なして君ら「大江健三郎」読まないの?作家としての才能に圧倒される,ネトウヨでも読んだら凄さ分かるぞ [511393199]
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をれは、その感覚は、 集う前に、個たれ、核たれ、を感じた。 すまん、文体の問題なのかわからんが海外文学の訳書ばっか読んてて日本国内文学全くよんでねー それが、冥府よりのメッセージかには、確信はない。が、文学だ。 晩年の不思議な日本語のやつ腰据えて読んでみたくはあるんだけどねー 戦後最大の作家と言って差し支えない 近代最大の作家と言われても否定はしない いやね 句読点でそれが決まるんならば 大江健三郎 だいぶあやうそうやん。しかし そうはならんやろ。おまえらも 権威の虜なのであろう。 新しき人よ目覚めよ っこれジイド?ウィルアムブレイク?イーヨ? なんか全然覚えてねえ タダ大江光はすげえ礼儀正しくて先生にキチンと挨拶するのを他の保護者が なんか気持ち悪いと陰口を叩かれたって話は覚えてる >>255 なるほどありそうでせつないエピソードだな。委員長に誰もなりたがらない問題。 難しいのは読まないんよ 完全なエンタメか実務本ばっかりよんでる をれ理科一類やねんな。しかし 文系の問題も我が事やおもちょる。 斜に構えるのがスタンダードでも違和感 だれもがまっすぐでも違和感 どうしたら。 こういうこと考えるのが文系の問題なのかもね。嫌儲はよいとこですよ。 >障害を持つ長男イーヨーとの「共生」を、イギリスの神秘主義詩人ブレイクの詩を媒介に して描いた連作短編集。作品の背後に死の定義を沈め、家族とのなにげない日常を 瑞々しい筆致で表出しながら、過去と未来を展望して危機の時代の人間の<再生>を希求する、 誠実で柔らかな魂の小説。大佛次郎賞受賞作 こんな話だったわ大江も自殺が最後でも良かったのかもと思ったが 奥さんは兄の十三を自殺で無くしてるし光もいるから文学的な殉死はできませんわな ネトウヨが活字なんて読めるわけないだろ YouTubeでビジウヨに洗脳されてるんだから 百田尚樹レベルの稚拙な本読んでるネトウヨには読めないのは確か 百田の本読めるだけでも知的レベル上の方だろネトウヨは >>113 格付けというか陰キャASDランクっぽい 夏目とか綺麗に仁義と啖呵切れそうだけど谷崎は無理 石原三島とか勘違いイキリチー牛って感じ 学術書どころかエンタメ小説でさえ読めなくて 短時間の動画見て勉強した気になってるのが 今のジャップの一般人やな 思想性が非常に強いっていう印象 革命思想とか実存云々が流行ってた時代に 思想前提で読まれてたんかね >>92 これ、逆じゃねぇかと思う 文章バッファがデカくて複文重文を纏めて理解できる人は法律分の分かりにくさが分からない これが読める人が100だとすると大江とか読める人は70位 難解な文章を追えるが実は300字くらいの一文を丸ッと理解する能力がないので、 合理的なだけで響きの無い法律の方を悪文と言い出す この70位の人がむしろ100の人達より自分達は上なのだとやっていたら 200クラスに破滅させられたのがソーカル事件 当時の文学(今もまだそういう傾向だが)は きれいなものや倫理的なもの優越的な立場のものを支配的として脱落させて 汚いものや悪徳や暴力をありのままに取り上げることで自由へと向かい真実が浮かび上がる、みたいな考え方がなんか根底にある感じ 「他者」とか「疎外」っていう観念を基にしてやってる これは左派系、革命思想の活動と世界観を同じくしてる そして、言葉や観念によって「疎外」されてる「現実」を脱落させて真の「現実」が浮かび上がるってのは神秘主義 比べるのもよくわからんが文体似てる安部公房のほうが好き 近代以前の物語は童話とか神話みたいな教訓話が多かったけど 近代小説になって普通の人間が普通の事をするのが書けるようになったからね この辺の文学の 読者の受ける気持ち悪さと理解の及ばなさは こういう思想上のものにあるから