【元NECのトップ技術者が解説!】世界一だった日本の半導体メーカーは、なぜ凋落したのか?
しかしながら、先にも触れたように、1990年をピークに、我が国の半導体は衰退の一途を辿り始めます。
その理由にもさまざまな理由が考えられます。
まず第一に、1985年に日米の政府間協議が始まり1986年に締結された「日米半導体協定」があります。
10年間続いた協定の内容は、日本に対する言いがかりとも取れる内容を含んでいました。
たとえば、DRAMで日本が圧倒的シェアを占めているのは、「ダンピングによる安売りをしているのでは?」との疑いから、
「価格は米国政府が決める」という、とんでもない取り決めでした。
この結果、日本の企業現場では何が起きたか? 両国政府が日本の半導体メーカーに対し、半導体製品のコストデータの提出を求めました。
いわゆるFMV(Fair Market Value 公正市場価格)を算出するためという名目でしたが、
筆者たちは一日の終業後に、「該当するDRAMにどのくらいの時間をかけたか」という報告義務を課されることになりました。
しかし、半導体工場では異なる製品が同じラインで製造されていましたので、
製品ごとの装置、材料、人件費などの割合(賦課率)を算出しなければなりません。
もうひとつ、協定には「日本市場に占める外国製半導体の比率を、それまでの10%前後から倍増の20%にしなければならない」
という、購買義務まで含まれていました。
このような不平等協定を飲まざるを得なかった日本の半導体業界の直接的ダメージはもちろん、
このときのトラウマがその後の日本政府の半導体業界に対する政策に大きなマイナスの影響を与えました。
いっぽう、韓国、台湾、さらに近年では中国が、それぞれの政府による手厚い庇護のもと、
半導体産業を大きく伸ばしたのとは対照的な状況が生まれたのです。
日本でもその後いくつかの官民プロジェクトが組まれましたが、国の支援の規模を含め、
結果として我が国半導体産業の復活には繋がりませんでした。
https://diamond.jp/articles/-/318817