>>105リンク先より

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2-2 「バックラッシュ」の起源と広がり
 「ジェンダーフリー」「男女共同参画」への批判は、遅くとも1998年から1999年の春頃にはローカルな媒体などを通じて徐々に行われていた。山口県に本部を持つ日本時事評論社の発行している『日本時事評論』は、98年1月1日の時点で「日教組に加入している教員が、性差をなくす(ジェンダーフリー)教育を展開しているのもこの一環だ」という表現を用い、男女混合名簿を批判している。
日本会議の機関紙『日本の息吹』の「平成11年4月号」(保守系のメディアは西暦ではなく年号を用いるものが多い)には「男女共同参画基本法案の非常識 「男女平等」で人は幸福になれるか」という記事が掲載されている(書き手は久保田信之学習院女子大学教授、当時)。記事のキャプションには、「夫婦別姓、ジェンダー・フリーなど推進してきた家族解体、社会解体運動の新たな一手、男女共同参画基本法案。その問題点とは何か―。家裁現場十年の実績者が語る「男女平等」の悲劇」と書かれている。
また、1998年11月12日には、東京都文教委員会にて古賀俊昭都議(当時)がジェンダーフリーおよび日本女性財団、「男女混合名簿」に批判的な質疑を行っている。

 以後、日本会議(1997年に設立、全国9ブロック47都道府県に組織をもつ日本最大の保守系組織)の『日本の息吹』(約2万5千部)、日本政策センター(1984年に設立された保守系シンクタンク)の『明日への選択』(約3000部)、『日本時事評論』(保守系の仏教団体「新生佛教」の会員や社会への啓蒙活動の一環として発行されている。約3万部)、『国民新聞』(国民新聞社、自称5万部)、『世論』(日本世論の会、約3000部)などの保守団体の会報などで徐々に触れられていく。
各冊子は、会員に配布されるほか、熱心な会員がコピーして戸別配布を行ったり街頭で配布したり 、勉強会にてロジックを共有するためのレジュメに用いたりするケースも多い。
また、記事のレポートや読者投稿欄の白熱ぶりなどから、男女共同参画批判などをテーマにした講演会や集会がこの頃から徐々に行われつつあったことが伺える。

 産経新聞、『諸君!』(ex:「山口県大泉知事の恐るべき思想を糾す! ファシズム化するフェミニズム」)、『正論』(ex:「家族はもういらないのか」(2000年3月号)、「フェミニズムにひた走る地方自治体の危機 男女共同参画なんてカルトじゃないか」(2000年12月号))などの保守メディアも、2000年前後から「男女共同参画」に対する批判的な記事に取り組みだす。但し、各メディアは2002年頃まで、「ジェンダーフリー」よりはむしろ、「夫婦別姓」の問題を主眼に置き、男女雇用機会均等法批判の延長線上において批判を展開していた。
この頃、「女性問題」に関連する社会問題構築のためのクレイム申し立てとして好んで用いられていたのは、「ジェンダーフリー」ではなく「夫婦別姓」や「男女雇用機会均等法」「セクシュアルハラスメント」等の問題であった。しかし、情況は2002年頃から大きく変化する。