https://web.archive.org/web/20140517153631/http://blogs.yahoo.co.jp/naomoe3/55366271.html
海苔は古来は7世紀頃から食材であっとされるが戦後まで1300年間
もの間、貴重な高級食材でありつづけた。
江戸時代に入り各地で海苔の養殖が行なわれたが、タネ(胞子)代 が高く、天候や海水温度にも左右され海苔漁民達は海苔養殖に先行投資しても回収が伴わずに経済的に危険でリスキーな職業と見られていた。いわゆる相場商品であり「運草」とも呼ばれていた。
(中略)

海苔の胞子が貝殻に潜って夏を過ごすことを発見したのが、イギリスの海藻学者であるドゥルー女史である。彼女は人工養殖の生みの親で、今日の日本の海苔養殖発展の大きな貢献者である。

それまで海苔の胞子は海の中に浮遊し、海岸の岩場に付着して夏を過ごし、秋口に果胞子を出すと思われていた。そこで竹ひびや海苔網を海の中に建て込み、それに自然に海苔芽が付着して成長するのを待ち、手摘みをするのが一般的であった。(経験則による養殖?)

海苔の果胞子を貝殻に潜らせて育て、果胞子が糸状に成長して再び果胞子を発芽させ、そこで生まれた胞子を海苔網に付着させて育てる「人工採苗」という方法で増殖させる方法(可能性)を見出した。

一九五五年(昭和30年)太田氏はいち早く人工タネ付け実験に成功し、日本水産学会で発表する。全国の海苔漁民に役立ててほしい、と太田氏は特許を取らなかった。
その思いは報われ、生産量はぐんぐん増えた。これにより海苔の養殖事業は、革命的な大進歩を遂げ日本で海苔は一気に庶民レベルまで家庭の食材として大普及した。
戦前はオニギリに海苔を巻いて食べる庶民は一部の江戸子を除いて余りいなかったのである。
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