小早川秀秋(19)→このガキが裏切らなければ西軍が徳川に勝てた事実… [247154641]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
小早川の裏切り、毛利輝元の本心…本当の関ヶ原合戦はまったく違っていたんだっ!
日本史上、天下分け目の決戦といえば、多くの人が「関ヶ原合戦」を思い浮かべるだろう。
慶長5年(1600)9にて、徳川家康を主将とする東軍と、石田三成を中心とする西軍が激突。
東西両軍およそ15万が一進一退の戦いを繰り広げる中
合戦半ばに西軍の小早川秀秋(こばやかわひであき)が東軍に寝返り、西軍は総崩れになったとされてきた。
何度目かの狼煙(のろし)が上がった。
「今こそ東軍に攻めかかれ」という石田三成からの合図だ。松尾山の山頂近くの陣所でそれを眺めながら
19歳の小早川秀秋はいまだ逡巡していた。眼下の戦場では、東西両軍が激闘を展開している。
今のところ西軍が善戦し、東軍を押し気味だ。が、小早川軍1万5,000が山を駆け下り
いずれかに味方すれば、そちらが勝利することは疑いない。
https://intojapanwaraku.com/culture/32499/ 世の中どうなるか分からんよな
大阪が日本の中心になるところだった 流れで西軍になって何もしないまま敗走取り潰しの大名バカス 簡単に勝ってるように見えて
徳川も
思ったよりギリギリなんだな 西のほうが何もかも進んでるからな今も
進撃の巨人から何から何まで西のほうが勝ってる でも朝鮮出兵とかする基地外だぜ?
徳川みたいに平和の世続いてなかったでしょ 島津が家康本陣まで突っ込めたんだから
毛利が動けば余裕で家康死んでたろ 勿体ねぇ 戦してる最中に味方が寝返るなんて欧米ではありえない
卑劣なジャップらしい戦いだよ >>6
農業は西終わってる
というか西の小規模が農家名乗るせいで補助が機能しない
完全無欠に足手まとい 小早川は裏切らず初めから徳川方だったって説もあるな なんで加藤や福島、小西なんかの子飼いを半島に行かせてるんだ
徳川毛利上杉辺り送り込んですりつぶすべきだったろ 秀次と秀秋は粛清のターゲットだからな
徳川に付くしか秀秋の生きる道はない 吉川元春が裏切らなきゃ毛利が山を下るだけで徳川本陣襲えた 山に登っておったら降りられる道は細い一本道
その出口を塞ぐ位置に大谷勢が陣取っていた
脇坂赤座らもおそらく小早川隊の抑えとして配置されていた 家康が小早川に鉄砲で早く裏切るように催促したのは創作らしい 重度のアル中だったらしいから本人は正常な判断できてないぞ
裏切りは家臣の判断 >>14
初めの方は領土刈り取り次第だったから
子飼いの諸将は喜んで行ってる
家康は出兵催促あったけど江戸の整備を言い訳に断ってる
失敗すると見てたんだろうな >>11
まああれだな
こういっちゃあれだが農業のような利幅の薄いビジネスをやってる時点で負けてるとも言えるな 弱々しいイメージ付けられてるけど
キチガイ武闘派だよね 豊臣側は裏切られても当然の仕打ちをしてたからな
単なる裏切り者の印象を変えるためにも大河で小早川秀秋やって欲しいわ 吉継の呪いで数年後に死んじまったな
両川が揃って裏切って毛利の大将はアレだし(笑) ただの東軍だったのが都合よく死んだので創作した
島津の話も創作 小早川が内通してなければ秀忠到着を待っていただろうしどうだろうな わざと不利な布陣して三成誘い込んだ家康まじ戦上手やわ
根回ししまくって戦始める前に勝負決めてるし そういう細かい話もいいが、結局は石田三成に将たる器が無かった
敵を作り味方を増やさなかった馬鹿 小早川に吉川に毛利と秀吉になんか恨みでもあったのかな? >>37
小早川は後継者候補だったのに外されて養子に出された
吉川は西軍が勝てないと思ってたから >>36
まともに戦った友軍って宇喜多と大谷くらいだしな
毛利なんて輝元も両川もアレだし ちょっと石田三成があせって動き過ぎなんだよ
秀頼が元服するまで我慢できてたら三成勝ってたよ >>38
元秀吉の後継者候補でめちゃくちゃ官位高くて小早川家に養子に出されて跡を継いだから 俺が東軍だったらあんなコウモリがMVPなのは納得いかないだろうな >>37
本家を泥沼から救おうとして、家康の領土安泰の口車に乗ったら約束反古にされて結局本家から恨まれるようになった 徳川家康って別に関ヶ原に勝ってもたいして権力増えてないよな
徳川軍より黒田福島細川が石田大谷小西をぶっ潰しただけで
結局は大阪の陣で秀頼滅ぼすまで脇役というか >>12
これ聞いたことあるな
ついでに三成も裏切ると知ってたから信用できる大谷吉継を盾代わり布陣させた 小早川より吉川の判断が狂ってる
毛利が完全に潰されてたら人でなし扱いだぞこいつ >>47
その逆で関が原の論功行賞を家康が仕切ったから勝った時点でほぼ徳川幕府誕生してたんだよ
本来なら秀頼が仕切るべきだから 輝元は合戦前から家康側に寝返ってたんだよね?南宮山の秀元は知ってたのかな?
小早川は最初から旗幟明らかにせず松尾山に陣取ったんじゃなかったっけ?だから警戒して脇坂とか配置したんだろうし 秀吉が死んだら徳川に権力移るのは必然だったように思える
あとから見れば >>36
五奉行は権力は持ってたけど
石高なさすぎて戦争無理やろ
ってか徳川が持ちすぎ 老人ボケした秀吉が敵を作りすぎたからどうしようもないんだよね
秀吉に忠義立てした光成とかがバカみたいだよ まあ吉川広家が全ての元凶だわな
毛利が後ろから徳川突いてる状況なら小早川はそもそも裏切ってない
毛利はこいつをよく冷や飯食わせるだけで済ませたよ ジャンプの影武者で小早川が勝ってる方に味方しようって考えてて
家老?みたいな人が勝てば動きが遅い負けたら裏切り者と罵られる
って聞いて驚くシーンをよく覚えている >>47
体裁は豊臣の内紛に力を貸しているという建前なのと
秀忠率いる徳川本隊が間に合わず戦ってないから 吉川といい毛利系列のやつが裏切り過ぎ
主家を守る為に憎まれ役やったんだろ
輝元も出てこないし >>60
小早川家は戦後2年でポックリ逝って早々に断絶、空いた備前に池田が来てそのまま明治に至る
今の小早川家は明治維新後に改めて毛利から分かれた家 まあ関ヶ原で負けても徳川が滅ぶとは思えんが
秀忠が遅れなかったら余裕やしw >>65
毛利の腹心を水責めにして切腹させたりしてるからなあ
好きやないやろなw 無理だろ
秀忠率いる徳川正規軍3万5千が後方に控えてる
裏切りがなかったとしても、2日程度膠着状態を続ければ問題ない
西軍は外様の寄せ集め状態だった東軍を1日で撃破しなければならず、ちょっと無理っぽい >>7
毛利秀元は動きたかったが徳川に内通してた吉川広家に邪魔されて南宮山から降りれなかった このガキのおかげで東京が首都になったんだから功績がでかすぎる 最初から裏切る気だったから裏切りじゃないもんて意味不明すぎて安倍答弁並 ドイツの兵学者は関ヶ原の配陣では三成が勝つと言っている
ドイツの兵学者というと頭良さそうなのがなあw
まあ正論では世論に勝てんのよw 小早川だけやのうて石田大谷宇喜多以外はほとんど戦ってへんのやろ 裏切ってくれないなら、徳川は関ヶ原に進軍してないと思うよ 輝元と吉川広家が悪いわな
元就の子は有名な三兄弟以外も優秀な人物揃いなのに、その次の代は大分質が落ちた 石田三成が勝つには、大阪城にいる秀頼を首に縄付けてでも引きずり出して総大将にするしかなかったと思うよ 5大老
前田 何もしない むしろ徳川側
上杉 原因はこいつなのに本拠地でニート
毛利 徳川に内通
宇喜多 西軍として戦う
こりゃアカンわ
北条と武田残した方が良かったね そも加藤清正も福島正則も石田三成殺そうとしたら徳川家康の屋敷に石田三成は逃げている >>74
天王山とか関ケ原に小川陣あると噴いてしまう >>82
それは逆に石田の機転の良さを表すエピソードやぞ 東京圏の人間が「小早川は裏切り者」て言ってるのアホだよな 小早川秀秋は元々似たような境遇だった秀次があんなことになったから余計に豊臣本家に不信感持ってそうだなとは思うわ >>84
秀吉の子飼いの武将から嫌われていたとよくわかるw せめて輝元連れてきてたら毛利系の連中が輝元のいる陣に攻め込むことはできんかったのに
気軽にぶん殴れる存在のくせに勝手に決戦始めた三成が悪い >>23
遅れてるくせに偉そうだなw
汚鮮や部落解決してから文明人名乗れよ 徳川家から結局肥後も備前もどっちも取り潰されるんやがw つうかなんで秀吉は家康の力削いでおかなかったんだ?
難癖つけて10万石ぐらいに減封しとけばよかったのに
小牧・長久手はあれだったけど、小田原後なら出来ただろうに 細かいエピソードあるのって大体軍記物的なイメージあるけど>>84これって史実? >>34
あの有名な布陣図って信頼できんぞ
明治期に陸軍の戦史研究部門が講談とかも参考に「まあこんなところやろ」ってつくったもんらしいし
かといって別に正確な布陣図もないんやけど 子孫を残さないと濡れ衣まで着せられて後世にボロカス言われる典型例 徳川は小早川に催促の一斉射撃する逸話あるけどそれでよく
19のクソガキがそれ読み取ったもんだよな
普通家康を怒らせちゃったと思ってもう密約は反故にされたと思って逆に家康軍に攻め入りそうなもんだけどな >>92
無理
秀吉は形式上だけ家康を臣下にするので精一杯だった
10万石とか減らそうとすれば家康が立ち上がるのは目に見えてた 秀吉は北条征伐で家康に北条んとこやって田舎に追いやったつもりやったけど
家康の家臣はお前達みたいに有能でな
領民の為色々考える奴が多くて国力上げてきやがった
そして小牧長くてが起こるんやが秀吉は家康と戦うとヤバいってことに気づいたから力で制圧より
権威で制圧にしたんだよ
いちおー関白太政大臣やなw 裏切り言うけど
戦地に着いた時はもう台本決まってたんだよね
じゃないとあんな布陣しない >>92
あ、一応家康は秀吉の主君信長と同盟結んでるからな
信長のために共に戦った盟友やし
家康も秀吉も姑息な真似はしたくなかったっちゃない? こいつ子供のころからの飲酒でこの歳で肝硬変で体はボロボロだったっていうね
正常な判断力すら無くなってたって説もあるぐらい そら秀頼生まれて豊臣一門の男冷遇したせいに決まっとる >>92
小牧長久手で家康の野戦の強さを思い知っただけに、直接ぶつかることを避けて江戸に飛ばしたんだろ
まさか家康が、沼地でかつ北条残党が跋扈し、治安も最悪だった江戸を広大な田園に変えるなんて思っても見なかったわけで 江戸の街とか屋根が板垣
昔は藁葺き屋根が普通やったが火事になったら大変だと明暦の大火
知恵伊豆は江戸市街作るのに苦心したらしい
お前達コミュ障にはできんとこやなw 昔は水防が物足りないから火事が出ると周りの家を壊す
火が燃え移る物を無くす 西軍は包囲しているように見えて実際にはバラバラに孤立してる
どこかが危なくても誰も助けに行けないし、どこかの部隊がサボタージュしてても督戦もできない 石川秀美が歌うお江戸お七やったかな
恋しい人を想うために火をつけるとか
ひでー話 秀吉って別に
織田信長にお前の一族守るとか言ってないけど
徳川家康って秀吉に
豊臣家を守ってくれ頼む言われて
承知いたしましたって発言してるのに
マジで裏切ったから
家康だけは好きになれねえわ 小早川秀秋 →秀吉が裏切らなければこいつが太閤になっていた まぁ裏切った奴ってのは、たぶん身内助けるためだぞ
両方に身内を送っとけば、関わった人間は殺されるかもしれないが
無関係な人間はセーフ
だから全員が石田三成についてたら誰かが裏切らざるをえない
まぁ日本独特の文化だな
全員で当たって砕けろじゃない 確かに泥酔してるが
大学入ってから歴史勉強してないなw
いやニュースは聞くけど
確かに俺の歴史はそれくらいかw 真田は頭ええからなあ
潰そうとすると籠城して無視しようとすると攻撃するとか
まともな神経やないなw
武神構ってちゃんw 秀忠は参謀おったら簡単なことで被害が出ても関ヶ原に行くだけで無能が真田に撃ち殺されても真田に分ければいい
秀忠はパーやから誰をどうするとかわからんかったつちゃろうな
どうせ死んでもええから小泉のガキでも置いときゃええのにw >>105
茶々が秀頼産んだから
小賢しい養子たちは要らなくなったので
秀吉「毛利家に婿入りさせて毛利家乗っ取るぎゃ!」ってなったんだけど
毛利家血縁で重臣筆頭で、信長配下時代の秀吉軍に善戦した名将小早川隆景が
「秀様の御子息ならウチに欲しいのおおおお」って毛利本家の代わりに引き取った
その後の朝鮮侵攻では結構中国人と朝鮮人を殺した
>>121
幸村の3000人の伏兵攻撃一回で35000人が仙石秀久の城まで敗走 いやまじで何なのこいつ
こいつのせいでトンキンなんかに首都奪われたようなもんじゃん >>115
家康ってジョジョ7部の大統領みたいなやつだな いや、豊臣家って言っても
大阪城にいたのはイケニエみたいなもんだよ
ヒデヨシもちゃんと言い聞かせてただろう
「おい、澱と秀頼よ、お前らは死を恐れちゃいかんぞ。嫌なら辞退しろ」
と
たぶんヒデヨシが守ろうとしてたのは出身した村人とか無関係な商人とか農家だろう
武士の世の中だと関わった人間を1000人くらい皆殺しだからな
それでまぁ救われたから豊臣系の人間は生き残った 西軍が勝ってたら未だに京都が首都だったのかね。江戸はいまだと川越まで江戸県というクソ田舎のまんまだったのだろうか それだけのメリットや信頼性を獲得出來なかったんだろ こいつばっかり責められてて脇坂は大して言われんよな 東軍西軍にも切支丹いたが
裏切ったのは仏教徒ばっかり。
小西行長なんか切支丹弾圧した豊臣家のために
文字通り命がけで戦って刑死した。 >>135
鎖国はどうやろ
秀吉系にアマクソ四郎討伐するかどうか
まあボンズに脳はないか
伊達政宗も支倉とか欧米送ってたし
家康は保守やけど秀頼はガキで死んだしなあ
三成が海外的とかきいたことないし
結
今と変わらんw 最初から東軍だった説が最近の定説になりつつあるだろ >>140
小早川秀秋は家康から増封された後どうなったの?w >>69
それなら西軍も大津城包囲軍、伊勢方面軍が関ヶ原に来るけど 裏切るために大垣から関ヶ原移動して山登ったのに何言ってんだか 秀吉健在のときに
大地震が起きなければ徳川家康は死んでた 裏切ったら負けるような奴を野放しにしてたらそら負けるわ そもそも総大将の毛利輝元とケツ持ちの豊臣秀頼が動かない上に関ヶ原の毛利配下も動かない体たらく >>147
一応最初は西側の拠点だった大垣城に入ってたのか >>115
守ろうとしたんじゃね
大阪城を出れば、家は存続していたと思うよ
寿命も間近のジジイが、関ヶ原の後15年近くも何もしなかったんだから、かなりの配慮だと思うけどね >>92
そういう意見は徳川が豊臣滅ぼして天下とったって知ってる現代人の後付論であって
リアルタイムで歴史が進行してる状態では秀吉にとって家康が一番信用できる存在だったんだろ
五大老と言われる徳川、上杉、毛利、前田、宇喜多の中で単純に比較しても信用できるのは徳川と前田くらいで他は本来はただの敵対勢力で
徳川と前田なら秀吉から見たら織田の同盟者だった徳川のがはるかに格上だし >>156
宇喜多秀家は半分秀吉の子飼いレベルだろ >>156
一度交戦してる徳川だって敵対勢力だし信用で言ったら清須時代から親交のある前田一択だろ 晩年の秀吉ってやっぱ息子の可愛さとその将来への悲観で狂ってたのかな
豊臣政権が存続するには何が足りなかったのか >>158
前田は最初柴田に付いたけど、裏切って帰順してきたから後期はそこまで信用出来なかったんじゃない? 家康に調略されたら従わざるを得んだろ
考えるまでも無い >>158
徳川が人たらしで秀吉をめちゃくちゃ信用させてしまったんだろ多分 >>163
秀吉が死にかけてる時点では家康が五大老筆頭なんだから家康に頼むしかないだけだろう
安倍が首相辞めるとき志位に挨拶に行ったようなもんで死にかけのボケ老人とはいえ秀吉は政治家なんだから個人的な好悪とかではないはず 失敗したとはいえ内藤仙石やら子飼いの家臣をどんどん追放してたし周囲から愛想つかされるわな わーくにの戦国のイメージなんて司馬遼太郎とKOEIが作ったわけでありましていわばまさにラノベみたいなものであります 血筋的に、仮に徳川に勝てたら天下取れたまであるだろ、秀秋は
血気盛んな年頃なのに降ってわいたチャンスに飛びつかないものなのか いやすでに吉川広家が東軍に内通してたし裏切らなくても負けてた >>149
三成が挙兵したとき秀秋はちょうど会津征伐に参加するために堺に着いた
秀秋が西軍のど真ん中にいるときに事が始まってしまったため
なし崩し的に西軍に加わった面がある、三成もそれを狙ったのかもしれない
ただ秀秋が伏見城攻めに参加するまでにかなりグダグダしてる
どっかに籠る城があれば東軍として参加してたかも 毛利小早川吉川が自民党仕草で様子見し続けたせい
こいつら最後まではっきりしない態度 >>172
当主が無能なくせに野望だけは高いから、手に負えない
その結果、家臣がそれぞれ、お家のために色々奔走した結果があれだよ・・・ 秀忠の大軍が残ってるジャン。
江戸へ戻って立て直すジャン。 >>174
太閤とか内府とか加賀宰相とか
この辺唐名だらけだぞ 秀忠の軍が本体とか精鋭とか言われてるけど
第2次上田合戦の無様な戦いを見ると
戦力にならなかったんじゃないかと思う
おそらく戦経験のない新兵も多かったんじゃないかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています