福本自身が40代だったことと40代の主人公を描くことに関係があるのか、あるいは福本がキャリアや年齢を重ねる中での心境の変化が作品に反映されることはあるのか──そんなことを知りたいと思い、つい質問を重ねてしまう。
だがストレートな答えが返ってくることはなく、福本がエモーショナルにキャラクターや作品について語るような場面もほとんどなかった。

 『賭博堕天録カイジ』の、コンプレックスを抱え、繊細で人間味あふれる敵役・和也について聞くと「結果的にそうなったってことかなあ。初めにああいうキャラを描いてしまったことで、コンプレックスを掘っていくしかなくなった。それが煎じ詰められて『実はいいやつじゃん!』みたいになったんだと思う。ズルはするけどルールは反故にしない、みたいなね」。
『黒沢』の“アジフライ”のくだり(部下からの人望を得ようと全員の弁当にこっそりアジフライを追加するも、逆にアジフライを盗もうとしたと誤解される)に何年経っても胸が痛むと筆者が打ち明けると、笑って聞きながらも冷静に「それは、具体的にどの部分が一番痛いの?」と返ってくる。
 多くの質問に作中の具体的な場面に言及しながら論理的にかつ生き生きと答え、漫画ひいては創作そのものの構造の話に鮮やかに帰結する。エモーショナルに語らないことで、逆に福本が創作のどこに面白みを感じているのか、なぜクリエイターとしてトップを走り続けてこられたのかが見えてくる。
 『賭博堕天録カイジ』シリーズは「和也編」「ワン・ポーカー編」に続き、連載中の「24億脱出編」も信頼できる仲間たちとの比較的穏やかな日常が中心に描かれている。福本の心境と関わりなく「結果的にそうなった」のだとすると、今後のシリーズではまたヒリヒリする展開が前面に描かれる可能性もあるということだろうか。

 「ありますね。そもそもそういうものじゃないですか、『カイジ』の世界って。だから今の『24億脱出編』を描き終わったら、そういう世界を描いて終わるのが座りがいいというか、正しいような気がしています。実際それをどう描くかというのは難しいところではありますけど」

 終わりもしっかりと見据えているのだ。

 「できたら『カイジ』は最後まで描き終えたいですよね。僕が44歳だったら焦らなくていいけど、64歳だとそんなにたくさん時間があるわけでもない。『カイジ』の場合、1つのシリーズに5年くらいはかかりますからね。
終わらせ方は……最初に思っていたのとはちょっと変わっちゃった気がするよね。カイジが(宿敵である)兵藤を完膚なきまでに叩きのめして終わって、本当にいいのか? と思うようになった。もっと悪いやつなら……まあ悪いやつなんだけど(笑)今、僕は兵藤にも愛着・愛情をもってしまっている。
僕は悪いやつにも理屈が欲しくて、ついそう描いてしまうので。ある種の正当性がないと、ただの変な人になってしまう。悪いやつほど、ある意味信念を持っていて欲しい」

 近年、その「悪いやつ」を主人公に据えたスピンピオフ作品が福本以外の作家によってたくさん生み出され、多くの読者を獲得しているのは、彼らがただの悪人ではなく、彼らなりの信念や理屈を持っているからかもしれない。

 「そうだそうだ(笑)。理屈がないと、スピンオフも作りにくいよね」

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