保育園で先生に「おしぼりが汚い」と言われた娘…続く発言にハッとさせられた「別の言い方があったはず」アナ雪のおしぼり😲 [521921834]
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BUZZmagでは、とある親子のエピソードを紹介しています。
『娘が保育園の先生に「おしぼり汚いからもっと綺麗なものを持ってきてと言われた」と教えてくれた。数えきれないほど繰り返し使っているアナ雪のおしぼり。娘は「ママ、洗濯して綺麗なのにどうして先生は汚いって言ったんかな?汚くないと思うんだけど」と言った。私は娘の素直な感想にハッとさせられた』
その後、悲しむ娘さんに「ママは汚くないと思うから家で使おうか」と返したのだそう。「先生は悪気があったのではないと思います」とも綴っていますが、デリカシーに欠ける表現ですよね。子どもは素直で純粋だからこそ、何かを伝える際の言葉選びには十分に気をつけたいですね。
みんなの反応
●使う言葉ひとつで伝わり方が変わりますよね
●きれい、汚い 定義が広かったり狭かったり難しいね。見た目がきれい、清潔度合いのキレイ、オシャレな感じのキレイ、色々ある
●真意はどうであれ園児の持ち物に対して『汚い』という言葉は発するべきではないですね…。別の言い方があったはず
●私もハッとした。古いと汚いを何気なく一緒にしてしまうことある。気をつけよう
胸の痛むお話に、他のユーザーからも大きな反響が寄せられていました。https://ima.goo.ne.jp/life/86208 先生は複数人を担当しなきゃならんからしゃーない
しかし親に対しての子供はオンリーワンなのだから細かなフォローが出来るそれだけの話 保育園じゃなくて幼稚園だったけど先生はかなりきつかったな
まあ俺らの年代なら問題にする人は居なかったけど 汚れがあると言うよりは糸がほつれたりしてボロボロなんじゃねえの おしりが汚いと言われたケンモメン
数えきれないほど繰り返し使ってるの 押しつけられた罪悪感
心の成長に関連する「抑うつ的な罪悪感」とは異なる、
迫害的な「押しつけられた罪悪感」が、
日本の臨床においては取り上げられている。
北山 (2002, 2009)は、「押しつけられた罪悪感」を、
【環境側が脆弱で傷つきやすく、乳幼児の攻撃や貪欲な要求に耐えられない場合、乳幼児に抱えることのできる罪以上の罪が生じること】
として説明する。
強い攻撃性と過剰な投影を背景にすること、
そして「恩着せがましい育児」や、
「見るなの禁止」を破った「すまない」への同一化、
日本ならではの「ゆるされ型罪悪感」など、
北山はその日本語臨床感覚のもと罪悪感を強める要因を例示している。
母親対象を傷つけることでもともとの欲望がかなえられ、ゆるされ、そこに居続けるということが生む罪悪感であり、
抱えられる以上のものを負わされたことが「押しつけられた」と感じることの中核にある。
このような罪悪感が生み出す防衛的で適応的な性格として、「自虐的世話役」との関連が検討されている。
松木(2002)は、
やっかいな子だと親から咎め続けられた、
あるいは見捨てられるという強烈な不安を喚起させられた、精神分析治療の2 症例を通して「押しつけられた罪悪感」を考察している。
対象が押し込んできた、未熟な自己にはもちこたえられない“考える人のいない考え”は、
無理に持ち込まれた異物として苦しめるものであり、
【病的抑うつ感や強迫行為を引き起こしていた。】 保育園で仕事してたことあるけど子どもに対する物言いヤバいやつはめちゃくちゃ多かったぞ
そもそも語彙力無い奴が多い職種だから言葉を選ぶという概念が無い こいつらいつもハッとしてんな
または「ストンと腑に落ち」てる ただの語彙の問題
くたびれてきたから、色褪せてきたから、そもそも古いと汚いを混用しない 今の子は語彙がないんだよ
ボロイっていうのが正解だよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています