二・二六事件戒厳令下の日本人さん「とにかく出勤しなきゃ!」 [231882153]
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「とにかく出勤しなきゃ」2.26事件 戒厳令下での鉄道は? やっぱり変わらぬ人々の“行動”
1936年2月26日、後に2.26事件と呼ばれることになる、日本陸軍青年将校たちのクーデター未遂事件が発生し、国は関東大震災以来となる戒厳令を発令します。この際、交通機関はどうなったのでしょうか。
戒厳令中の鉄道はどうなっていたのか?
1936年(昭和11)年2月26日、後に2.26事件と呼ばれることになる日本陸軍青年将校たちのクーデター未遂事件が発生します。
この事件で、政府は日本の歴史上、最長の戒厳令を敷くことになりますが、その際、交通機関の要であった鉄道はどういう状況になっていたのでしょうか。
2.26事件は、26日午前5時頃の首相官邸や重臣の私邸7か所の襲撃から始まります。
この際に、岡田啓介首相は首相官邸の中で女中部屋にかくまわれ難を逃れたものの、内大臣斎藤実、大蔵相高橋是清、陸軍教育総監渡辺錠太郎らは殺害され、鈴木貫太郎侍従長が重傷を負います。
襲撃直後の26日の朝、国鉄はおおむね定刻通り動いていましたが、東京株取引所が臨時休業を決定。一部の敏感な国民は、この段階にて、東京でなにかが起きたことを察したそうです。
正式に一部陸軍将校の放棄がアナウンスされたのは26日午後8時で、ようやくラジオで陸軍の一部将校が決起し、永田町や霞ヶ関などの一帯を占拠するという、重大事件が発生したことが発表されました。
このとき岡田首相はまだ脱出しておらず、襲撃により命を落としたとみられていたため、27日午前1時すぎには内閣総辞職が決定し、内務大臣の後藤文夫が臨時首相代理として各閣僚の辞表をとりまとめます。
そして新内閣は東京市(現在の23区に相当)に午前2時から戒厳令を敷きますが、当初は緩やかなものだったようです。
戒厳令が布告され東京へ入る鉄道・バスなどの交通機関は警備が厳重になっていましたが、概ね通常通りの運行だったようです。映画館や劇場なども普通に営業していました。
また、民間人が反乱部隊の本部がある山王ホテルや幸楽に近づくことができ、差し入れなども頻繁に行われていたそうです。
この件に関して近代史研究家の半藤一利氏は、市民には当事者意識はなく「大スペクタクルの見物人に徹した」と著書の『B面昭和史 1926-1945』解説しており、物見遊山的な傾向も強かったことがうかがえます。
https://trafficnews.jp/post/124540 続き
80年以上前から“とりあえず出勤の努力をする”国民性だった
しかし、29日に午前5時に討伐命令、午前8時30分に攻撃命令が下ると、状況は変わってきます。
一般電話も電信も市内以外不通となり、鉄道に関しては、東京市内への列車の進入が禁止され、東海道線横浜駅、東北線川口駅、総武線市川駅で国鉄は完全に遮断され人の往来はほぼなくなりました。
ですが、この厳戒体制は長く続きませんでした。午前8時55分には有名な「兵に告ぐ」と題した賊軍であることを強調するラジオ放送が行なわれ、反乱部隊の下士官兵は午後2時までには原隊復帰。
青年将校の多くも法廷闘争に切り替えるとして、投降し、反乱は終息しました。
国鉄では、同日の午後1時の段階で、全ての路線の運転を再開しました。厳戒態勢からわずか半日での再開でしたが、午前5時台の始発から急に列車を止めたため大混乱が起きていました。
当時、中野、高円寺、荻窪あたりに住居を構えるサラリーマンたちは「とりあえず新宿駅に出ればなんとかなるだろう」と思ったようで、その人々が新宿駅に殺到し、同駅は大混雑になっていたのです。
結局、新宿駅に来た時点で再開前に諦めて引き返す人、勇敢にも徒歩で職場へ向かう人、運転再開を期待し、新宿駅で待機する人の3タイプに分かれたそうです。
ちなみに埼玉県からのサラリーマンも上野着の列車が打ち切られた大宮駅でかなりの人々が足止めにあったようで、同駅の駅員講習室や駅員宿舎を臨時の待合室とし、乗客に開放されました。
とりあえず出勤の努力をしようという姿勢は、どこか2011年の東日本大震災の際や大雪の時の首都圏住民の動きと似ており、日本国民の本質は変わっていないのかもしれません。
なお、厳戒態勢ではないものの、戒厳令の効力はその後、同年の7月16日まで続きます。
特に憲兵が厳しく取り締まった訳ではないようですが、東京では、お祭りやイベントなどの自粛や規模縮小があったそうで、こちらも2020年からのコロナ禍での自粛をイメージしてしまいます。
【了】 て言われてもウクライナで普通に出勤してるの見たからなぁ
どこの国民もそんなもんじゃね? 明治維新時も庶民は大して関心持ってなかったんだもんな 東日本大震災で「出勤しなきゃ!!」とママチャリ緊急購入!! 報道管制かかってるから市民はほぼ知らんよ
出勤しようと出てきたら
なんか都心部でやってるなーぐらいのノリ これに動員された兵卒がみんな激戦地に送られたってのが酷すぎる
上に命令されてワケわからんままやらされたのに >>1
出勤しなくていいい会社なんか世界中どこ探してもないぞ
アフリカの奥地の家族経営の会社なら別だが
何でもかんでも出勤を悪者にするのは国力を削ごうとする他国の工作だろう
嫌儲もマスコミもその気がある 今時は天候で運休してくれるようになったが
ちょっと前までは雪でも強風台風であろうと
駅から人が落ちそうなほど混んでいようとも
出勤義務があったよね。。 パレスチナとか見てるとイスラエル軍が戦車で瓦礫作ってる横を普通に現地人出勤してたりするな
別に家にいても会社にいても危険度は言うほど変わらんのじゃないか
シェルター持ってるような上級なら籠もると思うが 日本人は自己判断できないし責任から逃れたがる性質があるからこういうときは休むと規則に明記されてないととりあえず出勤してから考えようとなるから無理だよ >>44
襲撃シーンのBGMを、ほとんどのガノタは知らない 今BSで毎年恒例二二六事件の番組やってんな
何年連続だろ 東京大空襲の翌日も普通に山手線も都電も動いてたし、原爆の数日後には広島市電も復旧してた。 >>38
あったら野次馬が詰めかけてもつと酷い状態になっていたのは間違いない 中国人のなん人かは二二六事件が「日本の天安門事件(に該当する)」だと思ってる人がいて
twitterで天安門事件のカウンターに二二六事件て書いてくる 反乱軍の大半は上官に命令されてよくわからんままのやつだったからな
ジャの国は昔から何も変わっていない 電話が傍受されていて YouTube に上がってるよね 東京大空襲の翌日も原爆投下の翌日も人々はちゃんと定時に出勤したんた
どうだ日本人は偉いだろう この時代の日本人すごすぎる
そもそも満州開拓とか中国相手の諜報とか
どう考えても今の俺らとバイタリティが違う
やばい 戦争や災害でもみんな働いてるからな
誰も出勤しなかったら物流が止まり救助も何も来ないわけだし というか戒厳令の意味が分かってないジャップが殆どだったらしいな
トンキンシティでこれだから地方なんて藩政時代さながらだと思っていい ってか冷静に考えて、7.8事件だよな・・・
そんぐらい安倍ちゃん暗殺ってやばい事件だろ・・・ >>66
そっから死んだ日本の司法が動くんだから間違いなく教科書に載るレベルだな ジャの白痴っぷりをみくびってはいかんぞ
GHQ/SCAPの職員が山間の村に調査に行ったら天皇の威光でアメリカ人が働いてると思ってる土人がいくらでもいたという話だし >>67
かっこいいな
靖国のコスプレジジウヨたちも自分たちの脳内ではこういうイメージなんだろうな 原爆落とされた広島でも3日後には市電の運行再開させてたから大したもんだよ
公共交通機関は動かすことが仕事だから戒厳令だの原爆だのと言ってはいられない
広電の凄いところは原爆被害あった車両を今でも使っているところ >当時、中野、高円寺、荻窪あたりに住居を構えるサラリーマンたちは「とりあえず新宿駅に出ればなんとかなるだろう」と思ったようで、その人々が新宿駅に殺到し、同駅は大混雑になっていたのです。
草
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