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成田龍一『大正デモクラシー』岩波新書2007年

「震災直後には、情報の不足から「大津波が来る」「大地震が再来する」などの流言が飛び交った。しかし、深刻な事態を惹き起こしたのは「朝鮮人」に関するデマである。早くも9月1日午後3時ころに、「社会主義者及び鮮人の放火多し」という流言があり、「不逞鮮人来襲すべし」「井水を飲み、菓子を食するは危険なり」とのデマがひろがったという(警視庁『大正大震火災誌』1925年)。
(中略)
東京の住民はデマを疑わず、地域ごとに自警団を結成し、親族や知人の安否を尋ねて行き交う人びとを詰問し、朝鮮人とみなすや、持っていた鳶口(とびくち)により虐殺した。のちに吉野作造や金承学が調査を行い、正確な数は不明ながら、虐殺された朝鮮人は6000人を越えると推定されている。また、近年では、軍隊による朝鮮人の虐殺があったことも史料的にあきらかにされた」