【神道】ネトウヨが台湾に持ち込んだ天照大神、無事追放される [237216734]
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桃園神社に迎えた日本の神の分霊 批判噴出で奉遷、再び日本へ/台湾 https://japan.focustaiwan.tw/society/202303140001 (桃園中央社)日本統治時代に桃園神社として建立され、戦後には国のために殉職した霊が祭られた北部・桃園市の「桃園市忠烈祠・神社文化園区」に昨年、日本の神社から天照大神などの分霊3体が勧請(かんじょう)されたことを巡り、批判が噴出している。桃園市政府や施設運営者は13日、分霊を神社の外に奉遷させたと明らかにした。 桃園神社は1938年に完成。台湾に現存する日本時代の神社としては最も完全な形で残っている。50年には「桃園県忠烈祠」に改称され、抗日戦争や革命で戦死した英霊が祭られた。現在は文化園区として外部に運営を委託し、活性化を図っている。 運営を請け負う民間業者は昨年9月、日本の神社の文化を台湾に持ち込もうと、北海道釧路市の鳥取神社と提携し、大国主大神、天照大神、豊受大神の3体の分霊を勧請。だがこれに対し、抗日戦争の戦没者が祭られる忠烈祠に日本の神を迎え入れるのは不適切だとして市民や学者などから批判の声が上がった。 業者によれば、園区内は忠烈祠の区域と神社文化園区の区域に明確に分かれており、運営を担当しているのは神社文化園区の区域だと説明。昨年9月に日本の神社の文化を持ち込んで以降、休日の来園者数は5000人にまで増加したと明かし、取り組みの成果をアピールした。 >>297 いやそういうことじゃなくて 別に中華の国体を護るために 日本軍が義軍として、清王朝を護ってたんじゃなくて たんに、日本国の帝国主義のために、清王朝の皇帝を傀儡にしてただけだろ そういう意味だよ >>298 下心無しでボディーガードなんかやるわけ無いだろw んでその薄汚い用心棒をソ連と組んでやっつけたのが国民党軍=今の台湾漢民族。 仲がいい訳がない。 ただその後に中国共産党軍と内戦になって1949年にほぼ負けが確定したタイミングで 台湾に籠城。その状態が現代までなぁなぁできたのが台湾政府。 三国志としてはまだ続いてるわけで敵の敵は味方理論で親日っぽく見えるだけ。 特に前世紀の中国共産党がキチガイすぎたせいで距離が縮まった。 >>300 その中国って汪兆銘政権だろ 今の中国でも台湾でも偽政権扱い しかも要人はほぼ死刑か無期懲役 >>301 日本は満州でも一般国民に歓迎されていたから僅か1万400人の関東軍で満州を占領出来たんだぞ。 張学良の東北軍は近代兵器を持つ25万を超える軍隊だったのに対してな。 それは47でも同じで国民党軍が47国民を略奪や虐殺やりたい放題だったから、 その真逆で行儀よく紳士的な日本軍は歓迎されていた。 これを見れば満州人が日本を歓迎したのは当然だわな 満州国国都・新京《前編》/ The capital of Manchukuo 1 of 2 https://www.youtube.com/watch?v=7LAAM2JSnr4 >>301 そもそも日本人のメンタリティを考えたら日本軍が一般人を虐殺するなんか考えられんだろ? 国民党と共産党軍が日本人遺留地の日本人を大虐殺した北支事変や通州事件を日本の仕業にしたのが南京大虐殺だし。 >>301 47人の虐殺好きは有名だし47の歴史は常に虐殺の歴史だ。 石平の「中国大虐殺史ー中国人はなぜ人殺しが好きなのか」なんか読んでも余りにも残忍だわ。 日本の国内の歴史で虐殺事件が存在しないことでもわかるように、 南京大虐殺や朝鮮人大虐殺なんて日本の敵によるプロパガンダであることは明らかだし。 国民党と共産党軍が日本人遺留地の日本人を大虐殺した北支事変や通州事件を日本の仕業にしたのが南京大虐殺。 47人の虐殺好きは有名だし47の歴史は常に虐殺の歴史。 石平の「中国大虐殺史ー中国人はなぜ人殺しが好きなのか」なんか読んでも余りにも残忍すぎる。 そもそも日本人のメンタリティを考えたら日本軍が一般人を虐殺するなんか考えらないし、 実際に日本の国内の歴史で虐殺事件は存在しないのだ。 そう考えても南京大虐殺や朝鮮人大虐殺なんて日本の敵によるプロパガンダであることは明らかだし。 イザベラ・バードの朝鮮紀行にも書かれてあるとおりに日本兵、日本人、朝鮮人、清国人の特徴が分かりやすく書かれています。 (P404) 平壌は猛襲を受けたわけではない。市内では実際の戦闘はなく、敗退した清国軍も占領した日本軍も朝鮮を友邦として扱っていた。 この荒廃のすべてをもたらしたのは、敵ではなく、朝鮮を独立させ改革しようと戦った人々なのである。 「倭人は朝鮮人を殺さない」ことが徐々に知られるようになり、多くの住民は戻ってきていた。 以下略 そのあとの占領中、日本軍は身を慎み、市内および近郊で得られる物資に対してはすべて順当な代金が支払われた。 日本兵を激しく嫌ってはいても、人々は平穏と秩序が守られていることを認めざるをえず、また、日本軍が引き上げれば、訓練隊がのさばることもよくわかっていた。 訓練隊は日本人から教練と武器を受けた朝鮮人の連隊で、すでに人々に暴力をふるったり物を盗んだりしはじめており、行政当局に公然と反抗していた。 わたしが二度目に訪れた時、目抜き通りはあちこちで建物の解体と建築が行われ、大わらわの様相を呈していた。 (P441) 郡庁所在地の慈山でわたしたちは徳川へ北上したときの分岐点にもどった。 以下略 町の人々からは、清国兵は情け容赦なくものを盗む、ほしいものは金も払わずに奪い、女性に乱暴を働くという悲痛な被害の話を聞いた。 前に私達は慈山の隣村ウチンガンの渡し場で大同江を渡ったが、この村は朝鮮人が恐怖に駆られて逃げ出してしまい、 53人の清国人が占拠して重要な駐屯地となっていた。 日本の偵察兵ふたりが対岸にあらわれて発泡すると、清国軍派遣隊はばらばらに逃げ出したものである! 慈山でも他と同様、人々は日本人に対してひとり残らず殺してしまいたいというほど激しい反感を示していたが、やはりほかのどこでもそうであるように、 日本兵の品行のよさと兵站部に物資をおさめればきちんと支払いがあることについてはしぶしぶながらも認めていた。 >>304 全然考えられるけど? 今でも普通に入管でナチスみたいなことやってるし ネトウヨもレイシズム全開じゃん 「戦地だから」「便意兵だから」て言い訳してやりたいほうだいだろ オマケにヒロポンまで打ってるわけで >>304 お前も中国人や韓国人への憎悪を止めようと思っても全然止められないだろ? その暴走する残忍さが典型的な日本人のメンタリティなんだよ >>309 >>310 47人共謀すぎる。他者を尊重し和の精神を持つ日本人とは真逆のメンタリティだ。 北支事変や通州事件など日本人遺留地の日本人を大虐殺して、 それを日本兵の仕業にして南京大虐殺をデッチあげた47と米英国際金融資本利権共同体一味 https://twitter.com/worldmongolian/status/1635238017731555329 世界モンゴル人連盟 @worldmongolian 昨年5月、オーストラリアの方達中国の人権弾圧事実を言って抗議したら オーストラリア在住の中国人に攻撃された。 https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 国際金融資本の邪魔者である大東亜戦争の日本と現在のプーチンを敵視する国際金融資本利権共同体の日本のマスゴミ(テロ朝)の反プーチンプロパガンダのこの動画。 プーチンと当時のソ連の悪事を結び付けるために、日ソ中立条約を一方的に破棄してソ連が満州と北方領土に侵攻したことをアピール。 日本のマスゴミは大東亜戦争の日本は侵略戦争をしたという立場だが、この動画は当時の日本が満州で ソ連の南進を阻止するための自衛行為だったことを自ら裏付けることになっているのだw このように嘘デタラメのプロパガンダは必然的に矛盾するが真実は絶対に矛盾しない。 真実を検証しロジックを辿れば必ず嘘デタラメの矛盾が露呈するわけですw 「ソ連のやり方同じだな」今、考える77年前の“北海道占領計画”の真実(2022年8月9日) https://www.youtube.com/watch?v=VZ7kk-bXqj0 【告白】終戦前日の大虐殺…旧満州でソ連軍が日本人避難民1000人を殺害 「ウクライナは77年前の自分達だった」 絶望した母は2歳娘に「ごめんね。 お母さんもすぐに行くからね」【シリーズ終戦特集⑧】 https://www.youtube.com/watch?v=utOYDaECpxI >>309 >>310 性善説で物事を判断し、お互い様の和の精神をもち正直者でお人好しの日本人(特に戦前の日本人)とは対照的に、 中国人が息を吐くように嘘を吐き狂暴で残忍なのは誰もが認める事実だ。 人は自分が感じることを他人も同じように感じるだろうと考える。 日本人が性善説で物事を判断するのもそれが大きな理由だ。 47国民党や共産軍は日中戦争でも北支事変や通州事件など日本人遺留地の日本人を大虐殺し、 それを日本軍に転嫁し南京大虐殺などの嘘デタラメのプロパガンダに利用したと考えれば辻褄が合うのだ。 狂暴な47人。日本人では考えられないね、全共闘時代の反日左翼の活動家を除きw https://twitter.com/YK0zbBzV9fS7wi4/status/1628910142820593664 https://twitter.com/syouyutosyouga/status/1527260767153639425 中国ではウソは“最大の文化” だまされる者こそがバカ 石平さん「中国五千年の虚言史」 https://www.zakzak.co.jp/lif/news/181028/lif1810280001-n1.html 中国五千年の虚言史 なぜ中国人は嘘をつかずにいられないのか 石平 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-08-EK-0959945 「中国人は信用できない」…暴力団員が語る“タタキ”と“闇バイト”の実状。 かつては殺人の実行犯まで請け負っていた中国人に代わって、日本人が重用されるようになった理由 https://news.yahoo.co.jp/articles/be738f0fe49f2d222c6bada33372b8dfd6c56520 https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 中国大虐殺史―なぜ中国人は人殺しが好きなのか 石 平(著) https://www.yodobashi.com/product/100000009001525513/ 天安門の虐殺を含め、共産党政権が歴史上、どれほどの大虐殺を行なってきたか、 共産党による虐殺の歴史を中心に、秦の始皇帝以来の「中国大虐殺史」を綿密に調べてまとめたものである。 今まで無視されてきた歴史の闇に光を当てる、「虐殺」に的を絞った、もう一つの中国史演義。 目次(「BOOK」データベースより) 第1章 大量殺人から身を起こした中国共産党(革命とは「破落戸たちとの共謀殺人」である 「一村一焼一殺」の恐ろしい実態 ほか) 第2章 自国民への大屠殺を楽しむ共産党政府(200万人の命を奪った「土地改革運動」 71万人を即時処刑した「鎮反」という名の大虐殺 ほか) 第3章 「殺人者の楽園」を作り出した文革時代(毛沢東最後の「地痞流氓革命」 「迫害致死」という全国規模の大量殺戮 ほか) 第4章 中華帝国史を飾った殺戮の残酷物語(「三種の殺戮」をやり遂げた秦帝国の暴虐 陰謀と殺し合いで綴られる漢帝国400年史 ほか) 第5章 中国史上の戦慄すべき無差別大屠殺(100万人殺しから始まった「四川大屠殺」 人口の絶滅をもたらした張献忠軍の「殺人競争」 ほか) 私は人類の敵である国際金融資本利権共同体一味を叩き潰すために47人や反日左翼とも協力したい。 ところが戦勝国とそれを支配する国際国際金融資本による嘘デタラメの「戦前の日本悪玉論」のプロパガンダを 喚き散らし国際国際金融資本に加担する47人と反日左翼がいたので徹底的に反論しました >>310 日本人のは憎悪じゃなくて遺伝子的な拒絶。 日本人女がよく言う生理的に無理ってやつな。 ■戦争を仕掛けた中国になぜ謝らなければならないのだ!日中戦争は中国が起こした ■(著)茂木弘道「史実を世界に発信する会」 反日親中の論調のニューヨーク・タイムズですら1937年8月31日号で次のように書いている 「上海の先頭に関する限り、証拠が示している事実は一つしかない。 日本軍は上海での戦闘を繰り返すことを望んではおらず…事態の悪化を防ぐために出来る限りのことをした。 だが日本軍は中国軍によって文字通り衝突へと無理やり追い込まれてしまったのである」 P32 ◇戦争を仕掛けたのは紛れもなく中国であった◇ ニューヨーク・タイムズの記事にある通り、戦争を一方的に仕掛けたのは明らかに中国側でした。 上海の共同租界(外国人居留地)には日本人が3万人余り居住し、製造業、商業などに携わっていました。 海軍陸戦隊2200が租界の居留民保護にあたっていました。 中国軍が停戦協定(1932年5月5日、第一次上海事件後に日本と中国の間で締結)を破って、 租界の外側の非武装地帯に大量に潜入してきたことが察知されたので、急遽約2千の増援部隊を集めました。 上記記事の中で「増援部隊を上陸後数日の間、兵営の中から一歩も外に出さなかった」とあるのは、この約2千の陸戦隊のことをさしています。 8月9日、中国軍は自動車で巡察中の日本海軍陸戦隊の大山勇夫中尉と斎藤嶼蔵一等水兵を惨殺しました。 中国側は、攻撃されたので反撃したとして自軍の保安隊員の死体を持ち出してきて強弁しましたが、弾痕から、中国側のものであることが明らかになりました。 このことは上海にいた諸外国の記者も確認しています。 有名な図書『マオ』によれば、潜入共産党員であった張治中南京上海防衛隊司令が、 蒋介石に日本軍攻撃を決断させるために、仕組んだ事件であると書かれています。 租界を包囲する中国正規軍はドイツ軍事顧問団の訓練を受けた精鋭部隊88師を主体に3万を超えていましたが、 13日から攻撃を始め、14日には航空機を含む一斉攻撃をかけてきました。 この攻撃がどのように本格戦争へと発展していったのかについて改めて後述します。 いずれにしても、戦争を仕掛けてきたのは、明らかに中国側であり、日本は望まない戦争に引きずり込まれたというのが歴然たる史実です。 条約に基づき駐屯している軍、および民間人に対して正規軍で一斉攻撃をかける、ということは国際法的にいえば、 それが自国内のことであっても『侵略行為』です。 従って、中国領土内で起こったとしても日中戦争は中国の侵略戦争にほかならないのです。 (例えば日本の在日米軍に対して日本政府が支持し自衛隊が在日米軍を攻撃し戦争をすれば日本の侵略戦争になります) ◇盧溝橋事件も中国が仕掛けた◇ ニューヨーク・タイムスの記事では「7月初めに北京近郊で始まった紛争の責任が誰にあるのか、 ということに関しては意見が分かれるかもしれない」と書かれています。 きっかけとなった盧溝橋での衝突事件のことですが、当時は事実が未だ十分に伝わっていなかったためにこのように書かれていますが、 実はこれも明らかに中国側がしかけた紛争なのです。 そのことは発砲事件の4日後の7月11日に中国第29軍副軍長・秦徳純と日本軍北京特務機関・長松井久太郎との間で締結された現地停戦協定に明確に書かれています。 3項目からなる停戦協定は次の通りです。 1、第29軍代表は日本軍に遺憾の意を表し、かつ責任者を処分し、将来責任をもってかくの如き事件の惹起を防止することを声明す。 2、中国軍は豊台駐屯地日本軍と接近し過ぎ、事件を惹起し易きをもって、盧溝橋付近永定河日が志岸には軍を駐屯せしめず、保安隊をもってその治安を維持す。 3、本事件は、所謂藍衣社、共産党その他抗日各種団体の指導に胚胎すること多きに鑑み、将来これが対策をなし、かつ取り締まりを徹底す。 盧溝橋の一発はどっちが撃ったのかなどということが未だに言われていますが、 当時新聞にも出ていたこの停戦協定を見れば歴然としています。 協定ですから、一方だけの言い分ではありません。 合意したものです。 中国側に責任があると明記されています。 この協定を日本の圧力で結ばせた、などという論は現実を無視した暴論です。 29軍は宋哲元率いる北支を支配する約15万の軍です。 対する日本の支那駐屯軍は、5千6百と極少数でした。 圧倒的な力にものを言わせて理不尽な停戦協定を押し付けることなどとてもできません。 その後、中国側はこれはなかったと強弁しますが、協定文書が厳然と存在しています。 協定第三項目については、この具体化、すなわち細目協定つくりの作業がその後進められ、 7月19日には細目協定が成立しています。 協定破りの行為がたびたび発生した中で、ここまで具体化の作業が行われた、というのが事実であり、協定の存在は否定のしようがありません。 即ち、日本軍が仕掛けたのではなく、責任は全面的に中国側にあったのです。 ◇中国の攻撃には必然性があった◇ そもそも日本が攻撃を行う理由は全くありませんでした。 たった5千6百の駐屯軍が15万の二九軍に攻撃をかけるなどということが馬鹿げたことをするわけがありません。 さらに言えば、日本軍の国内、満州、朝鮮、中国に駐屯する全戦力がどのくらいだったかというと、およそ25万でした。 これに対して中国は約210万です。 内50万はドイツ軍事顧問団の指導で装備・訓練とも近代化を進めていました。 さらに日本の最大の仮想敵国は当時ソ連でしたが、ソ連は160万の大戦力を有し、内およそ40万が極東に配備されていました。 このような状況の下で、日本が北支で戦端を開くなどという愚かなことを行うはずもないし、そのような理由も計画も皆無でした。 しかし、当時の中国では日本に対する主戦論が圧倒的に優勢で、農民を除く都市の住民は日本との戦争を熱望し、 なんと勝利を確信していたのです。 弱い中国に日本が侵入していって戦争が拡大したというイメージはとんでもない見当外れです。 当時の中国で発行されていた新聞各紙を見ればその様子は一目瞭然です。 『日中戦争:戦争を望んだ中国、望まなかった日本』(35ページ、注30参照)が、この状況を詳述しています。 当時の主戦派には、大別して3つのグループがありました。 一つは過激な知識人・学生・都市市民です。 2つ目は中国共産党であり、3つ目は地方軍閥です。 共産党と軍閥は知識人などに主導された過激な世論を味方として、蒋介石政権に対する立場を有利にしようという狙いもあり、 主戦論を唱えていました。 特に共産党は抗日を最大の政治的な武器として使っていました。 1931年11月に江西省の瑞金に成立した中華ソビエト共和国は翌1932年4月26日、中央政府の名により日本に対して「宣戦布告」を発しているのです。 (9月18日には念入りにも「正式に」と称する宣戦布告通電を発しています) さらに1935年8月のコミンテルンの「反ファッション人民統一戦線」司令に従い抗日救国宣言を発しました。 そして、1936年12月に西安事件が起こりました。 共産党討伐戦の督戦に出かけた蒋介石が、共産党の工作を受けた東北軍司令張学良によって拘束され、共産党との共同抗日闘争実行を迫られた事件が起きました。 国民党の共産党対決路線が転換し、抗日ムードは一層高まってきたのです。 ◇そして盧溝橋事件が起こった◇ 日支闘争計画 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%94%AF%E9%97%98%E4%BA%89%E8%A8%88%E7%94%BB 日支闘争計画(にっしとうそうけいかく)とは、日本と支那(中華民国)を争わせ、世界戦争を誘発して日本を包囲殲滅する計画と言われるもの。 コミンテルン(国際共産党、第三インターナショナル)によって考案され、コミンテルンに指導された勢力ー中国共産党、 日本軍部の統制派、太平洋問題調査会(IPR)などによって実行されたとする見解もある。 ◇概要 1918年(大正7年)9月、モスクワにおいてボリシェビキの会議が開かれ、日支闘争計画案が決議された。 その内容は、直ちに日本と中国との内部破壊を図るとともに、中国に反日運動を起こさせ、 それを日支の武力闘争にまで発展させ、それに対してソ連と特にアメリカとを干渉させる戦争にまで発展させて日本を倒し、 それとともに欧州に社会革命を起こさせる第二次の世界大戦を計画するというものであった。 「この計画案通りに、大日本帝国は日中戦争、太平洋戦争へと導かれ、滅亡した」と、この説は渡部梯治によって紹介された。 ◇日支闘争計画の実行機関、太平洋問題調査会(IPR) IPRは1925年(大正14年)に設立されたロックフェラー主催の民間機関である。 日本代表は新渡戸稲造・松岡洋右・鶴見祐輔らであり、幹事長は斉藤惣一(日本YMCA同盟総主事)であった。 第3回会議は1929年(昭和4年)10月、京都で開催され、アーノルド・J・トインビーやジョン・ロックフェラー三世らが出席した。 米国代表はオーエン・ラティモアであった。日本からは西園寺公一らが参画した。 1936年(昭和11年)7月、カリフォルニアのヨセミテで太平洋問題調査会の第6回大会には牛場友彦、尾崎秀実らも参画した。 リヒャルト・ゾルゲ、原田熊雄らもこのラインにつながっていた ◇レーニンの敗戦革命論 敗戦革命論とは、軍を取り込むか無力化させて革命勢力に対抗する力を削ぐという理論。 パリコミューンおよび帝政の倒れたロシア革命やドイツ革命のように、 戦争や内乱・騒擾などによる自国の混乱や弱体化に乗じて革命で政権を掌握させることを目指すものである。 これには政策の妨害も含まれる。 1920年(大正9年)レーニンはモスクワ共産党細胞書記長会議で次のように述べた 全世界における社会主義の終局的勝利に至るまでの間、長期間にわたってわれわれの基本的原則となるべき規則がある。 その規則とは、資本主義国家間の矛盾対立を利用して、これらの諸国を互にかみ合すことである。 われわれが全世界を征服せず、かつ資本主義諸国よりも劣勢である間は、帝国主義国家間の矛盾対立を巧妙に利用するという規則を厳守しなければならぬ。 現在われわれは敵国に包囲されている。 もし敵国を打倒することができないとすれば、敵国が相互にかみ合うよう自分の力を巧妙に配置しなければならない。 そして、われわれが資本主義諸国を打倒し得る程強固となり次第、直ちにその襟首をつかまなければならない ◇コミンテルン1928年テーゼ 協定第三項目については、この具体化、すなわち細目協定つくりの作業がその後進められ、 7月19日には細目協定が成立しています。 協定破りの行為がたびたび発生した中で、ここまで具体化の作業が行われた、というのが事実であり、協定の存在は否定のしようがありません。 即ち、日本軍が仕掛けたのではなく、責任は全面的に中国側にあったのです。 ◇中国の攻撃には必然性があった◇ そもそも日本が攻撃を行う理由は全くありませんでした。 たった5千6百の駐屯軍が15万の二九軍に攻撃をかけるなどということが馬鹿げたことをするわけがありません。 さらに言えば、日本軍の国内、満州、朝鮮、中国に駐屯する全戦力がどのくらいだったかというと、およそ25万でした。 これに対して中国は約210万です。 内50万はドイツ軍事顧問団の指導で装備・訓練とも近代化を進めていました。 さらに日本の最大の仮想敵国は当時ソ連でしたが、ソ連は160万の大戦力を有し、内およそ40万が極東に配備されていました。 このような状況の下で、日本が北支で戦端を開くなどという愚かなことを行うはずもないし、そのような理由も計画も皆無でした。 しかし、当時の中国では日本に対する主戦論が圧倒的に優勢で、農民を除く都市の住民は日本との戦争を熱望し、 なんと勝利を確信していたのです。 弱い中国に日本が侵入していって戦争が拡大したというイメージはとんでもない見当外れです。 ◇コミンテルン指令1931年◇ 満州事変(柳条湖事件)の勃発した1931年(昭和6年)、コミンテルンは日本及び中国の共産党に対し、次の指示を出した。 日本と中国の対立を利用して、中国大陸への日本の進出を軍事的に失敗させ、それによって日本の革命を進めるとともに、中国内部をも改革する。 来たるべき第二次世界大戦には間があるから、その間に共産革命の組織拡大を図ること。 それにはまず全中国人民の抗日感情を煽り立てることが必要であり、それによって国民党と日本との妥協を不可能にする。 国府軍と日本軍との衝突が避けられないものとなれば、次は戦線を華北から華南方面郎にまで発展させる。 それだけで日本軍のソ連包囲態勢に楔がはいり、同時に中国共産党のためには、革命への客観的条件が準備されることになる。 故に国府軍と日本軍との衝突の隙に乗じて、中共の発展を策すよう諸般の行動に移るべし。 ◇コミンテルン指令1937年◇ 1939年10月興亜院政務部(担当者は嘱託原口健三)が作成した、「盧溝橋事件に関するコミンテルンの指令」 「コミンテルン並に蘇聯邦の対支政策に関する基本資料」(極秘)という資料が残っている。コミンテルンの指令の要旨は、 1、あくまで局地解決を避け、日支全面衝突に導くこと(日中戦争および支那事変も参照)。 2、あらゆる手段を利用し、局地解決や日本への譲歩によって支那の解放運動を裏切る要人は抹殺すること(東亜新秩序#前史も参照)。 3、下層民衆を煽動して、国民政府を対日戦争開始に追い詰めること(人民戦線、策動、工作、排日・侮日も参照)。 4、対日ボイコットを拡大し、日本を援助する国はボイコットで威嚇すること(欧米の反応、ABCD包囲網、太平洋問題調査会も参照)。 5、紅軍は国民政府軍と協力(第二次国共合作)する一方、パルチザン的行動に出ること(共産軍の山西省攻撃)。 6、共産党は国民政府軍下級幹部、下士官、兵士及び大衆を獲得し(人民戦線戦術)、国民を凌駕する党勢に達すること(コミンテルン#第三期も参照)。 「中共党はこの指令に基づき、周恩来を?と会見させ、国共合作、紅軍改編を申入れたとしている」 ◇尾崎秀実の謀略工作◇ 1938年(昭和13年)コミンテルンのスパイ尾崎秀実とそのグループは、三田村武夫によれば 「日華事変を長期戦に追い込むために?介石との和平交渉を遮断する楔として日本のかいらい政権をつくらせる」目的で、汪兆銘工作を開始した。 尾崎秀実の手記より引用する。 『昭和十三年春には高宗武が秘に渡日し下相談が進められ松本重治等の斡旋に依り近衛内閣も直接工作に携り松本重治の友人である 犬養健、西園寺公一等も直接交渉の常事者として之に参加するに至りました。 私は此の工作には直接参加しなかったのですが犬養、西園寺等と友人関係にあることや 近衛内閣の嘱託であったことから此の間の情況を屡々耳にし又同人等より此の工作に付き意見を求められて居りました。 日支関係は全面的和平の望がなく長期戦の形を取って来るので近衛内閣としては一面?介石に対する未練がありながらも汪兆銘工作に力を注ぐこととなり、(以下略)』 さらに尾崎は対米英戦争長期化を目論んで、「東亜新秩序」建設を主張した。 『私の立場から言へば、日本なり、ドイツなりが簡単に崩れ去って英米の全勝に終るのでは甚だ好しくないのであります。 (大体両陣営の抗戦は長期化するであらうとの見透しでありますが)万一かかる場合になった時に英米の全勝に終らしめないためにも、 日本は社会的体制の転換を以てソ連、支那と結び別の角度から英米に対抗する姿勢を採るべきであると考へました。 此の意味に於て、日本は戦争の始めから、米英に抑圧せられつつある南方諸民族の解放をスローガンとして進むことは大いに意味があると考へたのでありまして、 私は従来とても南方民族の自己解放を「東亜新秩序」創建の絶対要件であるといふことをしきりに主張して居りましたのはかかる含みを寵めてのことであります。 この点は日本の国粋的南進主義者の主張とも殆んど矛盾することなく主張される点であります。』 人類の敵である国際金融資本利権共同体一味が必死過ぎw ロシアへの経済制裁によるエネルギー供給不足が要因の猛烈な悪性インフレで世界中の一般庶民が苦しんでいるんだ。 国際金融資本利権共同体一味いい加減にしろ。 ポーランド、ウクライナにミグ29戦闘機供与へ NATO初 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR16EEI0W3A310C2000000/ 英国防省高官 ウクライナ軍事支援「この1、2か月集中すべき」 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230223/k10013988591000.html バイデンは訳のわからないことを口走り、その後、 聴衆を鼓舞しようとしたが拍手をしたのはたった一人だった:ラスベガスのイベントにて(動画) http://totalnewsjp.com/2023/03/16/biden-1061/ >>91 排除されたのではなくて釧路鳥取神社の祭神を持ってきたあたり観光用としてもある程度気を使ったんだろうな 天照大神が紛れ込んだがあかんかったけど 親日だからこその撤去ウヨーーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 天皇も異国から来た侵略者だしな いずれ排除しなければならないだろ 真の民主主義を達成するために >>333 そうやって一神教ベースで 日本の宗教を語るから統一チョンモメンって 呼ばれるんだよ。 しかも日本の宗教って思いっきりパクリで神とすら呼べないからなw >>335 縄文人が所属したスンダランド人が信奉していた 多神教アニミズムだよ。 仏教なんかが生まれるのはこの5000年後。 >>198 台湾といえば背広着たおっさんが議会で殴り合いしてる国ってイメージだったからなw 近年突然わいてきた台湾厨は日本エアプか?と思ってしまうw ■ 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read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる