「中森明菜vs松田聖子」二大アイドル時代突入の転換が1984年である理由 [782112767]
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1982年に「少女A」で鮮烈なデビューを飾った中森明菜。松田聖子が席巻していた時代に、明菜が放った一曲が“二大アイドル競争時代”の始まりを告げるきっかけになったという。松田聖子と中森明菜の対立構造を明確にした84年を振り返る。渡邉裕二『中森明菜の真実』(エムディエヌコーポレーション)より一部を抜粋・編集してお送りする。
https://diamond.jp/articles/-/317042 オカマというか女装家というかニューハーフというかホモの人が、やたらこの二人で対立していた
どっちが好きでもいいだろ… 聖子vs明菜は典型的な後世の歴史改竄
実際は明菜vsチェッカーズ 84年とかもうピンアイドル全盛時代終わりかけじゃない?
小泉とかが最後のイメージ 十戒は5週連続1位も、その後7週連続1位の星屑のステージの前に敗れる
飾りじゃないのよ~はジュリアに傷心(8週1位)に阻まれ1位はたった1週
この時期、ジュリア・飾りじゃ・恋の予感が7週連続1・2・3位という珍記録がある
ミアモーレはレコ大まで獲ったけど
あの娘とスキャンダル(6週連続1位)に阻まれ、1位は1週
サンドベージュは俺たちのロカビリーナイト(4週連続1位)に阻まれ2位止まり
SOLITUDEと神様ヘルプはどちらも不発で双方2位止まり、痛み分け
明けて86年
DESIREとOH!POPSTARの対決は
DESIREが7週連続1位でようやくチェッカーズを2位に張り付かせる
ジプシークイーンとSong for USAは互角の争い
FinとNANAからようやく発売時期をずらすようになる 今挙げてるのは当然、当時マイナーだったオリコンではなく
当時の大正義ザ・ベストテンの順位である デビュー曲がスローモーションなのか少女Aなのかで意見が分かれるよな 正統派アイドルソングでは松田聖子に勝てないと考えた戦略の勝利だった筈だったが 中森明菜
今デビュー当時の画像を見ても
かなりの美少女
松田聖子
今デビュー当時の画像を見ると
全く美少女ではなく極めて普通の容姿
だから松田聖子はすごい ちな
日本の歴代アイドルでもっともすさまじい人気を博したのは
ピンクレディ←これだけ社会現象
次が山口百恵で
その次が松田聖子 >>1に答えると
ピンクレディまででアイドル量産体制の準備が
各事務所に整うと同時に
テレビなどでもその活躍の場が歌番組などと共にわかりやすくなり
いよいよピンアイドルを競わせる
戦国時代に突入した頃だから
ここからおニャン子出現する少し前までアイドル黄金期が続いた 山口百恵が引退して松田聖子と中森明菜が出てきた
ピンクレディーは子供とかにかなり人気あった感じだろかな ヤンキーがみんな聖子ちゃんカットだったんだからすごい影響力だろ 最初の頃は来生姉弟のバラード曲と売野のツッパリ曲を交互にシングル化してた
売野路線で爆発的に売れたが本人はバラードを歌いたかったって話もある 松田聖子からこっちはアイドルの賞味期限がえらく長くなったのがデカいよな
それ以前だと結婚で引退の山口百恵は別としてもピンクレディでもなんでもいいとこピーク数年だろ
割りと松田聖子の出現て歌謡界の大事件なんじゃないかと思ってる >>5
これなあ
聖子は順風満帆、明菜は闇
そんなイメージだったのに両方とも闇になってしまった マッチ、あんなに歌が下手くそなのになぜ人気があったのか?
ニワカ明菜ファンとしては許せんよ 第二次ベビーブーマーが中学生くらいになり、
アイドル活動に金を出すようになったからだよ
その世代がもうちょっと成長して高校生くらいになる1987年くらいになると
アイドル音楽から邦楽、日本人アーティストの時代に突入し、
大学生くらいになる1990年となると洋楽の時代となり、
社会人となる1995年くらいになるとトレンディドラマやDINKSが流行り、
そして今その第二次ベビーブーマーが聴いていた80年代くらいの音楽が
様々なシーンでまた使われたりカバーされたりしてと、
結局、世の文化は第二次ベビーブーマー向けに向けて提供されているのさ 少女Aって中森明菜が歌いたくないと言っていたのを作詞家がちょっとレコーディングだけしてと頼んで歌わせたらしいな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています