小早川の裏切り、毛利輝元の本心…本当の関ヶ原合戦はまったく違っていたんだっ!

日本史上、天下分け目の決戦といえば、多くの人が「関ヶ原合戦」を思い浮かべるだろう。
慶長5年(1600)9にて、徳川家康を主将とする東軍と、石田三成を中心とする西軍が激突。

東西両軍およそ15万が一進一退の戦いを繰り広げる中
合戦半ばに西軍の小早川秀秋(こばやかわひであき)が東軍に寝返り、西軍は総崩れになったとされてきた。

何度目かの狼煙(のろし)が上がった。
「今こそ東軍に攻めかかれ」という石田三成からの合図だ。松尾山の山頂近くの陣所でそれを眺めながら
19歳の小早川秀秋はいまだ逡巡していた。眼下の戦場では、東西両軍が激闘を展開している。
今のところ西軍が善戦し、東軍を押し気味だ。が、小早川軍1万5,000が山を駆け下り
いずれかに味方すれば、そちらが勝利することは疑いない。

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