で、神秘主義って実は宗教のなり損ないなんよ キチンと宗教での救いを知ってる人からすれば 人間を傲らせさらに迷わせるものでしかない 息子が自閉だよ 一般人に理解できない知能の高さなんだよ いわゆる紙一重ってやつ 知性のない本の読めないネトウヨが大江らをたたいてるからな それが安倍政権とカルト宗教を産んでしまった ・歯を磨かないおじさんとジョン万二郎と四国の部落と朝鮮人の話 ・近所に四国の憑き物筋の一家が越してきた話 ・死体をプールにつけるバイトの話 断片的イメージは鮮やかに湧いてくるんだけど 全体としての印象が無い😅 戦後の日本の社会状況を四国の谷間の村に集約してそこからどう生きればいいのかを考える 硬すぎて苦手 一文一文が凝った言い方で正直バカには読みきれませんでした >>113 意味のない格付けだよ、 こういうのは小学生のメンタルで止まってる証拠、 俺がお前の親なら発達障害支援施設に連れてくとこ 小説はむずいけど「小説のたくらみ、知の楽しみ」は読みやすいよ 文章の読みづらさは宇宙一 現代文の試験で問題用紙を破りたくなったは 法律の文章って悪文かしらんが 俺はストラテラというシャブみたいな薬をジャブジャブ飲んだ結果、シャブ中脳になった するとシャブ中が書いたような文章がスルスル読める状態だ その場合、古い岩波の哲学書、法律文書、石原慎太郎、早稲田卒シャブ太郎とシャブ中のキチガイ文書 あたりがスルスル読める あ、あとだるまの俺の人生もスラスラ読める なんだろうこれ 小説は好きだけど、息子のCD出したりするのは坂本龍一と同意見だなあ 障害者(+ノーベル賞作家の子供)が作曲した音楽だから素晴らしいとか吐き気がするわ🤮 ちなみに大江のもスラスラ読めるが途中でつっかかる 三島も突っかかる 太宰はダメ 石原慎太郎だけは異常にスラスラ読める >>296 なにかクラシック音楽聴きたいなら貼るよ? ただし今しばらくはダメだけど 陽はうららかに楊の新芽の淡い緑を輝かせ、大檜の濃い緑はさらに色濃く、対岸の山桜の白い花房はたえまなく揺れている。威厳ある老人は、再びあらわれて声を発するはずだが、すべては循環する時のなかの、穏やかで真面目なゲームのようで、急ぎ駆け登ったわれわれは、あらためて大檜の島の青草の上に遊んでいよう・・・・・・ ギー兄さんよ、その懐かしい年のなかの、いつまでも循環する時に生きるわれわれへ向けて、僕は幾通も幾通も、手紙を書く。この手紙に始まり、それがあなたのいなくなった現世で、僕が生の終りまで書きつづけてゆくはずの、これからの仕事となろう。 >>298 あんたあんなレス見てそれ言うのはすげえな 宣教師根性が。貼り付けは然るべきスレにどうぞ >>300 そんじゃ貼らんけどひとつだけ 心外だなあ…少なくとも俺は キザシを逃しと書くほどには逃井逃一なコンビニ依存脳じゃないよん (いみふなら詳しくは本人に聞いて~) ちな大江なレスは直後の訃報スレにて少ししました では期待に応えてその時貼ったのを 武満徹の「『雨の樹』素描II~オリヴィエ・メシアンの追憶に」 (エレーヌ・グリモーpiano) https://youtu.be/73hXRuRJDFQ 特に信頼できる筋からお勧めしてきたことがないから死後30年してから考える >>171 ドスト並みに笑いをちりばめてくる印象 滑稽な行動をとってしまう登場人物の様子を 文脈にピッタリ合わせて仕込んでくる >>303 貼り付け乙です。こちらからは形ばかりですが 他人の曲、他人の演奏、他人のサイト 他人他人ッ!他人依存ッ >>49 三島は戦後間もなくな著名人なので先の対戦についてはかなり慎重なものの言い方をしていてネトウヨにかかればパヨク呼ばわりされるレベル そんくらいネトウヨがバカなんだけど >>82 運動も読書も似たところがあって少し苦労した先に得るものがある 頑張って閾値を越えないといけないんだが、読書の場合はこれが顕著だね 程度の差はあれ趣味も全部そうだけどね 創作、ゲーム etc. 下準備や修練をしっかりやって美味しいとこを味わえる >>54 産経程度にしか入れない知能には難しい それは同情する でもちゃんと読めたネトウヨの方々は「政治思想には共感しないが」とことわって評価していた >>165 法律って文で書く必要あるんかな?という疑問はある 鶴見俊輔のムズカシイ文章を書きたがる知識人や物書きの背景の評論読んでから こういう文体書く人の知性を疑うようになってしまった >>313 その一般論は危うい 大江は文体を含め小説における方法(論)というものをとても重視したし 著書で読者に対し直接間接に何度もそのことを伝えてる 結果のその難読さが批判、自省に至りこそすれ 無意識な「書きたが」りでは全くない 俺は鶴見俊輔の読者でもあるからきみの言いたいことは分かる 「お守り的」とかね 「樹木の魂」「鯨の魂」にむけて、かれは最後の挨拶をおくる、すべてよし!あらゆる人間をついにおとずれるものが、かれをおとずれる。 >>318 そこを読んでる時は人生で何度もない感覚だった えー西田とか大江を評価しない人が 一定の評価を得ちゃってるのか うーんどうなんだろうね、そういうの 大江健三郎は誰にもわかりやすく書こうとして、しかしどうしてもあぁなってしまうと村上春樹が編集者に聞いたと書いてたよ つまりあの難解な文章は大江の生来のものなんだね 人柄みたいなもんだ いや初期はシンプルな文体だったし 文体が毎回違うんだから生来のものじゃないでしょ ええ? わかりやすく書こうとしてどうしてもああなるという本人談があるのだから生来という他ないのでは? ノーベル賞を取った頃にたくさん文庫本を買った いちおう読んでは見たけどよく意味がわからなかった 読みづらさに関して「懐かしい年への手紙」の単行本に挟まってた付録の冊子に書いてあった >大体が、僕の長編は、はじめの一、二章が、おっしゃるとおり情報過多で、 >読者には入って行きづらい、といわれます。 中略 >そういうわけで、今度の場合も、はじめの数章に当初からの構想のなごりがあって、ゴタゴタしている。 >しかしそれはやはり必要なので、そこを乗り切って読み進めてもらえれば、とねがっています。 情報過多は笑うわw >>1 無教養だから恥を忍んで おすすめきぼんぬ🥺 ちと長くなるかもだけどレスする…いま こないだ亡くなった西山太吉「記者と国家」読んでて ナベツネ(西山の盟友)と読売の憲法改正うんぬんのくだりでふと ここの過去レスにあるけど 法令は基本的にあれは「悪文」ではなくテクニカルな話 「ならびに」「および」「または」「もしくは」の違いなど 公務員ならその使われ方を覚えなきゃいけない ただし例外的に 常にその「悪文」が問われる法令がある…そう、日本国憲法 つづく…ちな西山(享年91)や大江(同88)が死んで 間もなく97のナベツネはついこないだ巨人の激励会に顔出しご挨拶 つづき…ここでモメンとして注意しなきゃならんのは 読みやすさを求め「悪文」を糾弾することが 結果自分たちの首を締めることがあるのだということ 現憲法の「悪文」を直せ、あれは日本語じゃない、と 声高に叫ぶ勢力がどのあたりに、なぜいるのかを想像すればよい 当然このすぐあとわれらが御大に登場してもらうので ここでは石原慎太郎を挙げるのが最適だろう かれらに言わせると 現憲法のなかでも「悪文」の最たるものが 前文であり、そして第9条だと で、御大…対して「戦後民主主義者」大江は 第9条に出てくる「希求」ということばにこだわった -- 第二章 戦争の放棄 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 「悪文」呼ばわりは理由のないことではなく よく知られるとおり憲法は制作過程からして原文は英語なのだから -- RENUNCIATION OF WAR Article 9. Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order,(略) -- 「希求しaspiring」 で、現憲法の前文には「希求」はないけど 実は最初のGHQ草案とその訳に出てくる -- Desiring peace for all time and(略) 我等ハ永世ニ亙リ平󠄁和ヲ希求シ(略) -- そしてこれを受けた最初の日本側からの「憲法改正草案要綱」にも 「希求しdesiring」はまだ残ってる 大江はこういうところを重く見るのよ 石原が「キキュウなんて日本語じゃねえ」とか言うのに対して ちな石原慎太郎は超悪筆で有名 文藝春秋には慎太郎の原稿解読番の社員が常にいた その時々の民の読みやすさだけを是とすることは むしろ権力、政治の側にとっては都合がよい つまりチョロい 対して民に労を要させてでも 銘(きざ)まれた語の向こうまで読ませに行く この難しさがかえって俺たちを守ってくれることがある 現憲法に限らず、文学も然り…むしろその営為こそが 仮にそれがあるものとしてだが「純文学」ではなかろうか 俺はたしかにあると思うが ただし…以下もすこしつづく 大江批判になるが つづき…そう、>>336 ほかの批判も正しいのは正しい とりわけ憲法においてその批判は正しい 細かい法理などはたしかに法学者に任せなければならないだろう しかし憲法の文章じたいが民にとって読みづらいということは 憲法を下支えする民主主義の存在そのものを脅かすことになる 日本の場合はしかもそれがアメリカ由来ということがあるから この二重の脆さが常にデモクラシー=民による統治を揺るがす 大江はたぶんそれが分かってた だから大江やその周辺と それを支える人たちによる「戦後民主主義」は 濃厚に文学的、もっと言えば宗教的、信仰的なきらいを帯びた 読書なら近代の個々人の営みとしてそれでいいかもしれない しかし民主主義と憲法となると それは確実に次の世代、その次の世代へと継がれなければならない そのとき、その物語、その信仰でよかったのかという批判は 大江に向けて然るべきだと俺は思う 『万延元年のフットボール』に登場する右翼の弟の行動の描き方から 大江がそれに〈憧れと愛情をつよく持って〉いることを看取した三島は、 その大江の右翼的なものへの〈大変なアフェクション〉と 戦後民主主義を守ろうとする大江には矛盾があるとした[302]。 イルメラ・日地谷・キルシュネライトは、大江があらゆる三島的なものから、 ひたすら距離を置こうと試みつつも三島が死んだ後までもずっと三島にこだわり続けて 「三島に焦点を合わせずにはいられない」大江を論じ、 その多くの作品に「三島に取り憑かれたかのような現象“enduring obsession with Mishima”」が確認されるとしている 大江がかつて天皇崇拝のテロリストの少年を描いた「セヴンティーン」を発表した際、 それを読んだ三島は、大江は国家主義に情念的に引きつけられるところがある人間なのではないか、 と考えて『新潮』の編集者を介して大江に手紙をよこしたという。 2007年のインタビューで大江は、三島の読み取りは正しく、 自分の中にアンビバレントなものがあることを認めている >>341 大江が自らの「アンビヴァレンス」について語るのはいくつか読んだが この三島の提起が始まりなのかね そこまでは追えてない >>294 かなり外れるけど村上龍ってどう?シャブやってたのを活かしてわざと滑らせてくる文体だと思うんだけど 大江に固有の経験として ひとつは敗戦と教育ほか制度の大転換 ひとつは渡辺一夫やサルトルの読書 大江のみならず俺らにもあるものとして ひとつは「おのれの内なる『右』」 ひとつは生まれ育った地の前近代制 「戦後民主主義者」大江を懐疑、批判するにしても まずはこれらを通せと さいご…大江も好きだったようなので バッハの「マタイ受難曲」BWV244より 初曲合唱「来たれ、娘たちよ、私とともに嘆け」 (フィリップ・ヘレヴェッヘconductor/コレギウム・ヴォカーレ・ヘント/ほか) https://youtu.be/6As1Pvz-mHs 3時…西山書に戻りますわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる