ブランチ・ダビディアン事件 †

 1993年、アメリカ・テキサス州ウェイコで起きた、宗教団体ブランチ ダビディアン(Branch Davidian)による武装立て籠もり、および集団自殺事件*1。ただし、『自殺』という見方には異議・疑問も呈されている。
 元々のブランチ・ダビディアンは、いわゆる『ヨハネの黙示録』に基づく終末思想にとらわれながらも、比較的穏健・小規模な宗教団体だったが、1990年、激しい跡目争いの後にバーノン・ハウエルが新教祖の座に着くと、次第にきな臭い空気が漂い始める。彼は名をユダヤの英雄にちなんだ『デビッド・コレシュ(David Koresh)*2』に改め、自らを『7つの封印(Seven Seals)を解放できる唯一の救世主』と称して、カルト的な終末論と個人崇拝、選民思想をエスカレートさせていく。その教義によれば、ブランチ・ダビディアンの信者達こそが、最終戦争の後に生き残ることを神に認められた『選ばれし民』と位置づけられていた。

 奇妙なカリスマで信者を増やす一方、コレシュは最終戦争に備えて教団の武装化を急速に進めていく。大量の銃火器の不法取引(下記参照)、またカルト教団にありがちな信者への虐待、女性信者・少女を性の食い物にするなどの問題ある行動が外部にも伝わりはじめ、ダビディアンは次第にマスコミや司法当局にマークされるようになる。一方でコレシュは、最終戦争の際、ダビディアンはバビロニア人達の軍隊に攻撃されるだろうという、予言とも妄想ともつかない警告を信者達に繰り返し吹き込んでいった。

 緊張は徐々に高まり、ついに1993年2月28日、武器の不法所持の容疑で、ATF(アルコール・タバコ・火器局)が強制捜査に乗り出す。武装した捜査員100名がダビディアンへの突入を試みたが、実はこの時、事前に情報が漏れていたため奇襲にならなかった。なんと、『決定的瞬間』をとらえようと、TV局がカメラを持って待ちかまえているような有様だった。ついに『バビロニア人の軍隊』が、連邦捜査官に姿を変えて攻め込んできたと思いこんだダビディアンの信者達は、激しく応戦。この最初の突入で、ATFの捜査官4名が死亡、ダビディアン側にも6名の死者が出た。
 この時、屋根に上って突入の機会をうかがっていたATFの武装捜査員が、屋根越しに多数の銃弾を受けてのたうち回る様がTVで放映され、全米に衝撃を与えた。

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