0071番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (アウアウウー Sa95-Aie7)
2023/03/22(水) 17:10:27.37ID:ijVYgIJua「自白調書」を得た検察官は死刑を求刑した。無罪は明らかだと思っていたのに、先行きが暗い。山崎さんの心は告発するかどうかで揺れ動く。「もしも(少年が)私たちの子どもだったらどう思う。黙って見過ごしができるだろうか」と妻に決心を伝えると、最後は承諾してくれたという。
山崎さんは証人としても出廷。しかし、須藤少年に死刑判決が言い渡された1950年12月27日、山崎さんは偽証容疑で逮捕されてしまう。精神鑑定で「妄想性痴ほう症」と無理やり診断されて不起訴となり、警察を追われた上に車の運転免許も取り上げられた。
「おやじは(精神鑑定時に)医師から変な薬を注射されたと言っていた。夢に出るのか、死ぬまでうなされていた」。山崎さんの次男、正二さん(73)は振り返る。故郷の春野町(現浜松市天竜区)で新聞を配達し、正二さんらきょうだいも幼いころから手伝った。「事件に関しては、うちではタブーになっとって。でも、おやじは告発したことを後悔していなかったと思う」
須藤少年の逆転無罪判決が58年1月に確定した。山崎さんは手記に〈今度は私の番だ。私は最後まで、私に狂人の烙印[らくいん]を押した人の責任を追及する〉と誓う。ところが、一家の苦難は終わらない。61年3月11日の白昼、自宅が全焼した。
翌12日付の本紙は、こたつの残り火が原因とみられる、と伝えた。だが、正二さんは「柿の木に登っていたら、家に入っていく半長靴が片方だけ見えた。おかしい、と思って降りて見に行くと、火の海だった」と断言。山崎さんの次女、功子さん(75)は数日前に見知らぬ男から「山崎さんのお宅はここか」と尋ねられたことを記憶している。
正二さんは警察官に囲まれ「火遊びのために火をおこしたんじゃないのか」と長時間、詰問された。常に「うそをついてはいかん」と口にしてきた父親をふと見ると、「もういいで、うんと言え、と。声には出さないが、そんな風に見えて…」。そう思い出すと、涙で言葉が続かなかった。
山崎さんは汚名をそそぐため資料を集めていた。そこに「放火」の狙いがあったのでは―。正二さんは今も思う。「おやじは名誉を回復できないままだった」
やべえ