ガムはソ連のティーンエイジャーたちにとっての憧れの品であった。しかし、政府はアメリカの製品に断固、反対した。
ガムはソ連が正しくないと判断した多くのものと同様の運命を辿った。ガムは公式的に禁止された訳ではないが、良くないものとして非難された。
そして、ガムはソ連の子どもたちやティーンエイジャーにとって、まさに「禁断の果実」となったのである。そこで子どもたちは何とかガムを手に入れようと必死になり、そのためならほとんどのことを犠牲にすることができた。
中には、治安機関に目をつけられる恐れがあると知りつつ、外国人にガムをねだる子どもたちもいた。
敵国の製品
1970年代まで、ソ連ではガムは製造されていなかった。外国に行ったことがある限られた人々―外交官やその家族、支配階級、通訳など―はガムがどういうものかを知っていて、食べたこともあったが、一般のソ連市民はそれが何であるかも知らなかった。
ガムを噛むという行為は、ソ連の思想では非難されるべきことであった。それは、資本主義体制の無意味さと敵国アメリカの文化を感じさせるものだったのである。
スターリンの死後、鉄のカーテンが少し開くようになると、ソ連社会にも西側文化が少しずつ入ってくるようになる。1955年には、ソ連の一般市民も外国に旅行することができるようになった。
とはいえ、この可能性を持つことができたのも限られた人たちで、その可能性を手に入れるにはいくつもの条件をクリアしなければならなかった。非の打ちどころのない評価、推薦状、個人情報に関する5ページものアンケートへの記入、そして健康診断書の提出などである。
続きはソース元で
なぜソ連はガムを禁止したのか? - ロシア・ビヨンド
https://jp.rbth.com/soren/87278-soren-gum-kinshi