?
立場上は諸葛亮のが上だよ >>587
どうだろうな
入蜀してからの諸葛亮は、役職軍師将軍だからな
法正は尚書令だったのに
劉備と諸葛亮はそんなに言うほど親密ではなかったのでは?とも言われる
もしくは荊州閥に力を持たせ過ぎないようとする劉備の考えだったか
少なくとも法正存命時は諸葛亮の地位はそこまで高くない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています