岩手県・陸前高田市にも襲ってきた津波。当時9歳だった一人の野球少年も
この町で被災し、大切な家族を亡くしました。 あれから12年。佐々木朗希投手は
、きょう、日の丸を胸に試合にのぞみます。

これまで多くを語ってこなかった佐々木投手の12年をそばで見続けた地元の
友人が語ってくれました。

Q:この海岸に来たのは久しぶり?
佐々木朗希:「久しぶりですね、震災前以来ですね。キレイな砂浜ですよね」

2001年岩手県・陸前高田市で生まれた佐々木朗希投手。
兄の影響で小学3年生の時に始めた野球に熱中する少年でした。しかし…

佐々木朗希投手:
「いつ当たり前の日常がなくなるかわからない、それはすごく怖いと思ったので」
地元、陸前高田を襲った津波。父・功太さんと、祖父母がその犠牲となりました。

■「震災に関しての弱い部分は朗希、見せなくて…」同級生が語る素顔
千葉宗幸さん:「今思うと野球をやっていてすごく助けられたなと思っていて」
「震災のことを忘れるために野球をやっていたわけじゃないですけど、知らず知らずの
うちに大切な仲間が出来ていて震災のことじゃなくて、野球に集中して… 
考えないようになっていたかも、しれないですね」

佐々木朗希投手:「苦しい事だったりつらいこともたくさんありましたけどこの仲間と
だったから、乗り越えることができたことがたくさんあったと思うので、大船渡高校を
選んで良かったなと思います」

千葉宗幸さん:
「ぼそっと一回だけ震災に絡んだ話をされたことがあってもしプロ野球選手になれたら
引退とかした後は『地元に貢献したい』みたいな話をしていたのは覚えていますね」

「みんな震災でグラウンドが使えないというのが多かったんですけど、その時に
道具を支援していただいたりとか、なんとかみんなで野球できたので、そういうのを
見てきたので支援とかそういう関わり方というのをしてみたいと思っているのかもしれないですね」
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