原作杜子春「クソォ!家族愛のせいで仙人になれなかった!畜生…」ジャップ版杜子春「仙人になるより大事な事に気付けて良かった」 [296617208]
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崇高な目的より家族が優先って日本の駄目なとこだな
釈迦だって修行のために妻子を捨てたのに 杜子春って聞くといつも虎になって去っていく話が頭に浮かんでしまうわ お前の足を折るぞ、いいか?
お前の腕をもぐぞ、いいか?
お前の耳を削ぐぞ、いいか?
お前の目を抉るぞ、いいか?
最後にお前の心を奪うぞ、いいか?
こんな瞑想できるわけねぇだろ!! 仙人の奉公人のおっさんは仙人になれたのに両者の違いはどこにあるんだよ >>42
ひょっとしてケンモメンも仙人になれるのか? 平安時代の高名な貴族も
家族を捨てるのを躊躇したせいで仙人になれなかった話がある
誰だったか忘れたけどこの話じたいは有名 >>43
無理でしょ
どう見ても執着まみれじゃん
手に入らないから要らないふりしてるだけで
目の前にチラつかされたら飛びつくやつばっかだよ 芥川がまともだっただけ
結局世のジャップに絶望して自殺しちゃうし
一條次郎版の杜子春は頭イッてて面白い 杜子春は子供向けだし… 地獄変とか河童とか羅生門みたいな作品もあるよねw 叫ぶと同時に杜子春は現実に戻される。洛陽の門の下、春の日暮れ、すべては仙人が見せていた幻だった。これからは人間らしい暮らしをすると言う杜子春に、仙人は泰山の麓にある一軒の家と畑を与えて去っていった。 「仙人」になどなる必要がない
自分の世俗的執着そのままで全てを解決出来るっていう
そういう大乗仏教的な視点でもあるとか これは芥川の才能・センスの方が優れてると思うで
後の世の人間の生き方にも伝わる話になってるのは芥川の方だ 釈迦の成道も、
世間への肉体への執着全部を断つ苦行派を否定することでのものって面がある
世間や肉体、欲望の否定に執着するダイバダッタとの対立もあったって伝わってるね 唐代と大正なら後者の方がら現代人の感覚に近いだろそりゃ > 原拠とされる『杜子春』では、杜子春は地獄に落ちた後、女に生まれ変わって誕生するが、やはり全く物を言わず、結婚して子を産んでも喜びの声一つ発しなかったため、怒った夫が赤ん坊を叩き殺し、そこで妻(杜子春)が悲鳴を上げたところで現実に戻り、仙人は声を出さなかったら仙薬ができ仙人になれたのに、と言って突き放す。これは、すべてのものに対する執着を捨ててこそ昇仙出来るという道教の思想に根差している
まず原作は女に生まれ変わる時点で何か意味不明 でも芥川自身は子供を作っておきながら
反出生主義に目覚めて自殺しちゃうんだよね
河童とか読めばわかるよ >>63
なるほど
男が怪しい薬を飲まされて女の子になっちゃったみたいな話か 正しく生きることを書いても書いた人が正しく生きられるかは分からんのです
人生とはそれくらい難しいものなのです
だがそれでも正しく生きることを書く意義があるのです お釈迦様も、ボロボロになった身体をスジャータの乳粥で癒して休めて苦行を止めて成道したってことがあるのね
乳粥は動物性の贅沢品で、苦行派の仲間たちから「堕落した」とひどく侮蔑されたとか >>61
自分の子供の死体使って薬作れって話だろ?
子の立場から親への愛を捨て、親の立場から子への愛を捨てろということ
なんだろうから別に筋は通ってると思うが >>63
メスイキで声出しちゃいけないのか
なかなか苦行だな 走れメロスを書いた太宰治も実生活では
作家仲間の檀一雄としこたま飲んでたら代金が払えなくなって
金を取りに帰るって言って檀を人質に置いていって
そのまま戻ってこなかったって話も残ってるし
まあ作家本人と作品は別物よね >>66
もしかして、スジャータってそのスジャータなの? >>73
「スジャータ♪スジャータ♪」ってcmで歌うやつかね
商品名の由来は、仏典に登場する釈迦牟尼に乳粥を差し上げた少女の名「スジャーター」からである。
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Wikipediaにコーヒーミルクのスジャータの説明にこう書かれてるね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています