2011年3月11日に発生した東日本大震災の死者・行方不明者は1万8千人以上に上る。あの日の大津波で犠牲となった当時7歳の娘の遺骨を、今も探す男性がいる。12年もの間、娘がいたはずの自宅周辺を探し続けてきたが、その場所は、事故により大量の放射性物質が漏れ出た福島第一原発のすぐそば。放射線の影響で、立ち入りが制限されても、父は娘のために通い続けた。そして、この場所を次の世代への教訓につなげたいと思っている。
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「津波来るはずない」…日常を一変させた東日本大震災
木村さんと妻の深雪さん、長女・舞雪さん、二女・汐凪さん
福島第一原発のすぐ南側にある大熊町熊川地区。そこで妻の深雪(みゆき)さんと長女・舞雪(まゆ)さん、二女・汐凪(ゆうな)さん、そして両親と暮らしていた木村紀夫さん。木村さん家族の日常はあの日を境に一変した。2011年3月11日午後2時46分、巨大地震が発生し、震度6強の揺れが大熊町を襲う。隣町の養豚場で働いていた木村さんは、片付け作業などの対応に追われた。上司が「ラジオで3メートルの津波が来ると聴いた」と教えてくれた。木村さんの自宅は海岸から100メートルほどの近さだったが、海抜5メートル以上の場所にあったため、「津波が来るはずはない」と思い、仕事を続けた。しかし、片付けを終えた木村さんが自宅へ向かうと、跡形もなくなっていた。すぐに町内の避難所へ向かうと、母と長女の舞雪さんを見つけた。しかし、父と妻、そして汐凪さんがいない。
「原発が危ない」 捜索できず、県外へ避難
そして、原発事故が起こった
木村さんは、他の避難所などを懸命に探し回ったが、見つからなかった。辺りはもう暗くなっていたが、もう一度自宅へ戻ってみると、自宅の裏山から飼っていた犬が駆け寄ってきた。よく見ると体中に砂がまとわりついている。
「もしかしたら…津波にのまれたのかもしれない」
大きな不安に苛まれながら、木村さんは、懐中電灯を持って夜通し、海岸沿いを探し歩いた。そんな木村さんを見つけ、熊川地区の区長が悲壮な表情を浮かべこうこう告げたという。
「原発が危ない、避難しなければならない。今生きている人のほうが大事だぞ」
その言葉で頭をよぎったのが、長女・舞雪さんの存在。「舞雪を守らなければ…」木村さんは、母と舞雪さん、愛犬を車に乗せて、妻の実家がある岡山県へ避難した。
動画と続きは以下ソース
https://news.yahoo.co.jp/articles/b1fca72cbd04240953457097e3927bd2dcfe69e6