当然のごとく、司法当局は失敗の責任を追及・検証された。FBIはそれまでの交渉経過から、コレシュの不遜な態度は『こけおどし』で、強行策に出ても最悪の事態(集団自殺)を選択する度胸はない、またインタビューなどで再三投降をほのめかしながら結局反古にしていることから、降伏の可能性もないと判断していた。

 しかし、実はFBIの行動科学課の分析官の一人は、コレシュの独善的で激高しやすい性格から、強行策は裏目に出る可能性が高く、交渉を重ねて妥協を引き出すべきと進言していた。また、コレシュが4月14日付でFBIに出した『刑務所での布教を認めてもらえれば降伏する』との手紙が、司法長官に提出されなかった(事故か故意かは不明)ことも、後に明らかとなった。
 結局、責を問われてFBI長官セッションズは辞任。司法長官リノも辞表を提出したが、クリントン大統領は「罪を最も負うべきは教祖コレシュだ」としてこれを却下した。そして人々は、狂信的なカルト集団、重武装の立て籠もり事件への対応の難しさを、改めて思い知らされることとなった。

 この事件がアメリカに与えた衝撃は大きく、映画『沈黙の陰謀』など、メディア作品にもしばしば現場となった『ウェイコ』の名が登場する。
 しかし、悲劇はこれで終わらなかった。
 事件後、アメリカ国内の保守的・右翼的勢力を中心に、この事件を『信仰・武装(自衛)の権利に対する、連邦政府の不当な弾圧』ととらえる空気が広がっていったのである。そして、増幅した連邦政府への憎悪は、事件からちょうど2年後の1995年4月19日、死者168名、負傷者500名以上という大惨事『オクラホマ連邦政府ビル爆破事件(オクラホマ・ボマー事件)』として噴出することとなる(奇しくも4月19日とは、アメリカ独立戦争の開戦日でもある)。
 そして、ブランチ・ダビディアンは現在もなお存続し、活動を続けている。