旧日本軍は残虐ってイメージは完全に間違えだった…

黄河決壊事件(こうがけっかいじけん)は、
日中戦争初期の1938年6月に、国民革命軍が日本軍の進撃を食い止める目的で起こした焦土作戦である。
黄河を氾濫させ犠牲者は数十万人に達し、農作物に与えた被害も住民を苦しめた。
水没範囲は11都市と4,000村に及び、3省の農地が農作物ごと破壊され、
多いもので水死者は100万人、被害者は600万人と言われるが被害の程度については諸説ある。
日本軍は筏船百数十艘を出して住民とともに救助活動を行い、
同時に氾濫した水を中牟付近から別の地域に誘導するために堤防と河道を築いた。この惨状の中で日本軍には犠牲者・被害共にほとんどなかった
日本軍に救助された避難民は開封方面1万、朱仙鎮、通許方面5万、尉氏方面2万、その他数万であった。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/ed/Japanese_Forces_Rescue_Operation.jpg

https://www.google.com/?hl=ja