結局、徳川家康ってどんなキャラだったの? [663277603]
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現代の政治家だっていろいろ脚色されてみんな騙されてるんだから
当時の人間が本当はどんな奴かだったなんて分かるわけないだろアホか 勝者の都合のいい歴史しか残らんしホントのとこはよく分からんよな >>7
鯛の天ぷらとか当時の新発明だったのか?いくらなんでも食い過ぎやろ 健康、サプリオタクだったんでしょ
実際長生きしてるし 天ぷらで食中毒ってないとは言えないけどないよな
料理人かわいそうなことになってそう 湿地帯だらけで価値の低い土地だった江戸に左遷されたのに、その江戸を大規模な埋め立て工事で、条件の良い土地に作り変えた偉人。まぁ部下の助言だったかも知れんけど。 へうげものの家康でいいじゃん
だいたい合ってるだろ 地味で無欲で目立たない
秀吉も家康が野心出すとは思わなかった 短気で「今川家」から独立して戦うために「徳川家」と改称するほど変化に柔軟な性格だった
(そうでないと戦国の世を生き残れないが)
歳をとって天下を取って保守的な性格になっていった(政治で統治しないといけないから) ああ、アイツな
良い話とか全然聞かないし、
かなりのクズなのは間違いないわ 関東作り替えた言うんはせやが江戸は家康前から開発入ってたやろ でも肉人と遭いそびれちゃったよね
https://i.imgur.com/SNZmStt.png
慶長14年(1609年)4月4日朝、肉人とでも呼ぶような怪人が、 晩年の徳川家康が住んでいた駿府城の庭に現れた。 その怪人は小児のようで、手はありながら指は無く、 その手で上方を指して立っていた。 城内の者は驚き、怪異の類であろうと思い、捕らえようとするが、 なかなか捕まえることが出来なかった。 その話を聞いた家康は、「人の見えぬところへ追い出してしまえ」と命じ、 結局、山の方へ追い払ってしまった。 この話を聞いた、薬学に詳しい者がこの話を聞いて、 「なんとも勿体無い事をしたものだ。 『白沢図』に載っている封というもので、食せば武勇絶倫となったのに、 仕える者の無学なせいで、主君に仙薬を賜う事が出来なくなってしまった。」 と嘆いた。 『本草綱目』によれば、封は小児に似て、手に指は無く、血も無い。 『白沢図』にも載り、封は人の食用となる。 建築のために土を掘ると、肉の塊を一つ得ることがあり、 衛士はこれを「太歳」と呼んで遺棄するが、無害とも言う 『山海経』には、視肉という肉のごときものがあり、 形は牛の肝のようであり、両目があって、食料となる。 よく三国志の劉備と比較されるけど実際に似た感じだったの? >>27
実際に似てるのは秦の始皇帝だと思うがな
生い立ちからして 宣教師の記録にある秀吉と家康が現代人のイメージの元になってるわ 途中で死んでる説はかなり信憑性ある気がする
豊臣滅ぼして一年後に死亡って影武者処分しただけだろ ごろつきの成り上がりって点では劉備に似ているのは秀吉だよな >>27
戦国武将で一番劉備に近いのは恐らく北条早雲 最期は天ぷらのイメージ
東照大権現は今よりもっとキラキラだったのは本当? 普通に上級の嫡男、幼少期につらい目にあった!三河の民は今川に虐げられていた!
ここいら全部フィクションだから なんとなく顔立ちが今の徳川家当主に似ていたんじゃないかと思う 徳川家康の前では加藤清正はおとなしかったとか記録がある 徳川慶喜って家康の血は入ってたの?
明治維新に協力したから名君扱いされてるんだろうけど、身分社会を終わらせたのがこいつなら暗君だと思う 司馬のレポートだと家康のひねった和歌のたぐいはないようだがやはり全然出てこないのか 漫画キャラだと安西先生でサッカー監督だとアンチェロッティのイメージ 無口で何考えてるか分からんって家臣に言われてた
同僚の大名からも地味でおとなしい奴って言われてた なんか最近は信長の評価が案外普通の優秀な戦国大名くらいに落ち着く一方で、家康がなんやかんやで関東統治うまいし
戦も強いしで評価が上がっている感じがするな 今のドラマの家康酷すぎだろ
今日もギャーギャー言ったらなんか攻勢に転じてうまくいきました 終
だったぞ 松潤の登場シーンが減らされてる気がするどうする家康
松潤の登場シーンが少ないほど見応えがあるどうする家康 >>49
そら小牧・長久手の戦いで秀吉に勝ってたくらいだしな >>33
一旦久能山に埋葬して翌年すぐに日光へ改葬したのが怪しい
この時影武者の遺体と大坂で真田に殺された家康の遺体をすり替えたのではないだろうか >>12
当時の天ぷらは唐揚げみたいな感じで生にんにくをのせて食うらしいな >>37
天麩羅で死んだと思ってる奴多すぎだろ
その後回復したのに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています