さよなら、陰謀論者になったお母さん 目を覚ましてほしいと願うだけ
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 新型コロナウイルスが流行するまで、母親はとても優しくて、いつも家族のことを一番に考えていた。離れて暮らしていても、2、3日に1回はLINEでやりとりをして、週に1回は電話もして。

 あの頃の母親はもう、いない。自分なりにがんばって、なんとか「こちらの世界」に戻ってきてほしいと手を尽くした。

 でも、もう手遅れだと、なかば諦めている自分がいる。

【変わっていく視聴動画の内容】

 東京都内に住む30代後半の男性は、化学系企業に勤める。

 2人の子を育てた母親を尊敬していた。「どれだけ大変だったか、感謝してもしきれない」。2014年の結婚式で母親への思いを読み上げた際には、こみ上げてくるものを抑えられなかった。

 遠くに暮らす母親とは、年に1回は顔を合わせていた。いまは60代後半。「どこにでもいるようなふつうの母親と、どこにでもいるようなふつうの息子」。少し年の離れた兄も含めて、家族の仲は極めて良かった。

 コロナが世界を襲った20年春。「東京にマスクを送ろうか?」。心配性の母親は、そんな言葉をかけてくれた。母親は自分では郵便物を1日放置してから取り、スーパーに行っても、買ってきたものは車庫で一晩寝かせてから自宅へ入れていた。「コロナに対して恐怖心を持っているようだった」と男性は振り返る。

 音楽が好きな母親は以前、テーブルにタブレットを置き、ユーチューブでよくJポップを聴いていた。だが、コロナの流行が深刻化していた20年の初夏には、画面から流れる内容が変わっていったようだった。

「コロナは茶番。おそれる必要はない」

 「世界の裏には、ディーブステート(DS=影の政府)がいる」

 「幼い子どもたちが秘密裏に誘拐されている」

 男性のLINEに1日1回程度、そんな内容の文章や動画のリンクが送られてくるようになった。

 こうした主張には根拠がない。だが、英語圏発の陰謀論集団「Qアノン」の信奉者たちは強く信じ、拡散させてきた。「トランプ前米大統領こそが世界を導く救世主だ」といった言説も展開され、そうしたQアノンの主張は、日本語話者の間にも一定程度広まった。男性も母親から、正当な根拠なしにバイデン米大統領をけなす内容のLINEを受け取った。

【「誰が陰謀論者だ」 怒鳴った母親】

21年1月、米連邦議会議事堂が襲撃され、その2週間後にバイデン氏が大統領に就任した。母親の思想はどんどん偏っていく。男性が看過できなかったのは、中国人に対して差別的な内容を書き連ねた文章だった。

 「バイデンは中国と結託している」。そんな敵意むき出しの文章とともに、「ぜひ見てほしい」と関連の動画を送りつけてきた。男性は父親に連絡を取り、「あまりにもハマりすぎている。気をつけないと。まるで陰謀論者じゃないか」と注意を促した。

 だが、その会話の内容を伝え聞いた母親は、陰謀論から離れるどころか、男性に電話口で激怒した。

 「誰が陰謀論者だよ! ふざけんじゃねえ! ばかやろう! これだけ世の中に情報があふれているのに、私の頭の中がお花畑とか、そんなことを言うやつがバカなんだよ!」

 あまりにも激しい罵倒だった。自分の知っている母親はいなくなってしまったかな……。そう思わずにはいられなかった。

 「三十数年間の母親像が崩れていった。いや、このダークサイドの母親こそが本当の姿なのではと、そこまで考えた」

 一方、母親がいつか、何かのきっかけでコロナ前の優しい姿を取り戻してくれるのではないかという期待も持っていた。そこで男性は、陰謀論について調べ始めた。

 学術書を読んだ。ネットでも広く情報を集めた。同じように親族が陰謀論にハマってしまった人とオンラインで連絡を取り合った。「陰謀論を信じてしまう人は『悪い人』というわけではない。信じている情報が誤っているだけだ」。そんなことを学んだ。

 21年末、家族の仲介によって、東京に来る母親と2年ぶりに対面で会うことになった。空港に迎えにいく。マスクをした母親が出てくる。「少ししわが深くなったかな」。そう思いながらも、直接顔を合わせれば「やっぱり、家族だよな」とかみしめた。