被災者さん、目黒区からの住宅支援打ち切り後も居座り、家賃800万円請求され泣く。「もう一度被災したよう」 [574341953]
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「もう一度被災したよう」津波で避難も役所から家賃800万円の請求 制度のはざまで絶望 #知り続ける
3/3(金) 13:00配信
2011年3月に起きた東日本大震災で、岩手、宮城、福島の東北3県を中心に最大47万人が避難生活を強いられた。
宮城県気仙沼市に住んでいた山本マユミさん(68)もその1人。津波で自宅を流され、東京都目黒区から共同住宅への
避難を提案された。喜んで夫と移り住んだが、数年後、思いも寄らない通告を受ける。住宅支援の打ち切りだ。
夫が病死し、一人になったマユミさんに目黒区は部屋の使用料相当額を請求する訴訟を起こした。
額は約820万円にまで膨らんでいる。
震災から12年。日本中の自治体が被災者を住宅面でも支えたが、その後の支援策にうまくつながらず、
制度のはざまにこぼれ落ちた人々がいる。その絶望感をマユミさんはこう語った。「もう一度被災したよう」
マユミさんはもともと、東京で生活していた。2007年、東京で工事会社に勤めていた夫が退職したのを機に、
マユミさんが生まれ育った気仙沼市で老後を過ごそうと、海から100メートルほどの住宅を借りて2人で移り住んだ。
体調が悪かった夫が「自分が死んでひとりぼっちにするのはかわいそうだから、引っ越していいぞ」と言ってくれていた。
地元の海産物の産直販売で生計を立て、新商品としてカキとホタテのオリーブオイル漬けを売り出そうとしていた時、
東日本大震災に遭った。避難して命は助かったものの、加工場を兼ねた住居が津波に流された。
「それまで大赤字だったので、ようやく新商品が出せる、がんばってきてよかったって思っていたのに…」
慣れない避難所生活で、夫の体調は悪化した。震災の1年前に胃がんと腎臓がんの手術を受け、
経過観察中だったためだ。「体が弱っている夫はひとたまりもなかった。一気に体が悪くなった」。
その後、手術を受けた東京の病院に入院することになった。それだけに、目黒区からの住宅支援の申し出は
ありがたかった。「すぐに対応してくれて、本当に助かったと思いました」
「ほかの転居先を探す余裕はない」
住居が定まれば、次は仕事。事業の再開を目指し、気仙沼に通い詰めた。しかし、地震と津波による地元の損傷は
予想以上に激しい。震災後は海産物が値上がりしたこともあり、断念せざるを得なかった。働き口も探したが、
夫の看病があり、条件が合うところはなかった。先が見通せず、「夫のがん再発の恐怖と不安の毎日でした。
唯一の救いは一緒にいられたことです」と振り返る。2016年には目黒区から促され、区内にある別の共同住宅に
転居した。マユミさんは都内の公営住宅へ引っ越そうと抽選に応募し続けたが、結局、一度も当たらなかった。
2017年になると夫は脳梗塞を起こし、無理が利かなくなった。目黒区が住宅支援の打ち切りを告げたのは、
この年の9月。「ショックだった。夫の療養に追われ、ほかの転居先を探す余裕はとてもない。
今後の生活をどうしようと頭がいっぱいになってしまった」。夫は翌2018年1月にも脳梗塞を再発症した。
「この年になると、不動産屋は部屋を貸してくれない」
3月末、とうとう住宅の無償提供期間が切れた。「夫が死にそうでどうしようもないのに、責め立てられてつらかった」。
思いつめたマユミさんは、現状を知ってもらおうと夫の診断書などの書類を持って目黒区役所へ。
だがマユミさんによると、区の担当者は診断書に目を通したものの「見てもしょうがないから」と事務的に言うだけだった。
10月、夫は息を引き取った。「苦労はあったけど、一緒にいたから耐えられたんです。でも、一人になってしまった…」。
その後も転居先は見つからない。「土地勘がなく、知り合いもいない場所で1人で暮らしていくのはきついです。
この年になると、どこの不動産屋も部屋を貸してくれないんです」
月日は過ぎ、2021年7月末ごろ、目黒区から郵便が届いた。中を確かめると、訴状だった。
「被告は、建物を不法に占有」「不当に利得」と書かれ、使用料と共益費の相当額として月額計19万2500円を滞納した
と記載されていた。区が住宅の無償提供を打ち切った2018年4月から、2021年6月までに滞納した家賃の相当額は
約750万円と書かれている。さらにこんな内容の記載もあった。「明け渡しまでの期間を加算する」。
マユミさんは「何でこんな金額になるの」と絶句。あわてて部屋を引き払い、つてを頼ってなんとか知人宅に身を寄せた。
それでも、裁判がなくなるわけではない。 この夫婦の親族は何してた?親族が誰もいないのか?
実家があるわけでもない老夫婦が目黒なんて住んだらどうなるか分からんかったのか
同情する要素もあるが請求されても仕方ない 旦那さん亡くなった18年3月からもう5年間も居座ってるの?
で払いたくないと… それはそれ、これはこれの話だな
夫をダシにしちゃいかん
自己責任 実際追い出したら家無くなるんだから町営住宅紹介してあげればいいのに >この年になると、どこの不動産屋も部屋を貸してくれないんです >>12
これ
独り身の老人に不動産屋が部屋貸すわけないんだから、
役所が紹介しないと退去なんて無理だろ ナマポの話にならんのが不思議
それにしてもどんだけいいところ住んでたんだよ😨
>使用料と共益費の相当額として月額計19万2500円 港渋谷目黒あたりにただで住むのが普通と思うの方がおかしいわ もともと東京の人なのに土地勘がないとか、提訴されたらすぐに退去したとか、言ってることの矛盾がものすごいんだけど俺の読解力がなんかおかしくなってんのかな… カラフルな封筒がいっぱい来てたはずだけど無視してたんだろうな 目黒に住むとかいいねぇ
あんな所普通のリーマンでも住めないだろうに これかなり経過端折ってるけどいきなり訴訟になったわけじゃないだろ マイナンバーで収入と資産を把握できるのなら生活保護は自動支給すべきだよ 目黒じゃなくて葛飾にでも住めよ
北日本人は足立葛飾方面、西日本人は大田世田谷方面に住むのが自然 2018年10月に旦那死んだときに退去しときゃ良かったやん
なんで21年まで住み続けたんや? 支援打切 2018年4月
旦那死去 2018年10月
起訴 2021年6月
アホでしょ これずーっと問題になってるよな
家賃ゼロで住み続けて退去拒否してるやつら
さっさと追い返せ! 軽度の障害ある類の人かなという気もした支援団体ついてるあたり
駅チカ20万ぐらいだけど気仙沼の感覚からすると五万ぐらいだろう
思考停止してる期間が相当ありそうだ
元々払えるわけないんだし生活保護相当で見合った家探してやるしかないんじゃない この歳って言うけど震災当時はまだ50代ってことだろ?
その年齢で貸して貰えないは無いわ
言い訳にしても酷いな 俺は被災して関西に来た
5年近くただで住居を貸してくれたが今はちゃんと自分で部屋借りてるしもちろん仕事は初めから探してて普通に働いてる
いまだに東京で喚いてる奴ってなんなんだろね >>1
> マユミさんは「何でこんな金額になるの」と絶句。あわてて部屋を引き払い、つてを頼ってなんとか知人宅に身を寄せた。
部屋、出れるんじゃん???
なんで訴状が届くまで平気で居座ってたの??
たぶんだけど打ち切りからすぐに動いてれば裁判なんて起こされなかったよ? なんで働いてもいないのに目黒区のいいマンション住んでんだよ、地元の公営住宅入れよ この条件で5年間都営住宅どこも入れんとかある?
まさか23区内だけしか申し込んでないのか こういうのは大変だよな
いつまでも被災者ってなら国は滅ぶしな
でも60代で東京で仕事は田舎育ちからしたら大変だろうし
まあ俺たち現役世代の老後なんてこの被災者の環境が神に思えるレベルなんだろうな 子供が近くに住んでたりすれば多少高齢でも家借りられるぞ 東北人は2011年に被災し2017年まで家賃タダで居座ったまで読んだよ そろそろ立場を考えてくれよ
地元に戻って人口保てよ 読んだけどトンキン民が被災してトンキンかえってトンキン行政にやられてるだけじゃん
トンキンは同胞ちゃんと面倒みろよな 借りる条件なら戻った方が優遇がスゴイ良いじゃん
戻るのが踏み切れないんでしょ
人が居なきゃ孤立だし 気仙沼に帰ればよかったのにって思ったけど、この人の家は中目黒と恵比寿の間あたりかな
飲食店も多いし治安もいいよね
一度便利な生活を知ってしまうと、辺鄙な場所なんて住めなくなるの仕方ないわ 7年間も家賃タダって・・・・なんで?
運よく支援住宅は入れた人だけそんな優遇したらだめじゃないの いい記事だな
泣きっ面に蜂に次ぐ蜂に次ぐ蜂で腫れ上がってもはや原型を留めていない膨れっ面にダメ押しの蜂って感じがひしひし伝わってくる
でもまあ自己責任だわ
それが日本 >>59
ヨーロッパのウクライナ難民も追い出されそうってスレ立ってたぞ 自民党の言ってた復興五輪ってこういうことだったの?
住民税の一部が復興予算として増税されてるんだけど
どこいってんの 訴訟チラつかされたら即友人宅に逃亡してんじゃん
なんじゃそれ 12年も経ってナニやってんだ?w
そりゃ家流されたのは可哀想だしそれなりに支援はあって然るべきなんだが限度があるだろ…w
タダで東京の一等地に居座れてラッキー的なトコあんじゃない?w
どうしてもと言うなら北海道の原野にでも木造アパート建ててやればイイよw ナマポにしてケースワーカー付けて安アパートに移ってもらえばいいやん >>43
この人東京の人だが
老後に故郷の気仙沼で家借りてただけ 88ならまだしも68って被災時58な訳で
夫ももう少し先を考えてから死んでやれよ まぁ目黒区みたいな場所がおせっかいしたのが間違い。
インフラ的には高島平団地でも生活の質は変わらないんだから
ああいう場所に入植させるべきだった。 都会生活に慣れちゃったからもう田舎には住めない感じ? >>71
都心部は物価高いし全然便利じゃない。
スーパーが5社くらいで戦国時代をやってる郊外の都市がいいんだけど
そこらの現状を知らいないんじゃないかな。
目黒での不便がさらに不便になることを警戒してる。 えっ
こんなこと言うのは本意じゃないけど、12年間何やってたの? >>1
そりゃあ目黒区の賃貸住宅じゃ
家賃そのくらい行くだろ
せめて八王子とか行かないと安くならんぞ >>1
これと似たようなケースで
東日本大震災で被災した人を
東京都の湾岸の住宅に一時受け入れして
期限があるのに居心地が良いから出ていかない
問題はどうなったのかな? こういうのは被災者とか関係なしに高齢者、貧困家庭とかに空き家解放すべきたと思うんだが
不動産価格考えたらジャップランドの人口減がもっと深刻化するまで動かないだろうな 被災したのはもちろん可哀想だけどタダで東京の一等地に住まわせるからこうやって居着いちゃうんだよなw
田舎の手付かずの空き家とかタダで貸してやれば新住民として居着いてくれてもよかったんだろうけどw 夫の看病だったりで気の毒だとは思うが
役所がそれまで支援してくれたんだからもう少し考えて動けばよかったのに なんでこんなに高いのってw
ただでずっと住んでるから家賃も知らないのか
図々しいな >>59
目黒の19万のマンションにタダで7年も住まわせてもらえるなんて
なんて日本は良い国なんだ!
となるのが普通の感覚では? 19.25万か
かなり広いか新しい所だな
坂ばっかりで住みにくい区だってのに 元々東京に住んでたって書いてあるけど
土地勘が無いって??
旦那が病気で大変だったのはわかるけど
亡くなってからもなんで居座ったんだろ
区だってもっと安くて単身者用の移転先相談にのってくれてないはずないわ >>18
そうだよ
東京の相場知ってる
あくまで利便性の良い公営住宅にこだわり生活保護の申請もせず
再三の督促も無視してたらそりゃアホとしか
周りの人も助言とかしてあげなかったのかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています