水木しげるさん死去 鬼太郎の原点に戦地での友情 「ここに残れ」

傷病兵が見た「天国」
 水木さんの元に「天国からの手紙」が届いたのは、1991年7月のことでした。水木さんは、締め切りが迫った仕事の手を休め、ピジン語で書かれ文面を読み解きました。

 「天国」とは、出征先のニューブリテン島で食糧欲しさに足を踏み入れた現地の集落のこと。一面の焼き畑にイモがきれいに植えられ、腰巻きひとつの人々が愉快そうに笑っている光景を前にした水木さんは、そこに「天国」を見ました。

 集落にいたトペトロは、左腕を失った傷病兵だった水木さんを、やさしく迎えました。戦後も友情を温めていた2人。手紙は、トペトロの死を告げるものでした。

戦場跡から持ち帰った薬きょうを手にする水木しげるさん=2002年1月24日
戦場跡から持ち帰った薬きょうを手にする水木しげるさん=2002年1月24日
出典: 朝日新聞
「鬼太郎」に描いた島の生活
 戦地では、敵に通じている恐れがあるという理由で、集落に立ち入ることは禁止されていました。それでも、水木さんは毎日のように足を運びました。

 トペトロの祖母には、わが子のようにかわいがられたという水木さん。食糧が足りないなら、と100平方メートルほどの焼き畑まで用意してくれました。

 「日本の兵隊は、ぼくたちの酋長(しゅうちょう)を2人殺した。でも、お前はいい人間だ」。トペトロたちの優しい言葉が、水木さんの心に刺さりました。

 トペトロたちは、涼しい午前中に働き、午後はたっぷり昼寝をしていました。自由に寝て、起きて、あくびをする。少年のころから「怠け者としてしか生きていけない」と思い込んでいた水木さんは、トペトロの村に入り浸ります。

 その生活は、水木さんは描く「鬼太郎」たち妖怪の生き方そのものでした。

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