歴史を勉強してて日本人のおかしさに気づく瞬間「元寇に一騎打ちを仕掛けて射殺されるシーン」に決まる [726396761]
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「やあやあ我こそは!」戦における名乗りは戦国時代どう変化した?
https://sengoku-his.com/199
頭おかしいよ
アホでしょ 大河の北条時宗でもやってたっけ
やあやあ我こそは~とか言ってたら、鉄はうが直撃して死んじゃうの 日本語が世界共通語とおもってたんやろうな
まじで頭おかしい奴やな こんな人達に負けないと啖呵を切ったら射殺されるシーン >>1
あの時代に鉄砲はなくて、刀や槍で刺すか弓矢で射るかロケット花火兵器てつほうを当てられるかだろ ロケット花火攻撃されて神風吹け吹け発狂するわーくに 中国朝鮮との付き合いは古いのに字を使い出すのが異様に遅い事 次の日からゲリラになってるからその当時は反省できた ペリーが幕府説得してる時に「それは朝廷の許可も得ないと…」と言われた時に
はぁ?日本には政府が2つあるのか?と言われた時 >>19
今もアメリカの許可を得ないとだから... 蒙古兵が現地民を人質にとって肉壁にし、それを鎌倉武士が人質ごと撃ち殺し、逆に蒙古兵は人質が効くんだと理解した鎌倉武士が同じように捕虜を肉壁にする話好き きっと裸に剥かれて互いにおちんちんしゃぶらせて写真撮られてたりしたに違いないわーくにやんきー 名乗らないと誰の手柄か分からないじゃん?ものには理由があるんだよ 一騎打ちで決める方が
人材の消耗少ないから効率的だし
両者の合意ができるなら良いんやけどな >>19
外国っていう存在が相手だろうと身内の論理で通じちゃうって勘違いがこのころから変わってないんだよな
幕府「朝廷の許可を得ないと…」
調停「幕府が決めることです」
これで圧倒的な力を持った外国軍を誤魔化せると思ってる頭の悪さもそうだし、
その程度の頭のやつらがトップにくる体制が地獄、21世紀になっても同じなのも地獄 もう元寇って言わない
倭寇からもってきた水戸国学の言葉だから
いまは蒙古襲来とか言う ゴーストオブツシマやったけどそんなシーン無かったよ 中国とかとも貿易してたし言葉や文化が違うことくらいさすがに分かりそうなものだけど無理なんか >>33
正々堂々というより名乗らないと報酬が貰えないジャップ仕草だから >>1
鎌倉室町の時代を利用して、日本人は野蛮と思わせようとする
これもう戦争だろ >>30
見事に蚊帳の外やけど、アメリカ抜きでは決められない犬だもんな😅 モンゴル軍が船で日本まで来てそこから戦闘するのタフすぎんだろ インディジョーンズで、パァンて撃たれるシーンの元ネタな >>20
民主党は靖国参拝するのに中国の許可得ろとか言ってたよなw やあやあ我こそは!って安倍を襲う想定だったのは???てなったわ >>19
意志決定の是非は置いといて
別に王家と政府機関が分かれてんのは日本に限らないし
蛮族の集まりでしかないアメップの無知では? >>49
安倍晋三も日本は安全なんですと言ってたし ゲームや漫画とかでも散々モンゴルを悪く描いてたよな、日本人w >>52
おまえがわざわざ海渡って先制攻撃してきたんだから悪者だろうがチョン >>48
事実上幕府が支配してるのに追及をかわすために都合よく朝廷を持ち出してくるのにキレただけだと思う >>49
一般には失敗のことでも
自分ルールの中では「中止」と言い張る
日本文化だから あの絵の武者は後から描き足したもので実際はゲリラ戦でしょう
倭人の海賊もそう 蒙古に略奪されるくらいなら
先に俺らで略奪しておこう
これが鎌倉武士 っても西洋騎士の皆さんも同じような経験しとるし
少なくともWW1序盤まではそういうノリが残ってたでしょ 最新の研究で否定されてなかったか?
まあ嫌儲レベルの歴史知識なら別にええか 最近の通説だと武士が強すぎて元軍をボコボコにしたになってる モンゴル兵の手記に日本人の命が軽すぎて怖いって残ってるからな
当時の人権感覚でも異常な自殺攻撃を仕掛けてたのは間違いない 誉れを捨てた伝説の武者冥人が対馬で蒙古を皆殺しにしたんだろ? 元寇なら
・使者を問答無用でブッ殺す
・生き残った朝鮮人などを問答無用でブッ殺す
の方では?
今の常識ではちょっと考えられんよな
相当ぶち切れてたんだろうな
元寇に対して
皆殺しなんて日本の歴史的にはそんなにないしな 俺もそこで日本人の未開さに幻滅してアンチ日本になった
それ以来ずっと反日 >>76
掠奪される前に掠奪してぶっ殺しておく
これも追加で >>65
それわ、モンゴル兵が島を占領した時に人質と篭城で持久戦して来たのでそうゆうふうな戦略でくるからって分かったから
まあ人質を括り付けて最前線に置いても日本人はかまわず攻撃してきたので意味ないって分かってただろうけど >>19
イギリス「日本には政府が2つあるってマジ?ええやん」
フランス「ええこと聞いたわ」 元寇はGHQに色々改変されて日教祖も調子に乗って出たら目教えてたから気を付けた方が良い。
文永の役も普通に撃退してて撃退されたってのがこちらにもあちら側の資料にも書いてある。それなのに次の日になったらいなかったとかわけわからんことを学校で教えてた。
逃げてるとこを箱崎宮から白装束の集団に矢をいられてお化けみたいで怖かったとか面白いことも書いてある。
弘安の役も台風来るまで上陸阻んで昼夜構わず攻撃し続けて台風でとどめ差しただけ。
これは鎌倉武士自ら神風と吹聴しまくったからそれが広まった。我らには神がついてるぞとね。
あちら側の資料には鎌倉武士は全員が死を恐れずに勇敢に戦うって誉めて書いてあるよ。
だから茶化すな。
お前らよりよっぽど立派だよ。朝鮮人とモンゴル人の方が。 >>60
ツシマは名乗ってる最中に火だるまにしたされて首を切り落とされたからセーフ 鎌倉武士「やあやあ我こそは!(今からワイが敵をぶち殺しまくるからちゃんと鎌倉に伝えとけよ、ここにいるお前ら全員が証人だ)」
モンゴル兵「なんだあの馬鹿、殺せ」
鎌倉武士「どうやらあいつらには戦場で証人を立てて褒賞を確保するという文化が無いどころか名乗りの途中で殺しにくるらしい、もう名乗り上げずにいきなり急襲して殺そう」
モンゴル兵「鎌倉武士はイカれてる」 ネタか本気かはわからんが元寇の俗説はほぼ都市伝説の間違いだからね
https://i.imgur.com/3LP7Zwr.jpg
竹崎季長のこれも左側の元軍は逃げてるのに中央の元軍は戦ってるというアンバランスな構図で
中央の絵のタッチや装備が違うので後から書き足されたもの
褒美をもらうために苦戦を演出した作画 >>77
じゃあさっさと出て行けよ日本社会に負けた敗者 >>76
使者の全員が殺されたわけではなく殺された場合があったというだけ
そもそも執拗に脅迫外交してきて更にスパイ活動してる時点で殺されても仕方ない 九州武士が普通に撃退しただけだぞ
2回目とか迎え撃つ準備もしてたから鎌倉武士が来るまでもなく圧勝だった >>22
ちょっとずつ強くなっていくゴブリンみたい 依存していたからこそ仕掛けたんだが
それを止めると言われたらやるしかない ゲームの影響で侍とか騎士とかに憧れ持ちすぎなんよな
中世の騎士や侍っての実際は野盗や蛮族と変わらなくて
言うこと聞かせるために騎士道だの御法度だの作っとるんやろ 律令国家目指して中国を真似したが科挙は取り入れていない
実力主義というのは嫌で藤原家一族のように血縁、縁故主義で主要ポスト固められるように変化させてる
