【黒歴史】1993年のビーイング旋風!ニッポンの “産業ロック” クソだった [979264442]
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18週間連続1位独占! 1993年は「ビーイング」の年だった
1993年は「ビーイング」の年だった。
音楽制作会社「ビーイング」についての詳しい説明はもはや不要だろう。俗にいう “ビーイング系アーティスト” は、ZARD、WANDS、DEEN、大黒摩季などを代表に、B’zやTUBEなども含まれるが、1993年には、これらのアーティストの楽曲が18週間連続で1位をキープし続けるという社会現象が起きた。
当時、私は「ビーイング」という名称をリアルタイムで認識しておらず、最初、転職情報誌の『B-ing』が音楽ビジネスに乗り出したのかと本気で勘違いしていた。しかし「テレビにも殆ど出ないし、CDのジャケ写の雰囲気も似通っている、何かの一大勢力が進出し始めたな」という気配は、ひしひしと感じていた。
なお、「ビーイング系」を語る時に、B’zやTUBEを一緒くたにすることには少々違和感があるだろう。なぜなら、彼らは既に彼ら単体で圧倒的なブランディングが確立されていたからだ。だから私の中でビーイングを象徴するアーティストと言えば、女性では “ZARD”、そして男性では “WANDS” となる。そう、1993年のビーイング系チャート1位旋風の始まりもWANDSからだった。
リリースから半年がかりで1位に到達した「もっと強く抱きしめたなら」
ビーイング隆盛のきっかけとなった曲は、WANDSのサードシングル「もっと強く抱きしめたなら」だ。この曲がリリースされたのは1992年7月1日のこと。実は、初めからヒットチャートを賑わせていた曲ではなかった。30位台への停滞が長く続き、なかなか浮上のきっかけを掴めずにいたのだ。
しかし、発売当初から有線放送では頻繁に流れており、私は夏休みの深夜のバイト先でずっと耳にしていた。同時期のヒット曲「浅い眠り」(中島みゆき)、「涙のキッス」(サザンオールスターズ)、「もう恋なんてしない」(槇原敬之)と並べても引けを取らない存在感。バイト中、毎日この曲が流れてくるのを楽しみにしながら働いていたことを懐かしく覚えている。いつしか私は、曲名も判らぬこの曲が売れることを、心の底から期待するようになっていた。
その後じわじわ順位が上昇。1位到達は、なんと年が明けた1993年の1月25日。半年がかりのロングヒットであった。まさに「ビーイング城は一朝一夕にして成らず」であり、苦労の末に掴み取ったJ-POP主役の座だった。
ちなみに “1970年代生まれの男性ボーカルによるミリオンヒット” は、この「もっと強く抱きしめたなら」が最初であったということも強調しておきたい。これは、上杉昇と同学年の木村拓哉や中居正広が居たSMAPよりも5年早い記録だ。
何故? 音楽論壇でスルーされ続けたWANDS
しかしながら、これほど90年代J-POPのエポックとなったバンドなのに、WANDSは長らくの間、音楽論壇で語られてくることが無かったのは何故だろう。2022年に特集された『MUSIC MAGAZINE』10月号「特集 1990年代 Jポップ・ベスト・ソングス100」に於いても、WANDS単独としての曲は1曲も選ばれていない(「世界中の誰よりきっと」が辛うじて89位)。その理由としては3つあると思う。
まず1つ目は「“ヒット曲量産工場” ビーイングへに対するアレルギー」だ。具体的には、万人受けするキャッチーなメロディや、サビにタイトルを連呼しがちな歌詞などが、いかにも売上至上主義なロックとして敬遠されたのではないかということ。これは80年代前半「産業ロック」と揶揄されたジャーニーやフォリナーに通じる部分があるだろう。
2つ目は「主人公の顔が見えにくい歌詞」(WANDSでは主に初期産業ロック期)。以前、J-POPのフレーズで「翼広げすぎ・瞳閉じすぎ」ということが話題になったが、確かにこうした紋切り型の歌詞は、90年代のビーイング系勢力拡大と共に増えていった印象は否めない。
3つ目は「演者自身の戸惑い」。後年、ボーカルの上杉昇はブレイク当時の心境について「やらされている感があった」と、告白している。元々、ガンズ・アンド・ローゼズやジューダス・プリーストのようなハードロックを好む上杉は、こうしたポップ路線での出世には葛藤があったのだ。そして、評価する側としても、演者が不本意さを抱え演じた物は評価しづらい。これは仕方がないことだろう。
https://article.yahoo.co.jp/detail/0e3ea459a53e1b311690d13d4dd1be5c39af373d こんな歌謡曲をロックっていうのがなんかズレてるよ
産業ロック的ではあるけどそもそもロックですらない 織田哲郎の曲はいいけどな
売り方は好かん
なんか謎めいた感じ?w
ザードとか顔がわからんもんな
もっとはっきり撮ればいいのに
案外かわいいかもしれんのに
かわいくないのかな
わからん 手法はどうあれこの時代を生きた人間の多くに「残る」メロディを確立したことは語るに値すると思うけどね つか普通に歌謡曲だろあれ
ロックじゃないつか、この国でロックなんて流行るわけないだろっていう 人は若い頃に聴いてた曲を一生聴き続けるなんて聞くけど
俺に限ってそれはなかった90年代 素人でもある程度カラオケで歌える曲だから売れたんじゃね
ハードロックとか歌えんだろ 周りの大人がお膳立てして売ってるんだから、実質アイドルと変わらんだろw 産業ロックが~って売れてる奴への嫉妬による言いがかりだよ
ほぼ全てのミュージシャンが音楽を金稼ぎの手段にしてるんだから でも聞けば懐かしい程度には残ってるから良い曲は多かったんじゃないの? 織田哲郎って実はすごい!こんなにヒット曲が!とか評価されてるけどビーイング隆盛期の量産曲は大したことないと思うわ
昔のTUBEとか渚のオールスターズの頃はいい曲作ってたと思うけど DEENのギターソロのセンスは抜きん出てたな
他のバンドは添え物的な感じったけどDEENのはボーカル喰ってたわ 別にPOPだから産業だからダメって訳ではないんだよ
クソだからダメなんだ この頃はまじで地獄だったわ
あまりの気持ち悪さにずっと洋楽ばっか聴いてた アレンジャー明石昌夫が居たから、まだ聞けるレベルだった YouTubeのコメントだとこの頃の音楽は本当に良かった今は〜みたいにビーイングを良しとしてる人たちって結構いるんだよな・・・・ 今映画ヒットしてるからスラムダンクのタイアップがよく語られてるけど
普通にコナンやドラゴンボールとかもやってたしなあ
ぬ~べ~とビーズってイメージ的にやらなくても良かったんじゃ プレスリーがウケたのはロックを感情移入出来る白人がやったからだし
ビートルズが桁外れに世界でウケたのは世界的なテレビ普及期に丁度旬がマッチしたグループだったから
音楽の成功理由なんて思ってる以上に陳腐なもんだよ Adoの売り方が顔を出さないビーイングの手法そっくり ロックのコアとなるカウンターカルチャー的な要素がないんだもの
そりゃ衰退するわ ビートルズ以前のバンドも曲は自前じゃなかったらしいじゃん >>7
カラオケボックスの普及に合わせて歌いやすくてキャッチーな曲を量産したのがビーイングだからな
サビに入るときに何拍か間を空けたり歌いやすい工夫がしてある 上杉の歌詞って売れてるときも結構暗いけどな
時の扉とか世界が終るまではもそうだしJ-POPっぽいのはサビのところくらい 同年アメリカではグランジ最盛期か
後追いで日本もロキノンブームみたいなのがくるけども ZYYG,REV,ZARD & WANDS featuring 長嶋茂雄「果てしない夢を」
https://youtu.be/DKFLDzqyCIk >>42
イギリスはアシッドジャズかな
なおジャップはロック風の歌謡演歌🤣 最近のtiktokで工作する売り方のほうが糞じゃね
糞みたいな曲をゴリ押してくるじゃん 商業的に成功したものを評価できないなんて言い出したら元も子もないがな
ましてやロック()なんだとしたその時点で商業性を帯びていたら本来はおかしいだろって話だしキリがない
ヒット曲がないならなおのこと売れないオナニーやってるだけですよねっていう話だし 当時渋谷系とかグランジとか
やったから
ビーイング系は相手されて
なかったなぁ(´・ω・`) 何周かしてZARDブーム来てる
PVとか動画すぐ削除するなら公式で全部あげろよと言いたい
今更出し惜しみしてもしゃーねーだろうて >>40
早口だしそう簡単に出ないハイトーンだしどこが歌いやすいのかと
実際ビーイング系歌って高音出なくて事故る奴を嫌というほど見てきたし 90年代は80年代物を聞きまくって現実逃避してたわ
90年代からはシャカシャカしたサウンドとカラオケの時代
2009年くらいから急にメロディ重視になって来て最近はサウンドも重視でベース音も重視される良い時代に >>61
昔のロキノンジャパンは尖ってて産業ロック認定すると一切その歌手は載せなかった、ビーイング系と言われる人たちも全く載らなかった カラオケのあるガールズバーやスナック行くとアラフィフくらいの連中はたいていビーイング歌ってるんだよな・・・
同じ90年代でも渋谷系やロキノン系バンドブームはその後って感じで前半と後半で隔たりがある だって儲かったんだからしゃあないやろ?
考えてみ、歌謡曲だの演歌だのドサ廻りして売って数万枚で大ヒットだーってやってたんだよ、ピンクレディーだのしょーもない売上のガキどもや演歌歌手にアタマ下げて、いい歳のオッサンがよw
それがなに?ビーイングさんががチョイと絡むと初動10万枚が当たり前だぞ、大ヒットなんてのは100万枚とかになったんだぞ、そらそっちつくわな大人の世界だから。
言ってみれば、ビーイングさんからなんだよな音楽産業が真っ当なビジネスになったのは、クリエイターを気取る頭の弱い現場馬鹿に振り回されないキチンと戦略を立て企画を立ててモノを作り販売流通させるマトモなビジネスをやるようになったのは。 こういうスタイルが嫌で離脱した上杉が中韓に出稼ぎでスラダン主題歌歌ってんだもんなあ
非難じゃなくてむしろ本人おkならどんどんやっていいが年月が経ったんだなと つまりビーイングさんから日本の音楽産業は始まったんだよ。
一般に日本の音楽産業の歴史を振り返るときは1990年代以前は語られない、それ以前は音楽産業というものは無いも同然だから。
そしてそれからの十年間こそが日本の音楽産業の黄金期であり原点なんだよな。
あの年層6000億円を叩き出しまくっていた栄光の時代、メディアや代理店規格業イベント業者が栄えていたあの時代、あの時代を再現すべくエーベックス路線からAKB商法更にはK-POPへ業界は貪欲に展開し続けた。
ただ残念なのはあのビーイングさんが関西方面の不動産業方面に業態転換し音楽産業には伊能的ではなくなっていること、エイベックスさんもどうも他業種への志向があるようで、マトモにビジネスやる人が居なくなって元のびんぼくさい興行の世界に戻らないか心配だ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています