WBC栗山監督が憧れる戦国武将「大谷吉継」→誰だよ? [795164767]
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栗山英樹監督が憧れる戦国武将・大谷吉継
WBCで14年ぶりに侍ジャパンを世界一に導いた栗山英樹監督(61)。
大谷翔平やダルビッシュ有などのスター軍団をまとめ上げた求心力と采配は「理想の上司」と讃えられ、
約3年半前に出版していた著書『栗山ノート』は、3月末に3万2000部の増刷が決定するほどの人気ぶりである。
栗山監督は歴史好きで、戦国武将を監督像の参考にとしているという。
なかでも好きな武将が大谷吉継だ。豊臣秀吉に尽くし、その死後は盟友の石田三成を支え、関ヶ原の戦いで散った。
その大谷の生きざまにあこがれていると、3月22日付の日刊スポーツが監督の発言を伝えている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e1919fdf14d68d51c5447e25c69b6fa8644e856e マニアック過ぎて本気で答えてるのかすらわからないですねこれ 大谷刑部だろ
三國無双では病を世界に広める野望を持ったやばい風俗嬢みたいな人格に改変されてたな 大谷吉継は昔から人気じゃないの
大菩薩峠でも大谷推しの女キャラが大谷ゆかりの地歩いてたりしてるし(うろ覚え) >>12
三國無双に大谷刑部出てくるとかもう意味わからんな らい病だったっていうのは後世の創作だけどな
眼病で目がほとんど見えなくなってたらしいが
何故かいつの間にかそれがらい病になってしまった 何かの漫画でフクロマンスみたいな見た目で書かれてたな 俺が聞いた話しだとなんの病も患ってなかったらしいけど。頭巾も被ってないし秀吉が子飼いに箔つけたパターンか? >>23
皮膚に斑があったことは複数の記録で確認できているので
単なる眼病説はありえないやろ
症状に波があるとか起きれないこともあるとか記録されているので
梅毒の可能性はハンセン病より高いかもしれん やはり栗山はロマンチストだな
大谷吉継と言えばハンセン病、らい病とも呼ばれ、全身オデキだらけ、膿だらけの奇病とされ当時から伝染すると思われていた
ある戦勝の祝いの酒の席でいつものごとく秀吉が飲んだ酒皿(優勝力士が飲むあの器みたいな奴)を、配下で回飲みする儀式をした時のこと
大谷がソワソワし始めた、本人はわかっていたのだ、自分が飲むと周りが嫌がることを、しかしそれすらわかってやる秀吉の温情(ただのKY)逃げる訳にはいかない
いよいよ自分の番だ、周りに迷惑かけぬよう、口を付けるフリをして次の人に回せば良いと、皿で口元を隠すように深く顔を近づけたのが失敗だった
なんと顔のオデキから膿が酒皿に落ちてしまったのだ、、、
大谷は顔面蒼白、震えも出てきて、呆然としてしまう
周りのものは皆気づいて、大谷のあとに酒を飲む物はあからさまに嫌がり、口を付けずに回飲みするフリをした
宴席の雰囲気はぶち壊しになった
その一部始終を観ていた石田三成の番に回ってきた
まだまだ後ろに続く同僚たちも居るもの前で
「喉が乾いた、失礼する」と
残った酒を膿ごと全部飲んでしまった
それを見た大谷は人目はばからず涙したという
他にもある、天下分け目の関ヶ原
当時どちらに付くか迷った大谷吉継
戦においての大谷の戦略眼は他を抜きん出ていた。すぐにこの戦は徳川方が勝つと予想する
戦前にはっきりと東軍勝利を予見した文が残っているのは大谷他数人しかいない
当然大谷の元にも、家康直々の東軍勧誘の手紙が送られてくる
家康は誰よりも大谷吉継を評価していたのは有名な話である
困った大谷はすぐに石田三成に、この戦は負ける由を説明し、戦を回避するように説得しにいくが三成は聞かない
大谷はその日のうちに家康に手紙をだす
「御首頂戴するので戦場にて」と
石田三成との友情を選び死を覚悟したのだ
関ヶ原の戦前にはっきりと西軍敗退を予想し、あえて西軍に付いたのは大谷吉継のみと言われている ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています