不殺生と自死:中外日報
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第18回「涙骨賞」受賞論文 本賞
おおたに・ゆか氏=1978年、香川県生まれ。龍谷大文学研究科博士課程単位取得退学、博士(文学)。龍谷大特任准教授。東アジアの仏教戒律思想の変遷を専門とする。著書に『中世後期泉涌寺の研究』、論文に「越境する戒律問答」など。※経歴は応募時点

不殺生と自死
大谷由香氏

仏教では一般に「不殺生」を説く。律蔵においては教団追放となる重罪である波羅夷の第三に立項されて殺人が禁止されているし、多くの菩薩戒の中にも殺生を禁ずる項目が立てられている。自死はこの不殺生に抵触する行為であり、仏教では自死を禁じているとしばしば説かれる。

しかし戒律での禁止事項として挙げられる不殺生は、基本的に他の命を殺すことを誡めるものであり、所謂自死の行為がこれらの誡めの対象となっているのかどうかは曖昧である。李薇氏は律蔵の記述から自死について論じる先行研究を総括し、先行研究には仏教は自死を「罪ではない」と結論づけるものと、「罪である」と結論づけるものとのどちらもが存在している上、「罪である」とする論考もその罪の分類は一律ではないことを明らかにしている。李氏はそもそも律蔵に説かれる殺戒の条文には「自殺と他殺に対して、明確な区別意識がない」ことを示し、このことに起因して、様々の結論を提示する先行研究が多岐にわたって成立した現状を指摘した1。

本稿では漢訳された仏典を素材として、東アジアの諸師たちがどのように釈尊の意図を理解していたのかということに着目したい。李氏の研究も含め、これまで仏教と自死をめぐる研究は、パーリ律を中心とした律蔵文献や阿含経典を基本素材として、なるべく釈尊在世に近い時代の仏教において自死がどう扱われたかを問うものが多い。東アジア仏教は、豊富な漢訳仏典を釈尊金口の仏説と信じ、内容を比較検討することで、釈尊時代の仏教を解明しようとしてきた歴史を持つ。律蔵文献そのものに曖昧な記述が存在することも、これら歴代の学僧たちに早くから共有されていたことであり、彼らによってそれらの曖昧さが各自に処理されてきた。彼らの研究成果を概観することによって、自死が東アジア仏教の中で、どのように理解されてきたのかを明らかにしたい。

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