トルコで発見された円形の遺跡。失われた古代都市「ジッパランダ」か?

約4000年前、古代民族アナトリア人は高度な文明をもつヒッタイト帝国を築いた。彼らが残したヒッタイト文書には、現在のトルコにあったという、失われた礼拝の中心地「ジッパランダ」についての記述がある。

トルコ、ウシャクル・ホユック遺跡で円形の遺跡が発見された。この新たな発見は、ここが古代の聖都「ジッパランダ」だったのではないかという推測をさらに濃厚なものにしている。


失われた古代都市「ジッパランダ」をついに発見か?

紀元前15~13世紀にかけて、ヒッタイト帝国は、古代アナトリア(現在のトルコ)、レヴァント北部、メソポタミア北部を支配していた。

旧アナトリア帝国の行政と聖地の中心は、アナトリア中北部にあるハットゥサだった。

1834年、王室の公文書と、紀元前2000年にさかのぼるおよそ2万5000枚の石板を所蔵するハットゥサ図書館で、ヒッタイト文書が発見された。

この文書は、聖都ジッパランダは、ヒッタイトの嵐の神が祀られた重要な場所だとしているが、その神聖な場所がどこにあるかについては書かれていない。

しかし、ピサ大学とトルコ考古学ミッションの研究チームが、最近、アナトリア高原の中心部にあるウシャクル・ホユック遺跡を調査していたところ、ヒッタイト時代の謎めいた円形の構造物を発見した。

ついに、聖都ジッパランダを見つけたということだろうか?


臣民の間で王の足取りを追う

ヒッタイトの王は、公的な宗教儀式に参加していたことが知られていて、王はプルリ祭、春と秋の帝国祭、月の祭り、おそらくは狩猟祭りなど、年間を通してさまざまな神殿を訪れた。

王の行列は、3~4日かけて、ふたつの宗教的な行程をたどって、ハットゥサからジッパランダへと移動したと思われる。

まず、王は馬車を降りて、ジッパランダの嵐の神に供物を捧げ、次にダハ山で礼拝を行った。

ウシャクリ・ホユックでの最新の発見からすると、この神殿構造物は、ウシャクリ・ホユックがヒッタイトの重要な都市ジッパランダで、嵐の神を崇める信仰の中心地であり、王宮であったと特定する強力な裏づけになる、とダゴスティーノは結論づけている。

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