カルーセル麻紀、女性になってもうすぐ“二十歳”を語る「男は鼻の形で選んできた」(週刊女性PRIME)
https://news.yahoo.co.jp/articles/337198798b26ab3f02090aa75c406a0d5a9f94e5

元祖LGBTQタレント、ニューハーフ界のビッグボス……さまざまな異名をとるレジェンド・カルーセル麻紀(80)。彼女は30歳のときにモロッコで性転換手術を受け、『性同一性障害者特例法』が施行された2004年7月10日に、戸籍上も「平原麻紀」と、女性として生まれ変わった。目まぐるしく変化する彼女の日々は、まるで高速で回る回転木馬(カルーゼル)のよう……!

【写真】ゲイバーで働き始めた15歳のカルーセル麻紀、源氏名は「マメコ」だった

そこで今回は、戸籍上の女性として“ハタチ”を迎える彼女に、女性になってからの19年や美と健康の秘訣、そしてカルーセル麻紀のこれからの生き方について、たっぷり話を聞いた。

カルーセル麻紀のこれまでとこれから

「戸籍を変えたメリットは、気兼ねなく海外に行けるようになったことね。19歳のときに初めてハワイに行ったときは、パスポートの性別は男のままでワンピースを着て、女優帽をかぶっていたんだけど、入国審査で止められたんです。そのまま病院の精神科に連れていかれて真っ裸にされたのは、本当に屈辱だったわ」

その後「私は男です」と書かれた札を身につけるように指導され、一週間のみの滞在が許された。

(中略

その一方で「まさかこんなに長く生きるとは思わなかった」と、感慨深く語る。

「私がこの世界に入ったころは『オカマ』と呼ばれて、化け物扱いなんて当たり前。本当にひどい状況だったけど、いちいち傷ついていたら生きていけなかった。嫌なヤツには『なんだこの野郎!』って殴りかかってましたよ(笑)。ちなみに私は、トイレもお風呂もずっと女性用を使っているけど、何も言われたことがないわ。私にとってそれが自然な選択だから、周りの人も気にならなかったのかもしれないですね。そもそも、去勢をして胸もある私が男湯に入るほうがおかしいわよね」

どんなときもどこの国でも“自分らしさ”を貫いてきた。それでも、男性時代の「平原徹男」という本名は、長らくひた隠しにしていたという。

「もしも、平原家の次男がカルーセル麻紀だなんて地元で知られたら、家族が苦労するかもしれない。親、きょうだいには迷惑をかけたくなかったから、妹が結婚するまで本名は口が裂けても言えなかった。それが今では、たくさんのゲイタレントが活躍して、多くの人が私たちのようなLGBTQについて知り、考えてくれている。私たちの時代ではありえないことがどんどん起きてる。長生きはしてみるものね」

性転換手術に戸籍の性別変更──。彼女がカルーセル麻紀でいるために戦う姿は、今も多くの人に勇気を与えている。

そして彼女は現在、新たな仕事にも挑戦中とのこと。

「今はまだ詳しくはお伝えできないけど、5月ごろにはご報告できそう。みなさん、期待して待っててね♪」

女盛りの“19歳”。今年も私たちを楽しませてくれそうだ。

カルーセル麻紀(かるーせる・まき)●1942年、北海道生まれ。15歳でゲイボーイになる決意をして、札幌のゲイバー「ベラミ」で働き始め、その後、大阪「カルーゼル」などの有名クラブで名をはせ、映画やラジオ・テレビでも活躍。1972年にモロッコで性転換手術を受け、2004年には戸籍上も女性に。ゲイ界のパイオニアのひとり。

取材・文/大貫未来(清談社)