明治維新後の西洋化、戦後のアメリカ万歳もこのように外国で流行っていることを上辺だけ取り入れて本質は絶対に変えないのが日本 その時代なら元の使者をいきなり斬首の方だろ野蛮極まりないわ むしろ失敗から学んで柔軟に戦略を変えた
日本軍事史においてほぼ唯一の奇跡的事例なんだが
同じ失敗をひたすら繰り返した
太平洋戦争のあほ軍師どもとは大違い >>98
いきなりじゃないが
斬ったのは文永の役の後に送りつけてきた使者 >>99
官僚制ではなく現場に広い裁量があったのと上層部が何でもいいからお前らなんとかしろ、なんとかすれば褒美はくれてやるって体制だったのが良かったのかもな
ボトムアップを阻害するものが少なく環境の情報が反映されやすい 「アベー!」と叫ばないテロリストと同じで、
名乗る前に撃つなんて想定していなかったんだろ 戦争したくないから従えやと脅しといて二回も敗退するマヌケな元軍 それは少し違う。
確かに名乗り上げは必要性あったが
それは手柄の所有権主張のため。
戦闘スタイルでは無い(笑) 幕末でなぜか南北戦争で余った銃が集まって世界一銃を保有する国になったシーンやろ 誰か過去にもどって元寇で名乗り上げるのやめさせてこい 功名合戦が通用しないと見るや
鎌倉武士はゲリラ戦や焦土作戦に切り替える。
蒙古は上陸すらできず、海上に釘付けとなり
嵐で壊滅した。
蒙古兵は撤退、チョンは皆殺し。
僅かな中国人だけが生かされた。 名乗りはどっかつうと味方に対する自己紹介ちゃうの
アムロいきまーす!みたいな これのソースって鎌倉武士を批判して神々の加護を主張するめちゃ怪しい神社の文献が唯一の物らしいが 天皇家とかマジでろくなもんじゃねえ
知らん方が良い情報有りすぎる 本当にあった話なの?
最終的にゲリラ戦で撃退してるよね >>69
まあ似たような弓騎兵同士やから疲れてない方が圧勝しても.. むしろこれを馬鹿にするのは浅慮すぎないか?
日常的に考えてなさそう 蒙古の人質作戦は中東侵略では有効だったが
野蛮な鎌倉時代の我が国では
クソほどにも効果が無かった(笑)
鎌倉武士はいわゆる焦土作戦を行い
あとには敵も人質も何も残らなかった。
合掌 >>114
天皇家というか彼らを前に押し出して裏で操ってる奴らやろ これ当時のなろう小説だろ
鎌倉武士に迫害された神社だがチート使って蒙古軍を撃退した件
八幡愚童訓(はちまんぐどうくん)は、鎌倉時代中期・後期に成立したとされている八幡神の霊験・神徳を説いた寺社縁起である[1][2][3]。
元寇(文永の役、弘安の役)についての記録としても有名で、特に対馬・壱岐入寇について記された史料は他にないとされる[3]。
八幡愚童訓によれば、日本の武士はモンゴル軍に対して完敗を喫したとされる。
文永の役では武士たちは戦いのしきたり通り、敵に向かって名乗りを上げながら一騎ずつ進み出て一騎打ちをしようとしたが、モンゴル兵に爆笑され打ち負かされたという。
武力も尽き果て、日本側はもう終わりかと思われたが、夜間に筥崎八幡宮から現れた30人ばかりの白衣の者が蒙古軍の船団に向けて矢を放った。
大混乱に陥った蒙古軍は、炎上する筥崎の街の火が海に映るのを見て「海が燃えている」と驚き、我先に逃げ出したため、翌朝には大船団は一隻残らず消えていたという[4]。 昭和の神がかりやイデオロギーに狂った軍隊に比べれば
武士は圧倒的にリアリスト ホジュン~伝説の心医~
という韓流ドラマを観てるんだが
とうとう秀吉軍が攻めて来やがった
本当にジャップはどうしようもないな 豊臣秀次
松平信康
荒木村重(の親族)
この辺の話って
今の人権感覚からするとひどいよな
戦争でもないのに皆殺し 戦に負けると
落武者狩りに遭わないように
一般民のフリをして名乗らない
見せ場かつ重臣の護衛があってこその武士道() なんとか浜に取り残された元軍皆殺しにしたんだろ?
やべーよアイツラ 千早城の楠木正成勢1千が幕府軍200万を撃破するところだろ
日本中世史の亀田俊和は小学生の頃に読んだ漫画日本の歴史で知って南北朝時代に興味を持ったと言っている 西洋もわりと似たようなもんじゃないの
ワールシュタットの戦いでドイツ騎士団、テンプル騎士団とかやたらかっこいい奴らがモンゴル軍と激突してるじゃん
ふだんから騎士道精神を大事にして馬上槍試合を練習してたから
本番でもそれと同じように一騎打ちを仕掛けたら
集団戦法&弓矢のモンゴル軍に狩られてボロ負け、敗走
そこで偶然モンゴル皇帝が病死したおかげでモンゴル軍が撤退して助かった
そんなラッキーなところまで元寇に似てる >>130
騎士は極力殺されないように戦うことになってるから
雑兵は殺害しても良いが騎士は捕獲して身代金をとる
だからプレートメールなどで重装備になってる
モンゴルはそんなの知らんから
異世界との戦いは常にそういう齟齬が生まれる でもそれ以前の兵士である義経は兵の乗る馬を殺したり船頭を殺したり
やりたい放題だったんでしょ
あ、だからモンゴル伝説に繋がるのか 一騎打ちなんてしてるわけないだろ
単なる自慢するための絵 >>8
「一生懸命日本を貶めようとしたいのはわかりますが、日本は安全なんですから」と答弁したら射殺されたシーン そもそも日本が一騎打ちで戦争してたことなど古代からない 一騎打ちなんてのは戦争を始める前に形式的にやってたものに過ぎない
いざ戦争が始まればそんな悠長なことやってられるヒマはない 名乗りを上げるのは敵に対してではなく後から恩賞をもらうために味方にアピールしてるんだ 「全電源喪失はあり得ない」と答弁したら電源落ちて原発爆発したシーン 尚実際の元寇戦でジャップは世界でも希な長弓重騎兵として武士団は戦った模様
モンゴル側は歩兵でも短弓であった
案外ここら辺も元側が苦戦した理由の一つだったのかも知れない >>130
いうてあいつら十字軍で異文化圏とやり合ってるし 安徳天皇、草薙剣と供に入水
↓
熱田神宮「あれ形代だから…」 その後すぐに夜討ち朝駆け、火攻めしまくってる鎌倉武士の戦に対する適応力よ >>145
三国志読んで挑んだのかもしれん
まあ一回目は宋が残ってるから中国のイメージは宋側だが... >>133
この船頭を殺すってのがイマイチ分からないんだけど、その時代の海戦って、船頭に迷惑が及ばないように小船同士接近して剣や槍で戦うのが主流だったの?
矢での攻撃を用いると、小さい船なんだから船頭狙う狙わないに関わらず当たるよね 送った使者全コロしといて現地では態々挨拶にくるとか蒙古も思わんやろ 現代でもアベー!って叫んでから暗殺しないとマナー違反なんだぞ >>148
まあ水夫は雇われの非戦士階級だろうしマナー違反感が... >>148
たまたま当たるのと狙って当てるのはかなり違うと思うが >>152
それは分かるんだけど、おれのイメージだと弓矢を用いる場合一回撃つのにスナイパーみたいに狙い定めて〜とかではなく、数撃ちゃ当たるのほうに近いイメージあって。そりゃ中には100発100中ヘッショ狙える腕の人もいるとは思うんだけど、その他は精度低くて数撃つ的な。
こう考えてるからそもそも船頭狙うなは無理なんで、じゃあ小船での戦闘は弓矢禁止なのかなって 元になる前の騎馬民族時代はモンゴルでも名乗り合ってたんじゃないの
あっちでも一族とか戦士とか誉でしょ? ゴーストオブツシマだと火つけられて
まるで蒙古が卑怯かのように描かれてたな 最近の研究だと神風は吹いたけど元側はそれで壊滅的なダメージを受けてなくて
普通に鎌倉武士が頑張って普通に撤退していった論が強くなっていってんだよね 鎌倉時代は名乗りどころか敵方へ使者を送りいつどこで合戦するか相談してた時代 >>67
あれ以外何だかんだで割りと一騎討ちに応じてくれるよね蒙古軍 平家を夜討ち朝駆け上等の汚い手でぶっ殺した鎌倉幕府がそんな誉ある戦いをするわけがないんだよなぁ >>156
いや一ヶ月以上も上陸出来なくて海で待機してたとかだから必然に近い失策
夏シーズンに一ヶ月以上いたら、それも台風が来やすい九州での話だから台風来るまでそこに止まり
続けた元側が低能過ぎただけの話 >>163
その台風で元側は壊滅的な被害を受けてない、って話してんだが それで元寇退けて真珠湾奇襲した太平洋戦争は敗けたんだから鎌倉武士のほうがただしかった定期 ナチの電撃戦といい奇襲攻撃は農民の価値観であり長期的に見れば必ず敗ける運命にある その後頭に来て夜襲掛けたり話通じねえとなってからの方がやばいいちばんジャップが強かった時代じゃねえかな >>120
お、そうそう
神社と言えばハングル板の原住民のお札コピペって
神風で勝った北条政子の神社の札だったねw これってソースが八幡宮愚童記だから今は疑問視する説もあるけどな
少なくとも元寇の同時代人かつ二度とも戦ってる武士が描かせた絵巻ものには
敵への名乗りも一騎打ちも書かれてないし >>86
蒙古襲来絵詞のその場面に加筆説はあるが褒美をもらうためってのは誤解
絵巻の続きをみればわかるが、幕府に訴えて褒美をもらったこともちゃんと描かれてる
褒美をもらうために描かせたんじゃなくて褒美をもらったずっと後に描かせたもの 対馬を侵略しに来た韓国人を打ち返したのは凄いね
侵略者であるチョン >>98 >>149
全部やいきなりはコロしてないってか攻めてくるまでの使者はコロしてないぞ
使者が2度コロコロされたのは第一次元寇の文永の役の後から弘安の役までの間の期間だけ
何故か弘安の役後の使者も殺されてない
元に帰してももらえずに日本の寺の住職になったりはしてるけど >>76
文永の役の次の年に殺された使者は山口から鎌倉まで送られた上で処刑されてるんで
問答無用で即殺されたのかそれなりに使者と話したうえでそれでも処刑が決まったのかはわからん >>108
生き残ったから絵巻を描かせたわけだしな
つうかあれ一騎打ちでもないよな
竹崎季長と蒙古の兵だけが切り抜かれることが多いから一騎打ちに見えるのかもしれんが
他の所にちゃんと竹崎と一緒に突っ込んだ味方がいる たぶん創作だよ
鎖国してたわけじゃないから大陸での戦闘の情報とか入ってるだろうし >>7
主戦場になった九州は日宋貿易が盛んで南宋人の商人が来るのに
日本語が他国に通じるなんて勘違い当時の人でもしないんじゃね >>130
まあ弘安の役の台風は真夏だし偶然のラッキーじゃなく必然だったかもしれん
今も夏の風物詩だしな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています